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フェルバラック Ⅵ

 

 ベッドでこんこんと眠り続ける聖女様を何日も見守って、ようやく彼女が目を覚ましたのは――一週間も経ったころだった。








 そろりと瞼を開けた聖女様に、その手を握っていたオーウェンが身を起こす。


「ルナ……!」


 震えた声で呼びかけたオーウェンに、聖女様の透明な瞳が揺れる。


「オーウェン……」


 掠れた声に慌てて水差しを持っていく。相変わらず聖女様の顔は真っ白で、それはこの先もこのまま浄化の旅を続けても大丈夫なのかと心配になるほどだった。

 なにか――なにか、大事なことを忘れている気がする。なにかが頭の中で引っかかっているが、肝心のそれを思い出すことができない。なにか、なにか――なにを忘れているのかそれすらわからない、そんな頭の中がモヤモヤした状態が続いたまま、頭痛は解消されることなくどんどんひどくなっている。

 ここまで無事に浄化の旅を終えてきているというのに、私の心の中は日に日に不安が大きくなっていく。








 なんとか聖女様がベッドから起き上がれるようになった日。

 聖女様は当初オーウェンが話していた温室への訪問を希望された。

 この国に来て初めての聖女様の希望に、なんとか叶えてあげたいとオーウェンに切望される。私たち護衛全員で話し合って、それは滞在ももう終わろうという日――わずかな短時間でならという制約つきで叶った。


「ルナ、大丈夫? くれぐれも無理しないで、体調が変わったらすぐに言うんだよ」


 真っ白な顔で聖女様は微笑んで、エスコートするオーウェンの腕に手を添える。わずかに震えている手。微笑みながらも心配の色を隠さないオーウェンの瞳。二人の後を追いながら、このフェルバラック城の中庭に設置されている温室まで聖女様を厳重に護衛する。

 聖女様に冷たい雪が降りかからないか、周りに冷たい風が吹き抜けないか、彼女が歩く先の温度は適温か。細かい調整はライルに任せて、私はひたすら辺りに降りしきる雪風を炎の風で打ち払い続けていた。

 ……たしか残っている浄化の神殿ももうあと一つ。そこを乗り越えられればすべてが終わるはず。

 次の浄化さえ終われば聖女様は無事に役目を全うされる。そうしたらあとはオーウェンと幸せに満ち溢れた毎日を送ってもらえばいい。私はさっさとブライドンに帰って、そして再開したルイと約束していたケーキを食べに行って――。


「――きれいだね」


 震える声で紡がれた言葉に我に返る。

 いつの間にか温室へと着いていた。中に入ると環境が一変する。そこは私たちが心を砕かなくても心地よい温度に保たれていた。


「すごいなぁ、中はこんなに暖かいのに地面には雪が積もっている」


 オーウェンが感嘆の声を上げたとおり、中は室内のように暖かいというのに花壇には雪が降り積もり、そこからこの雪国特有の変わった種の花々が顔を覗かせていた。

 霜を被ったかのようなフロストリリー、目を奪われるほど深い青に雪の結晶のような模様のスノーローズ。大きな花々の隙間を埋めるようにちょこんと可愛らしい顔を覗かせているスノークリスタル。

 その後ろに茂っている木々は、限りなく深い緑の葉に金色の筋を振りかけられ、さながらそこはスノードームの中の世界のようだった。


「どれも見たことのないものばかりだ」


 聖女様のすぐ後ろに控えているブリジットさんも目を輝かせている。いつもこんなときはつまらなさそうに一歩引いているセヴランさんでさえ、興味深そうに辺りを見回していた。

 温室の中ほどまでゆっくりと歩いていくと、やがてベンチの備えられた小さな噴水が姿を現した。


「すごいこれ! どうなってるの!」


 オーウェンが思わずはしゃいだ声を上げたのも無理はない。通常水を吹き上げているはずの噴水は、しかしここではキラキラ光る細かな粉雪を辺りに舞い散らせていた。

 勢いよく吹き上がるまるでクリスタルのような粉雪は、そのままふわふわと辺りを漂うと地面に落ちて消えてゆく。不思議と寒くはない。ただなんともいえないほっとするような暖かな空気に包まれて、それでもスノードームの中で舞い散る光のような粉雪は、私たちを慰めるように辺りを漂っては消えてゆく。

 誰も、しばらくなにも言わなかった。


「――またここに来たいな」


 ぽつりと、聖女様が今にも消えそうな声で呟いた。


「またみんなでここに来ることができたら……」

「また来ようよ」


 ふらつく聖女様をベンチに座らせ、オーウェンが励ますように言う。


「この旅が終わればまたいつだって来れるよ! またみんなで、ソフィとライオネル君も、ブリジットも一緒に来るでしょ? セヴランは……まぁ気が向いたら」


 ブリジットさんと目を見合わせて、そして彼女は聖女様に向かって力強く頷いてみせた。セヴランさんは幸いにも困ったように頭をかくだけでなにも言及しなかった。


「ああ、またみんなで来よう」


 ライルも聖女様に向かって力強く頷く。少しの間黙りこくったあと、彼はぽつりと呟いた。


「……この光景をルイにも見せたかったな」


 ライルの淡い瞳は、感嘆だけでなくその光景を一番の友に残せなかった悔しさも滲ませていた。


「風景を切り取るような魔術具を開発しておけばよかった。まさか今になってそんな後悔をするとは。……ブライドンに戻ったらルイにも協力してもらって開発に着手してみるか」


 それはすごくいい考えに思えた。

 興味をそそられた様子の私に、ライルが束の間微笑む。


「君も興味あるだろう? もしもこの旅が終わったあとのことをなにも考えていないというのなら、君も一緒に製作してみないか。ノア先輩やクロエ先輩にもアドバイスを仰いで……世界で初めての魔道具をみんなで完成させるんだ。そして完成したそのときには、初めて風景を収めるその瞬間をぜひ君にお願いしたい。君が見た光景、その目に映して感じたこと、君が残しておきたいと思ったもの……そのすべてを大切にとっておきたいから」


 じんわりと体温の滲む手で、ライルは私の手をとった。


「この旅が終わったら。今度は二人で気ままな旅に出る。出来たての魔術具を持って、各地の景色を切り取りながら。……これが私たちだけの約束だ。二人だけの秘密。どうか大切に覚えておいてほしい」


 ほどける体温の上に落とされた、二人の約束。降りしきる粉雪が、その約束を覆い隠してゆく。

 ――この旅が終わったら、きっと約束を……。

 ゆっくりと、わずかに頷きを返す。ライルが驚いたように目を見開いて、そして――ふわりと花が綻んだように微笑んだ。

 今にも雪に溶けて消えてしまいそうな、それはそれはあまりにも儚くて壊れそうにきれいな笑みだった。








 出立日。

 馬車の準備も終わり、そろそろ挨拶をするからライルに声をかけてきてくれとブリジットさんに頼まれる。

 ライルは積み荷を積んでいたのか、リザベルと荷台の後ろにいた。


「……じゃあライルにとって、ソフィってどんな存在なんですか」


 聞こえてきた声に足が止まる。……よりによって、私の話をしている。


「なぜそんなことを出会ったばかりの君に言わなければならない」

「ソフィがライルの特別じゃないって言うのなら、私にだってライルの特別になるチャンスがまだありますよね?」


 なんで今そんな話をしてるんだ……。いや、今日この国を立ち去るからなのだろうけど。

 ライルを呼ばなければならない。でも今この場面で乱入してまで話の腰を折るほど私の心臓は強くない。


「……特別だ」


 私が葛藤しているうちに、絞り出すような声でライルはリザベルに返事をした。


「学院のころからずっと追いかけている。誰よりも特別な存在だ」


 その言葉に、胸が締め付けられるような妙な気持ちになった。例えば、そう……今まで感じたことのないような、でもこの旅を通して度々ライルが伝えてくれようとしてくれていた、それは……嬉しさといってもいいような温かさ、か。


「……だそうですよ、ソフィ」


 そのときリザベルがくるりと振り返ってきて、心臓が飛び出るほどに驚いた。


「い……え、いつ気づいて……」

「普通に気づいてましたよ。ソフィがまずったって顔をするところから」


 普通に最初からだ。なんだ、やっぱりすぐに声をかけておくべきだった。

 そんな私にリザベルは苦笑を浮かべた。


「ま、でもはっきり言ってもらえてよかったです。入る余地ないって思い知らせてくれたほうがさっさと次を狙えますからね」


 案外とリザベルはあっさりとしていた。納得したようにそう言うと「ライルに用があるんでしょう。私も呼ばれてますし、先に失礼しますね」とリザベルは駆けていこうとして、私のそばで立ち止まった。


「勘違いしないでくださいね。こう見えて腑に落ちてはいるんですよ。ライルがなぜそんなにあなたばっかり見てるのか。浄化のときにあなたの魔術を目の当たりにして……正直、私も見惚れちゃいましたから」


 煌めく目をいたずらっぽく細めたリザベルは同性から見ても魅惑的で、思わずドキッとする。


「なぜライルがそんなにもソフィから目が離せないのか、同じ魔術師としてちょっとわかった気がします。私も願わくばもう一度……あなたのそのまっすぐな魔術が鮮やかに展開されるところを見てみたいです。だからもしもう一度フェルバラックに来ることがあれば、そのときは私のためだけに……思いっきりソフィの魔術を見せてくださいね!」


「楽しみにしてます!」とウインクしながら、今度こそ軽やかな足取りで離れていったリザベル。

 残された私たち。ライルは気まずそうに俯いて、少し赤く染まった頬を隠した。


「別に……いつも君に伝えていることだろう」

「そ、そう、ですね。それに私たち、なにせ中等部からの長い付き合いですからね。まぁそれなりに仲良いですから」

「それなりに……か」


 ライルが顔を上げる。まっすぐに向けられた淡いアイスブルーの瞳が私を貫く。


「君が私のことをどう思っていようと、いつだって何度だって伝えるよ。私は君のことを大切に想っている。いつだって君のことをもっと知りたいし、一番の理解者でありたいと思っている。君は――私にとってそれだけ特別な存在だからだ」


 言うだけ言うと、ライルは踵を返してブリジットさんの方へと歩き出した。

 慌ててそのあとを追いかける。自分がどういう顔をしているのかわからなくて、どう振る舞えばいいのかわからなくてライルの少し後ろを歩く。

 ――もうすぐ、この旅も終わろうとしていた。









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