第72話 家柄の合う女の子は、私が怖がっているもの全部を持っていた
家に帰ってからも、私はずっと澄香さんのことを考えていた。
嫌な人ではなかった。
むしろ、上品で、物腰もやわらかくて、敵意も露骨じゃない。
たぶん、悪役みたいな人ではない。
でも、それが余計につらかった。
だって彼女は、私が怖がっているものを全部、自然に持っていたからだ。
家柄。
立ち居振る舞い。
恒星くんの世界の空気に馴染む感じ。
あのホテルラウンジみたいな場所にいても、たぶん少しも浮かないのだろうと思わせる雰囲気。
私はそこに、自分が持っていないものを全部見てしまった。
「……勝てない、って思うのかな」
ベッドの上で小さくつぶやく。
でも、それは恋の勝ち負けというより、もっと根の深い劣等感だった。
私はああいう世界の人じゃない。
たぶんこれからも、簡単にはなれない。
そういう現実を、今日は嫌でも見せられた気がした。
◇ ◇ ◇
翌朝、私は少しだけ眠そうな顔で教室に入った。
ひまりが一目で察する。
「おはよ」
「……おはよう」
「引きずってるね」
「……うん」
「澄香さん?」
私は小さく頷いた。
「……嫌いじゃないの」
「うん」
「でも」
「うん」
「たぶん、私が怖いと思ってるもの全部持ってた」
ひまりは少しだけ目を細めた。
「そっか」
「……」
「それ、つらいね」
「……うん」
たったそれだけなのに、少しだけ泣きそうになる。
“つらいね”とそのまま言ってもらえると、今の気持ちがやっとちゃんと形になる。
「……比べちゃう」
私が言う。
「うん」
「だめだって分かってるのに」
「うん」
「どうしても」
ひまりは少しだけ黙ったあと、ストローを机に置いた。
「でも、一条くん、昨日そこ強めに否定したんでしょ」
「……うん」
「じゃあ、今は一条くんの言葉信じるしかない」
「……」
「栞が勝手に“勝てない”って結論出す方がだめ」
その言い方は少しだけきつかった。
でも、たぶん必要なきつさだった。
私は今、自分ひとりで勝手に線を引きかけている。
それは分かっている。
でも、分かっていても痛いのだ。
◇ ◇ ◇
午前中、私はあまり恒星くんの方を見られなかった。
見れば、たぶん気づかれる。
比較して、落ち込んで、自分で勝手に苦しくなっていることに。
でも、そんなのをこの人が見逃すわけがなかった。
三時間目のあと、廊下で呼び止められる。
「栞」
「……何」
「今」
「……」
「比較してる?」
直球だった。
私は息を止める。
そんなに分かるものなんだろうか。
「……少し」
嘘はつけなかった。
恒星くんは少しだけ目を伏せる。
それから、静かに言う。
「やめて」
「……」
「そこ並べられるの、本当に嫌」
昨日よりさらに強い口調。
でも、それは私を責める強さじゃない。
私の中の間違った比較を、はっきり否定する強さだった。
「栞が怖がるのは分かる」
「……」
「でも」
「……」
「澄香と栞を、“どっちが合うか”で見られるのが、俺は嫌」
その言葉に、私は顔を上げた。
恒星くんの表情は、本気だった。
「俺が選んでるのは栞」
「……」
「そこに“家の都合で見たら”みたいな条件つけて考えるの、やめて」
私は何も言えなくなった。
やめて、と言われたのに、不思議と押さえつけられる感じはしない。
むしろ、救われる。
彼がそこまで嫌がるくらい、私を“比較対象”にしたくないのだと分かるからだ。
「……ごめん」
小さく言うと、恒星くんはすぐに首を振った。
「謝らなくていい」
「……」
「ただ、そこはちゃんと信じて」
その一言が、深く刺さる。
信じて。
今の私にいちばん必要な言葉だった。




