第71話 “あなたが栞さん?”その一言で、恋の難易度がまた跳ね上がる
待ち合わせの駅を出てしばらく歩いてからも、私はまだ少しだけ固かった。
恒星くんはそれを分かっているのだろう。
いつもより静かで、無理に話しかけてこない。
でも、離れてもいかない。
その距離が逆にやさしくて、少しだけ苦しい。
「……従妹なんですか」
ようやくそれだけ聞くと、恒星くんはすぐに頷いた。
「うん」
「近いんですか」
「家同士は近い」
「……」
「小さい頃は会うことも多かった」
私はその言葉を聞いて、胸の奥が少しだけざわつくのを感じた。
小さい頃からの距離。
家同士の近さ。
そういうもの全部が、やっぱり“そちら側”の人間なのだと突きつけてくる。
「……さっき」
私は小さく言う。
「何」
「名前、聞いてたって」
「ああ」
「……」
「話したことはある」
その答えは誠実だった。
隠すでもなく、盛るでもなく。
だからこそ、余計に現実味がある。
「どういうふうに?」
気づけば、そんなことまで聞いていた。
自分で少し嫌になる。
でも聞きたかった。
恒星くんは少しだけ考えてから答える。
「好きな人がいる、って」
「……」
「名前も」
「……」
「ちゃんと」
その言葉に、私は一瞬だけ息を止めた。
好きな人がいる。
名前も、ちゃんと。
それはつまり、私の存在が、彼の家の近くにいる人間たちの間でも“ただのクラスメイト”ではないということだ。
嬉しい。
たしかに嬉しい。
でも、その嬉しさの中に、新しい緊張も混じる。
「……やっぱり」
私は小さく言った。
「何」
「恒星くんの世界って、近いようで遠い」
そのつぶやきに、恒星くんは少しだけ目を伏せた。
「そう思わせたよね」
「……」
「でも」
彼は私を見る。
「澄香は、俺の家の人間ではあるけど」
「……」
「俺が選んでる相手が誰かを、確認したかっただけだと思う」
確認。
その言葉が、妙に胸に残る。
「……確認」
「うん」
「私を?」
「たぶん」
私は少しだけ息を吐いた。
そうか。
やっぱり、そういう段階に少しずつ入っているのだ。
ただ好きでいるだけでは済まない、“周り”の目がこちらに向き始める段階に。
「……怖い?」
恒星くんが聞く。
私は少しだけ迷って、それでも頷いた。
「……少し」
「うん」
「でも」
「うん?」
「逃げたい、とは思ってない」
その言葉に、恒星くんの表情が少しだけやわらいだ。
「うん」
「それでいい」
その言い方に、私は少しだけ救われる。
◇ ◇ ◇
その日のデートは、昨日までの“秘密っぽい甘さ”とは少し違う空気になった。
でも、完全に壊れたわけでもなかった。
静かなカフェで向かい合って座っているとき、恒星くんがぽつりと言う。
「さっきのこと」
「……うん」
「ごめん」
「何回も謝らなくていい」
「でも」
少しだけ苦笑する。
「栞、だいぶ緊張した顔してたから」
私はカップを持ったまま目を伏せた。
「……だって」
「うん」
「ああいう人が」
「うん」
「自然に隣にいると」
「……」
「やっぱり、少しだけ比べる」
そこまで言ってしまってから、自分で少しだけ後悔する。
でも、恒星くんは笑わなかった。
「比べなくていい」
「……」
「そう言われても、する」
私が小さく返すと、恒星くんは少しだけ黙った。
それから、低い声で言う。
「じゃあ」
「……」
「比較してるなら、今すぐやめて」
初めて聞くくらい、少しだけ強い口調だった。
私は思わず顔を上げる。
恒星くんは真剣だった。
怒っているわけじゃない。
でも、譲らない顔をしている。
「澄香は澄香」
「……」
「栞は栞」
「……」
「そこを並べて考えるの、俺は嫌だ」
その言葉が、胸の奥に重く落ちた。
嫌だ。
彼がそこまではっきり言うのは、たぶんそれだけ本気で線を引きたいからだ。
私はその強さに、少しだけ呼吸を忘れた。




