第64話 恋人だからじゃない。未来でも隣にいてほしいから好きなんだ
昨日の“入ってる”という言葉だけでも、十分だったはずだ。
でも、翌日の私は、まだその余韻の中にいた。
あたたかいのに、少しだけ信じるのが怖い。
そんな感覚。
それはたぶん、今まで“好き”を失う想像ばかりしてきたせいだと思う。
うれしい言葉をもらっても、どこかでまだ“ほんとうに?”と確かめたくなる。
でも、その“確かめたい”にきちんと向き合ってくれるのが、恒星くんだった。
◇ ◇ ◇
放課後、昨日と同じベンチ。
私は座った瞬間に、彼の顔を見て分かった。
今日は、向こうも何かを決めている。
「栞」
「何」
「昨日の続き、していい?」
私は少しだけ緊張しながら頷いた。
「……うん」
恒星くんは少しだけ息を整えてから、まっすぐ言った。
「昨日、“未来に入ってる”って言ったけど」
「……」
「それ、恋人だから言ったわけじゃない」
私は少しだけ目を見開く。
「……」
「今付き合ってるから、なんとなく未来も一緒って、そういう軽い意味じゃない」
「……」
「栞だから」
声が低い。
でも、揺れない。
「未来でも隣にいてほしいと思う」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締まる。
「今の関係を守りたいから、じゃなくて」
「……」
「その先でも一緒にいたいから好きなんだ」
私は息を止めたまま、彼を見ることしかできなかった。
ああ、と思う。
この人は本当に、逃げないのだ。
私が怖くて聞けなかったところまで、自分からちゃんと言葉にしてくれる。
「……恒星くん」
「うん」
「それ」
「うん」
「私、かなり弱いです」
「知ってる」
「……」
「でも、だから言ってる」
彼は少しだけ近づく。
「家とか、周りとか、そういうものがあるのは本当」
「……」
「でも」
「……」
「それがあるからって、栞を手放す理由にはならない」
その言葉が、私の中の一番こわいところに、まっすぐ届いた。
手放す理由にはならない。
その言い方が、どうしようもなく安心をくれる。
「……私」
声が少しだけ震える。
「逃げたくない」
「うん」
「でも、怖いのはまだある」
「うん」
「それでも」
私は息を吸う。
「隣にいたい」
そう言った瞬間、恒星くんの表情がゆっくりほどけた。
「うん」
「……」
「それで十分」
「……」
「いや」
彼は少しだけ首を振る。
「十分以上」
そのあと、私は彼に抱きしめられた。
前より少しだけ強い抱擁。
でも、苦しくない。
むしろ、ほどけそうだった心がちゃんと留まる感じがする。
「……好きだよ」
耳元でそう言われて、私はとうとう目を閉じた。
「私も」
小さく返す。
「好き」
言葉にすると、少しだけ震える。
でも、今の“好き”は前よりずっと落ち着いていて、ずっと深い気がした。
少しして、恒星くんがそっと体を離す。
すぐ近くで私を見る。
「……栞」
「何」
「今、キスしたい」
私は一瞬だけ息を止める。
額でも、頬でもなく。
その言い方の意味は、もう分かる。
怖い、がゼロになったわけじゃない。
でも今は、その怖さより、彼を信じたい気持ちの方が強かった。
私は小さく頷いた。
その瞬間、恒星くんの目がやわらぐ。
やわらかくて、短くて、でもちゃんと意味のあるキスだった。
甘い。
苦しい。
でも、前よりずっと安心して受け止められる。
離れたあと、私はまともに顔を上げられなかった。
でも、嫌じゃない。
むしろ、胸の奥がじんわりあたたかい。
「……ずるい」
小さくつぶやくと、恒星くんが少しだけ笑った。
「知ってる」
「……」
「でも、本気」
その言葉に、私はまた何も言えなくなる。
でももう、逃げたいとは思わなかった。




