第67話 “付き合ってるの?”の一言は、恋を秘密のままではいさせてくれない
その日の昼休み、私は教室へ戻る前の廊下で、ひまりの声が少しだけ低くなっているのを聞いた。
「いや、別に」
「でもさー」
「だから、そういうの本人に聞くのやめなって」
何だろうと思って教室の扉の手前で立ち止まる。
中からは、女子二人の少しだけ弾んだ声が聞こえてきた。
「だって気になるじゃん」
「最近、なんかあの二人さ」
「付き合ってるの?」
胸の奥が、一瞬だけどくんと鳴った。
私はその場で動けなくなった。
ひまりの返事がすぐに返る。
「知らないよ」
「絶対知ってるでしょ」
「知ってても言わないし」
「えー」
「ていうか、人の恋愛に首突っ込みすぎ」
ひまりの声は軽い。
でも、ちゃんと線を引いてくれているのが分かった。
私はそのまま、少しだけタイミングをずらして教室へ入った。
ひまりと目が合う。
彼女は一瞬だけ、気づいた、という顔をして、それからいつもの顔に戻った。
女子二人も、私に気づいて少しだけ会話を止める。
その沈黙だけで十分だった。
ああ、やっぱりもう、そういう段階なのだと分かる。
◇ ◇ ◇
昼休みが終わってすぐ、私はひまりに屋上手前の階段踊り場へ引っ張られた。
「聞こえた?」
「……うん」
「ごめんね、もっと上手くかわしたかったけど」
「ううん」
私は首を振った。
「ひまりが悪いわけじゃない」
「まあ、でも来るよね、こういうの」
ひまりは壁にもたれながら、小さく息をつく。
「最近の一条くん、わりと隠してないし」
「……」
「栞も顔に出るし」
「……」
「で?」
「何」
「どう思った」
私はしばらく黙ってから答えた。
「……秘密のままじゃ、いられないんだなって」
「うん」
「それが、ちょっとだけ」
「うん」
「思ってたより早かった」
ひまりは少しだけ目を細める。
「そっか」
「……」
「でもさ」
彼女は私を見る。
「完全に隠したい?」
その問いに、私はすぐには答えられなかった。
隠したい。
そう思う部分もある。
私たちの空気は、まだ少しだけ二人だけのものとして大事にしていたいから。
でも、それと同時に。
今さら“何もありません”みたいな顔をして全部切り離すのも違う気がしていた。
「……分かんない」
小さく言う。
「うん」
「ただ」
「うん」
「みんなに全部見せたいわけじゃない」
「うん」
「でも、恒星くんとのことを、嘘みたいにしたくもない」
そこまで言うと、ひまりは少しだけやわらかく笑った。
「それ、かなり真っ当」
「そうかな」
「そうだよ」
彼女はあっさり言う。
「ちゃんと大事にしてるから、そうなるんでしょ」
私は何も言えなかった。
でも、心の中では少しだけその言葉に救われていた。
◇ ◇ ◇
放課後。
校門の外で恒星くんと合流すると、私は少しだけいつもより無口だった。
たぶん、昼のことがまだ残っていたのだと思う。
「栞」
「何」
「今日、なんかあった?」
歩きながら聞かれて、私は少しだけ目を伏せた。
「……」
「顔、ちょっと違う」
「……」
「話したくなかったら無理に聞かないけど」
その言い方がやさしくて、私は少しだけためらったあと、正直に言った。
「昼休みに」
「うん」
「クラスの子が」
「うん」
「……付き合ってるの、って」
恒星くんが一瞬だけ黙る。
その沈黙に、私は自分の心臓の音を聞いた気がした。
「そっか」
「……うん」
「それで?」
「……」
「いやだった?」
私は少し考えて、それから首を振る。
「いや、っていうか」
「うん」
「びっくりした」
「……」
「あと」
「うん」
「秘密のままじゃいられないんだなって思った」
そう言うと、恒星くんは少しだけ目を伏せた。
それから、小さく息を吐く。
「俺」
「……」
「たぶん、思ってたより隠してない」
私は少しだけ苦笑した。
「……うん」
「やっぱり?」
「だって」
「うん」
「私を見るとき、分かりやすすぎる」
そこまで言うと、恒星くんが少しだけ笑った。
「それは、ごめん」
「全然ごめんって思ってない」
「うん」
「……」
「でも、たしかに」
「うん」
「いっそ隠さない方が楽なのかなって、ちょっと思った」
その言葉に、私は思わず足を止めそうになった。
隠さない。
それは、ひとつの答えだ。
堂々とする、ということ。
でも今の私には、その言葉はまだ少しだけ大きすぎた。
「……恒星くん」
「うん」
「私」
「うん」
「そこまで、まだ追いついてない」
「……」
「ごめん」
そう言うと、恒星くんはすぐに首を振った。
「謝らなくていい」
「……」
「ただ、聞いてみただけ」
「……」
「栞がどう思うか、知りたかったから」
その言い方が静かで、私は少しだけ肩の力を抜いた。
いきなり決めなくていい。
でも、考えることからは逃げられない。
それが今の私たちの段階なのだと思った。




