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憧れの御曹司が、なぜか私にだけ甘すぎる。けれど私はまだ、あの日の男の子だと気づけない  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第23話 みんなの前では平気な顔をして、二人きりだと甘すぎる

最近、私はひとつ困っていることがある。


 一条恒星の“顔”が、場所によって少し違うのだ。


 学校中の人が見ているところでは、彼はいつも通りだった。

 礼儀正しくて、穏やかで、誰に対しても丁寧で、少し近寄りがたいくらい整っている。

 いわゆる“学校の王子様”そのもの。


 でも、二人きりになると、そこに少しだけ別のものが混ざる。


 声が少し低くなる。

 目が少しやわらかくなる。

 距離が少し近くなる。

 そして、言葉が甘くなる。


 その差が最近、前よりずっと分かるようになってしまった。


 分かるようになってしまったから、困っている。


「おはよ」

 教室に入ると、ひまりが例によってすぐに私の顔を見た。

「……おはよう」

「今日もいい感じに恋してる顔」

「やめて」

「でもほんとじゃん」

 ひまりは私の前の席に座って、机に頬杖をつく。

「最近の栞、表情が前よりやわらかいもん」

「……そんなことない」

「あるよ」

「ない」

「ある」

「ひまり」

「何」

「朝から元気すぎる」

「栞が分かりやすすぎる」


 私はため息をついて、鞄からノートを出した。

 でも、ひまりの言葉が完全に外れているわけでもないのが悔しい。


 昨日だって、帰り道ずっと考えていたのだ。

 彼が皆の前で見せる顔と、二人きりのときの顔が違うことを。


 それは、私だけが知っている彼の表情なのだろうか。

 そう思うと、少しだけうれしい。

 でも同時に、その“私だけ”を意識してしまう自分が恥ずかしい。


「ねえ」

 ひまりが急に声を落とした。

「何」

「今日、また一条くんとイベント後処理?」

「……たぶん」

「そっか」

 ひまりがにやっとする。

「じゃあ今日も二人きりの甘いやつあるね」

「決めつけないで」

「あるでしょ」

「……知らない」

「でも期待はしてる」

「してない」

「はい嘘」

 否定しようとして、私はやめた。


 期待していないわけじゃない。

 でも、その期待を認めると、自分の中でまた何かが進んでしまう気がして怖いのだ。


 そのとき、教室の入り口の方が少しざわついた。


 私はもう、反射みたいにそちらを見てしまう。


 一条恒星が入ってきた。


 いつも通り、きれいで、整っていて、朝の教室の空気を少し変える人。

 でも私が彼を見るとき、最近はそれだけじゃない。

 目が合ったとき、ほんの少しだけ表情がやわらぐかどうかを、先に見てしまう。


 そして今日も、ちゃんとそれはあった。


「おはよう」

 彼が私の席の近くまで来て言う。


「……おはよう」

 私も返す。


 その一往復だけなら、誰が見ても普通だ。

 でも、彼の目がほんの少しだけ甘く見えるのは、たぶん気のせいじゃない。


「今日、放課後少し時間ある?」

 ごく自然な声でそう聞かれて、私は一瞬だけ固まる。

「……後処理?」

「うん。それもある」

「それも」

「少し話したい」

「……」

「だめ?」


 教室の中だ。

 周囲に人がいる。

 それなのに、最後の“だめ?”だけ、妙に二人きりみたいな響きで言う。


 私はとっさに視線を逸らした。


「……後処理が終わったら」

「うん」

「少しだけなら」

「ありがとう」


 彼はそれだけで、少し満足したみたいに笑った。

 その笑顔がもう“学校の王子様”のものより、私の知っているやわらかい方に近くて、私は朝からまた落ち着かなくなる。


   ◇ ◇ ◇


 午前中は、委員会からの回収物の整理や先生への提出物で、意外と慌ただしかった。


 そのおかげで余計なことを考える暇がない――はずだったのに、廊下ですれ違うたび、教室の向こうで話しているのが見えるたび、私はつい一条くんの方を意識してしまう。


 しかも厄介なことに、彼はそういう人前ではいつも通りなのだ。


「先生、こっちはこの順でいいですか」

「ありがとうございます」

「大丈夫です、こちらで対応します」


 誰に対しても丁寧で、少し距離があって、きれいに微笑む。

 その姿を見ていると、改めて“やっぱり遠い人だ”と思う瞬間もある。


 なのに。


 昼休み、廊下の端で資料束を抱えて少し手間取っていた私に気づくと、彼は一瞬でこちらへ来た。


「貸して」

「……持てます」

「知ってる」

「じゃあ」

「でも、落としそう」

「……」

「朝比奈さん」


 低い声。

 ほんの少しだけ甘い目。


 それはさっきまで先生に向けていた顔とはまるで違っていて、私は思わず息を止める。


「今の顔、完全に無理してる」

「……してません」

「してるよ」

「……」

「ほら」


 彼は私の返事を待たずに、資料の半分を持った。

 周囲には他の生徒もいるのに、その動作に迷いがない。


「ありがと、ございます」

 どうにかそう言うと、彼は小さく笑った。

「教室の外だと敬語増えるね」

「……」

「緊張してる?」

「してません」

「してる」

「……」

「でも、その顔ちょっと好き」

「一条くん」

「はい」

「今、人います」

「知ってる」


 知ってるならどうしてそんなことを言うんだろう。

 私は資料束の端をつかんだまま、もうそれ以上何も言えなかった。


 彼はふっと口元をやわらげる。

 その表情が、やっぱり“みんなに見せる顔”とは違う。


 ひまりの言う通りだ。

 私だけが知ってしまったものが、少しずつ増えている。


   ◇ ◇ ◇


 放課後。


 予定通り、私は交流イベントの後処理で準備室へ向かった。

 廊下の先に見える窓は夕方の光で薄く橙色に染まっていて、校舎の中も少しずつ静かになってきている。


 準備室の扉を開けると、恒星はもう来ていた。

 机の上に名簿や報告書を広げて、何かを書き込んでいる。


 私に気づくと、彼の表情がふっとほどけた。


「来てくれた」

「……行くって言ったので」

「うん」

「後処理は何ですか」

「こっちの参加記録と、アンケート集計の仕分け」

「……」

「あと」

「あと?」

「少しだけ、話す」


 その“話す”の言い方が、昼間の教室とはもう全然違う。


 同じ人なのに、どうしてここまで違って見えるんだろう。

 いや、違って見えるんじゃなくて、本当に少し違うのかもしれない。

 二人きりのときの彼は、たぶん少しだけ、隠さない。


 私は机の向かいに座って、報告用紙を手に取った。

「何の話ですか」

「今日、気になったこと」

「……」

「朝比奈さん、人前だとちょっと距離取るよね」

 心臓が、どくんと鳴る。


 そんなところまで見ていたのか。

 というか、見られていたのか。


「……」

「困らせたいわけじゃない」

 彼は静かに続けた。

「でも、二人きりのときと違うから、少し気になる」

「……違うのは」

 私は視線を紙に落としたまま言う。

「当たり前です」

「どうして?」

「どうしてって……」

 そんなの、決まっている。


「みんなの前だと」

 私は小さく息を吸った。

「目立つし」

「うん」

「近いって思われたら、またいろいろ言われるし」

「うん」

「あと」

「あと?」

「……私が、持たないので」

「……」


 言ってしまってから、顔が熱くなる。

 でも彼は笑わなかった。


「持たない?」

「……」

「何が」

「……心臓」

 そこまで言うと、恒星はほんの少しだけ目を伏せて笑った。

 嬉しそうなのに、どこか困っているみたいでもある。


「それ、かなりかわいい」

「そういうの、二人きりだとすぐ言う」

「そう?」

「そうです」

「たしかに」

 彼は少しだけ首をかしげる。

「外だと我慢してる分、二人だと少し甘くなるかも」

「……」

「だめ?」


 だめ、なわけがない。

 でも、いい、とも言えない。


 私は小さくため息をついて、報告書の角をそろえるふりをした。

「……ずるいです」

「また?」

「だって」

 私は顔を上げて、彼を見る。

「そういうの、私だけが知ってるみたいで」

「うん」

「……余計に意識するから」

 言った瞬間、準備室の空気が少しだけ変わった。


 恒星は私を見たまま、少しだけやわらかく笑う。


「知っててほしいよ」

「……」

「俺のそういう顔」

「……」

「栞だけに」


 私は息を呑んだ。


 だめだ。

 これはほんとうにだめだ。


 私だけに。

 そんなの、いちばん甘くて、いちばん危ない言葉じゃないか。


「……一条くん」

「うん」

「今、たぶんすごくずるいです」

「知ってる」

「知ってるんだ」

「でも、本音だからやめられない」

「……」


 もう、本当に返す言葉がない。


   ◇ ◇ ◇


 作業をしながらも、準備室の空気はずっと少し甘かった。


 机の上で資料を揃える指先がたまに近づく。

 同じページを見ようとして、自然に肩が寄る。

 そのたびに私は内心で大騒ぎしているのに、彼は平気そうな顔をしている。


 ……いや、平気そうに見えるだけかもしれない。

 よく見ると、目元はやわらかいし、私が少しでも反応するとすぐに嬉しそうになる。


 そういうところも、私だけが知っているのだろうか。


「ねえ」

 恒星が小さく言う。

「何ですか」

「今日、人前で距離取られるの、ちょっとだけさみしかった」

「……」

「でも、ここに来たらちゃんと近いから安心した」

「……」

「そういうの、たぶん顔に出てる?」

 その問いに、私は少しだけ笑ってしまった。

「……出てます」

「やっぱり」

「かなり」

「そっか」

「一条くん、意外と隠せてないです」

「栞の前では、わりとだめかも」

「……」

「嬉しいとすぐ顔に出る」

「……知ってます」

「見てるね」

「……見るって決めたので」

 私がそう言うと、彼は少しだけ黙って、それから本当にやわらかく笑った。


「それ、何回聞いても好き」

「……」

「ごめん、また甘い?」

「かなり」

「じゃあ、もう少しだけ我慢する」

「……できるんですか」

「今は栞の顔見てるから、あんまり自信ない」

「……」

「困ってる?」

「困ってます」

「でも帰らない」

「……帰りません」

「それも嬉しい」


 私はもう、半分くらい諦めていた。

 この人は二人きりになると、ほんとうに少しだけ甘い。

 いや、“少しだけ”ではないかもしれない。

 私が耐えられるぎりぎりのところを、ちゃんと知っていて、そこだけ攻めてくる感じがする。


 だからたちが悪いのだ。


   ◇ ◇ ◇


 作業が終わって、準備室を出る前。

 恒星がふいに言った。


「栞」

「……何」

「今、呼ぶの慣れた?」

「……慣れてません」

「ほんとに?」

「ほんとに」

「でも、前よりちゃんと返事してくれる」

「……それは」

「うん」

「もう、無視できないから」

「……」

「呼ばれるたびに、すごく意識するけど」

「うん」

「でも、返事しない方がもっと意識するので」

 言ってしまってから、私は少しだけ顔を伏せた。


 こんなの、かなり本音だ。

 名前で呼ばれるたびに心臓は苦しい。

 でも、そのたびに無視する方が、もっと苦しい。


 恒星は静かに息を吐いた。

 それから、ごく小さな声で言う。


「それ、うれしい」

「また」

「だって、本当に」

「……」

「名前呼ぶだけでこんなに近くなるんだって、最近ずっと思ってる」


 私はその言葉に、ほんとうに何も言えなくなった。


 名前を呼ぶ、それだけ。

 でも、その“それだけ”が、こんなに恋を近くする。


 苦しい。

 でも、甘い。


 準備室を出て、並んで廊下を歩く。

 夕方の校舎は静かで、私たちの足音だけが小さく響いていた。


「いつか」

 恒星がぽつりと言う。

「……うん?」

「栞の方からも呼んで」

「……」

「人がいないときでいいから」


 私は少しだけ目を見開いて、でもすぐに視線を落とした。


 それはこの前、自分で言った条件だ。

 いつか、人がいないときに。

 あのときの私は勢い半分だったのに、彼はちゃんと覚えている。


「……忘れてないんですね」

「忘れるわけない」

「……」

「楽しみにしてる」

「……そういうの、プレッシャーです」

「ごめん」

「全然ごめんって顔してない」

「うん、してないかも」

 私はもう、小さく笑うしかなかった。


   ◇ ◇ ◇


 帰り道、駅までひとりで歩きながら、私は今日のことを思い返していた。


 みんなの前では、彼はいつも通りだ。

 丁寧で、礼儀正しくて、少し遠い。


 でも二人きりだと、言葉が甘くなる。

 顔がやわらかくなる。

 そして、私だけに向けるものがあると分かる。


 それが、たまらなくうれしい。


 うれしいのに、まだ少し怖い。

 でも、その怖さも最近は甘さに混ざってきている。


「……ほんとに、ずるい」


 小さくつぶやいて、私は眼鏡の位置を直した。


 私だけが知ってる顔。

 私だけに少し甘い声。

 そんなものを積み重ねられたら、好きにならない方が難しい。


 もうたぶん、かなり手遅れなのだと思う。

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