表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
憧れの御曹司が、なぜか私にだけ甘すぎる。けれど私はまだ、あの日の男の子だと気づけない  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/97

第86話 彼氏の執事服なんて、文化祭前に見せられたら理性がもちません

文化祭準備委員になってから、放課後の時間が少しだけ危険になった。


 学校の中だ。

 先生もいる。

 クラスメイトだって普通にその辺を歩いている。

 だから、放課後の駅前みたいにあからさまに甘くはなれない。


 でも、そのぶん余計に危ない。


 “ちゃんとした理由で一緒にいられる”というのは、思っていた以上に心臓に悪いのだ。

 同じ資料を見て、同じ廊下を歩いて、同じことで少し笑う。

 それだけで十分に特別なのに、そこへ文化祭という非日常まで乗ってくるのだから、危険じゃないわけがなかった。


 そして、その危険は、この日とうとう見た目にまで来た。


   ◇ ◇ ◇


「仮装接客、やっぱり強くない?」


 昼休み、文化祭準備の話題でクラスが少しだけざわついていた。

 私はお弁当を開きながら、何となくその会話を聞いていた。


「メイド喫茶っぽくする?」

「いや、和風もいいよね」

「執事とか絶対映える」

「一条くん執事似合いそう」

 その一言に、私は危うく箸を落としかけた。


「……」

「ほら来た」

 前の席のひまりが、即座にこっちを見てにやっとする。

「何が」

「今の反応」

「……別に」

「別に、の顔じゃない」

 ひまりは頬杖をついた。

「“一条くんが執事服着たらたぶん無理”の顔」

「ひまり」

「図星」

 私はお弁当箱の卵焼きを見つめた。

 図星だった。


 だって、想像してしまったのだ。

 黒い執事服。

 白い手袋とか、そういうのまで含めて、恒星くんが自然に着こなしてしまう絵を。

 あの人はたぶん、そういう“整ったもの”が似合いすぎる。


「……やめてほしい」

 私が小さくつぶやくと、ひまりが吹き出した。

「見たくないの?」

「……見たい」

「うん」

「でも」

「うん」

「たぶん、すごく困る」

「だろうね」

 ひまりはあっさり頷く。

「でも文化祭ってそういうものでしょ」

「何それ」

「恋人の理性を削りにくるイベント」

「そんな定義初めて聞いた」

 でも、ちょっとだけ分かる気もした。

 学校行事と仮装って、どうしてあんなに破壊力があるんだろう。


   ◇ ◇ ◇


 その日の放課後、準備委員の会議はいつもよりにぎやかだった。


 机の上には企画案の紙が広がっていて、文化祭当日の接客衣装の候補がいくつか並んでいる。


「とりあえず、雰囲気見るために試着してみる?」

 衣装係の女子が言った。

「執事服、一着だけサンプルあるよ」

「え、着てみてよ誰か」

「男子で背高い人の方がいいよね」

 その流れで、何人かの視線が一斉にひとつの方向へ向いた。


 恒星くんだった。


「一条くんでいいじゃん」

「絶対似合うって」

「見たい見たい」

 場が一気に盛り上がる。


 私は資料の端を持ったまま固まった。

 来た。

 ついに来た。

 頭の中では昼から覚悟していたのに、いざ本当にその流れになると心臓がうるさすぎる。


「……俺?」

 恒星くんが少しだけ苦笑する。

「うん」

「一回着るだけ」

「サイズ合いそうだし」

「お願い」

 周囲の圧に押される形で、恒星くんは小さく息を吐いた。

「じゃあ、一回だけ」

 その返事に、わっと空気が明るくなる。


 私はそのざわめきの中で、どうしていいか分からず、目の前の紙を見つめていた。

 見たい。

 でも見たくない。

 見たらたぶん本当に無理になる。


「朝比奈さん」

 隣の席の女子が笑いながら言う。

「なんか顔赤くない?」

「え」

「暑い?」

「……た、たぶん」

 我ながら苦しい言い訳だった。

 でも、まさか“彼氏の執事服を想像しただけで理性が危ないです”なんて言えるわけがない。


   ◇ ◇ ◇


 数分後。

 特別教室の奥にある簡易更衣スペースのカーテンが開いた瞬間、私はほんとうに息を止めた。


 黒の執事服。

 きっちりしたベスト。

 白いシャツ。

 細いタイ。

 そして、全部を当たり前みたいに着こなしている恒星くん。


 似合う、なんてものじゃなかった。

 ずるいくらい、自然だった。


「うわ、やば」

「似合いすぎ」

「もうこれ採用じゃん」

 クラスメイトたちの声が遠く聞こえる。

 私はその場にちゃんと立っているはずなのに、ちょっと足元が危うかった。


 だめだ。

 これはだめだ。

 学校で見せていい格好じゃない。

 少なくとも私の心臓に対しては。


 恒星くんが周囲の反応に少し困ったように笑う。

 でもその笑い方まで執事服に合ってしまうのが最悪だった。


「……」

 思わず視線を逸らした。

 無理。

 ちゃんと見たら本当に無理だ。


「朝比奈さん」

 さっきの女子が、また楽しそうに言う。

「どう?」

「……え」

「一条くん、似合うよね?」

「……」

 そこで黙ったら余計に怪しい。

 でも、今の私は普通の顔で“そうだね”なんて言える状態ではなかった。


「……似合う、と、思う」

 どうにかそれだけ言うと、女子は満足そうに笑った。

「だよねー」

 だよね、じゃない。

 そんな軽く済む破壊力ではない。


 そのとき、不意に恒星くんと目が合った。

 彼は一瞬だけ目を細める。

 その表情には、たぶん少しだけ“分かってる”が混ざっていた。


 ――ああ、終わった。


 たぶん今の私は、かなり分かりやすい顔をしている。


   ◇ ◇ ◇


 試着が終わって、恒星くんが元の服に戻ったあとも、私はしばらく正常に戻れなかった。


 資料を配る手が少し遅れる。

 ペンを持つ指先に妙な力が入る。

 ひまりがいない場でこれなのだから、いたら絶対にもっとひどかった。


 片づけの途中、恒星くんが近くに来て小さく言った。


「栞」

「……何」

「今」

「……」

「だいぶ大変そう」

「……誰のせいですか」

 小さく抗議すると、恒星くんは少しだけ笑った。

「俺?」

「そうです」

「そっか」

「……」

「でも、あの反応」

「……」

「かなり嬉しかった」

 私は思わず資料の束を持ち直した。

 そういうことを、こんな近い距離でさらっと言うのは本当にやめてほしい。


「……恒星くん」

「何」

「学校です」

「知ってる」

「文化祭準備中です」

「知ってる」

「……」

「でも」

 少しだけ声を落とす。

「栞がああいう顔するの、好きだから」

 その一言で、また心臓がだめになりそうになる。


 好きだから。

 好きな人が、ああいう格好をして。

 しかも自分の反応まで好きだと言ってくる。

 それはもう、どうしろというんだろう。


「……見すぎです」

「見てた」

「……」

「栞が、ちゃんと困ってたから」

「……ほんとに最悪」

「褒め言葉?」

「違います」

 そう言ったのに、たぶん声にはちょっとだけ笑いが混ざっていた。


   ◇ ◇ ◇


 片づけが終わって、校門を出る。

 学校の外へ出た瞬間、空気が少しだけ変わる。

 それだけで、私はようやくまともに息ができるようになった。


「……疲れた」

 思わず本音がこぼれる。

「うん」

「何でそんな普通なんですか」

「何が」

「執事服」

「いや、試着しただけだけど」

「試着しただけであれは反則です」

 そう言うと、恒星くんは少しだけ目を細めた。


「そんなに?」

「……」

「うん?」

 私はしばらく黙って、それでも結局認めるしかなかった。


「……かなり」

 小さく答えると、恒星くんがほんとうに嬉しそうに笑う。


「それ、かなりうれしい」

「またそれ」

「だって本当に」

「……」

「栞、今日ずっと大変そうだった」

「誰のせいだと思ってるんですか」

「俺?」

「そうです」

「そっか」

 その“そっか”が、どうしようもなく機嫌のいい人の声で、私は思わずため息をついた。


 でも、そのため息の奥に、少しだけ笑いが混じる。

 困る。

 恥ずかしい。

 でも、嫌じゃない。

 むしろ、ああいうふうに揺さぶられてしまう自分を、少しだけ好きになってきている。


「ねえ」

 恒星くんが言う。

「何」

「文化祭当日、本当にあれ着るかもしれない」

「……」

「どうする?」

 その問いに、私は一瞬だけ言葉を失った。

 どうする、って。

 私が決めることじゃない。

 でも、もし本当にあれを着るなら、文化祭当日の私はたぶんかなり大変なことになる。


「……理性を捨てないように頑張ります」

 そう答えると、恒星くんは声を立てずに笑った。

「うん」

「笑わないでください」

「ごめん」

「全然ごめんって思ってない」

「うん」

「……」

「でも、そういう栞、かわいいから」

 私はもう、それ以上何も返せなかった。


 彼氏の執事服なんて、文化祭前に見せられたら理性がもちません。

 そしてたぶん、これで終わりじゃない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ