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憧れの御曹司が、なぜか私にだけ甘すぎる。けれど私はまだ、あの日の男の子だと気づけない  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第70話 彼氏の隣に知らない美少女がいる朝は、心臓に悪すぎる

「あなたが栞さん?」


 その一言で、私の頭の中にあった“二人だけの甘い待ち合わせ”は、きれいに吹き飛んだ。


 目の前の女の子は、きれいだった。

 同年代くらいに見えるのに、空気のまとい方がもう少し大人びている。

 上品、という言葉がたぶんいちばん近い。

 姿勢がよくて、微笑み方まで整っていて、しかもその整い方が嫌味じゃない。


 そして何より。

 恒星くんの隣にいることが、不自然じゃない。


 それが、私の胸の奥をひやりとさせた。


「……え」

 情けない声しか出ない。

 恒星くんがすぐに一歩こちらへ寄った。


「栞」

「……何」

「先に言えなくてごめん」

 その時点で、私は少しだけ察した。

 つまり、この状況は事故ではあるけれど、完全な他人ではないのだ。


 女の子はそんな私をじっと見てから、少しだけ首をかしげる。

「ごめんなさい、びっくりさせたわよね」

 声まできれいだった。


「こちら、従妹の一条澄香」

 恒星くんが言う。

「今日たまたま用事の帰りが重なって、ここで会った」

 従妹。

 その言葉に、私はほんの少しだけ呼吸を取り戻した。


 完全な赤の他人でもなければ、婚約者候補そのものというわけでもないらしい。

 でも、安心が全部戻るわけでもなかった。


「澄香です」

 彼女は上品に会釈する。

「はじめまして、朝比奈栞さん」

「……は、はじめまして」

 私はたぶん、かなりぎこちなく頭を下げた。


 澄香さんは少しだけ口元をゆるめた。

「恒星から、名前だけは聞いていたの」

 その一言に、胸がまた少し跳ねる。

 名前だけは聞いていた。

 つまり、私のことを、彼はちゃんと周囲に話している。


 でも、その嬉しさよりも今は、場違いな緊張の方が強かった。


「ちょうど別れるところだったのよ」

 澄香さんが言う。

「邪魔してしまってごめんなさい」

「いや」

 恒星くんがすぐに言う。

「今から出かけるところだから」

 その“今から出かける”に、私の心臓はまた別の意味でうるさくなる。

 そうだ。

 これはデートの待ち合わせだったのだ。


 澄香さんはその言い方を聞いて、少しだけ目を細めた。

「そう」

 何気ない一言なのに、なぜか意味深に聞こえる。


「あなたが栞さんなのね」

 もう一度、彼女がそう言う。

 今度は、確かめるみたいに。

 私は何も言えず、小さく頷いた。


「また近いうちに会うかもしれないわ」

 澄香さんはそう言って、小さく笑った。

 敵意ではない。

 でも、余裕がある。

 その余裕が、今の私には少しだけこわい。


 彼女は最後に恒星くんへ「また連絡するわ」と言って、そのまま駅の反対側へ歩いていった。

 背筋の伸びたきれいな後ろ姿が、人の流れに紛れていく。


 私は、しばらくその場で動けなかった。


   ◇ ◇ ◇


「……栞」

 恒星くんが静かに呼ぶ。

「……何」

「びっくりしたよね」

「……うん」

「ごめん」

 私は少しだけ視線を落とした。


 従妹。

 それだけなら、本当はもっとすぐに落ち着けてもいいのかもしれない。

 でも、そうじゃない。

 たぶん私は、彼女の雰囲気そのものに揺れていた。


 上品で。

 余裕があって。

 明らかに“そちら側”の人で。

 私よりずっと、恒星くんの世界に自然に見えた。


「……行く?」

 恒星くんが少しだけ遠慮がちに聞く。

 私は一瞬だけ迷って、それから頷いた。

「……うん」

 ここで帰るのも違う気がした。

 怖いけど。

 でも、逃げたくはなかった。


 私たちは並んで歩き出した。

 でも、さっきまで想像していた“秘密の待ち合わせの甘さ”は、いったん全部どこかへ行ってしまっていた。

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