フェルバラック Ⅴ
そうして迎えた浄化の日。
朝からフェルバラックの騎士二人が案内役として部屋まで迎えに来てくれた。その騎士二人の内一人はあのリザベルで、彼女は案内に選ばれたことを誇らしげに喜んでいた。
もう一人の騎士に頼んで、用意してもらった荷車に大量に用意した聖女様の荷物を乗せる。今回は神殿まで距離があると事前に聞いていたので、簡易な荷車に諸々の荷物を乗せて運ぶことにしていた。
リザベルは預けた荷物をしげしげと眺め、構築文を観察し始めた。
「こんな短期間でこれだけの構築文を描き込むなんて……さすがブライドンの魔術師は違いますね!」
執念を感じさせるほど描き込まれた構築文にもう一人の騎士は半ば引いているというのに、リザベルはキラキラと目を輝かせてそれらを眺めている。
「そうだろう」
リザベルはそのキラキラした目をライルに向け、ライルはそれを受けて誇らしげに笑った。
「この構築文、とっても丁寧で気品がある! そしてこの精緻な描き込み。いつまでも見ていられますね。きっとライルは構築文の描き込みだけじゃなくて、操る魔術もすごいんだろうな!」
「君はとても見る目があるな。それはソフィの構築文なんだが、ソフィの構築文の特徴は君の言ったとおり……」
それを聞いていたブリジットさんが笑い声をもらした。
「ライルはまたソフィ自慢を繰り返しているな」
隣りにいたセヴランさんが肩をすくめて砂を吐くような仕草をした。恥ずかしくなって頬が熱くなる。わざとらしく咳をして二人の話を遮った。
「ライル……。私の話はいいから、もうやめようよ」
「そうだな、たしかに今はルナの浄化に集中するべきだ。ソフィの構築文についての話はまた今度の休憩時間にでも」
たぶん、リザベルが興味あるのは私の構築文などではない。
ライルは残念そうにしながらも頷いた。
それきり、誰も話すことなく厳かに進む一行。荷物を引きながら先導する騎士とブリジットさんに続き、聖女様とオーウェンもどこか硬い表情で進む。
城の地下に降りる。その先に続く薄暗く照らされた重厚な飾り門の向こうには、黒々と口を開けた洞窟が広がっていた。すぐに先導の騎士と協力して洞窟内を火の玉で照らし出す。洞窟は緩やかに傾斜しており、そのまま行くとやがて海の底へと繋がっているはずだった。
「我が国の浄化の神殿は島外の海底にあります」
先導の騎士がそう説明してくれた。
「そちらまで洞窟が続きます。足場が悪いのでお気をつけください」
それにオーウェンが頷きを返し、そっとルナの腰へと手を回す。
「ソフィ、足元は大丈夫か」
気遣ってくれたブリジットさんに微笑みを返す。
「ソフィも心細いなら俺が手を握ってやろうか」
口数少ないセヴランさんが珍しく話しかけてきたので何事かと思ったら、まぁくだらないことだった。まさか私が洞窟を怖がっているとでも思っているのだろうか?
「……なーんてな。羨ましいか?」
セヴランさんが後ろを向くと、ライルがギロリと睨んでいる。
「急になに言い出すんですか、セヴランさん。ライルがそんなことで羨ましがるわけないでしょう……そんなに心細いのなら握ってあげますから、さっさと手を出してください」
「その様子なら大丈夫そうだな」
ぼやくセヴランさんは始めからそんな気などなかったのだろう。手が差し出されることはなかった。
「セヴランさんこそこの中では最年長者なんですから、足元ふらつかないように気を付けてくださいよ。もっと見えるように照らしてあげましょうか」
周りに火の玉を追加すると、「逆に怖ぇから要らねぇよ。俺を丸焼きにするつもりか」とすげなく返される。
「一番年上だからって年寄り扱いすんなよな。まだ見えるわい」
「どうだか」
話していて、知らずに入っていた肩の力が抜けていたことに気づく。
それが目的だったのかはわからないが、セヴランさんはそれ以上無駄口を叩いてこなかった。
洞窟をしばらく進んだ先。火の玉頼りだった視界が急に開け、天然の巨大な大空洞へと出た。空洞の天井は途中から崩れて無くなっており、切りっぱなしのように開けていて、そこから海の様子がよく見える。しかしなみなみと湛えられた海水がそこから落ちてくる様子はない。
「お待ち申し上げておりました、聖女様」
しわがれた声のほうに目を向けると、いつの間にか盲目の老人が佇んでいた。
「ようこそここまでいらっしゃいました」
深々と頭を下げた老神官に、聖女様も礼を返す。
一目で神殿の現存はこの老人の成せる技だとわかった。彼の役目はここでこの海底神殿が押し潰されないように守るものだと。
開けた天井の先には魚影が浮かび、暗い海のその先に長い角を携えたイッカクやすばやく体を閃かせる海獣の姿が時折過っていく。そこに海の水を支えるように巡っているのはおそらく彼の魔術だろう。彼はずっとここで、いつか訪ねてくるであろう聖女のために、ひたすら神殿を守り続けてきた。
「ここに長居するのも体に悪い。さっそくですがご案内いたしましょう」
盲目の老神官は口数少なくそう言った。それに返事を返して、私たち聖女一行は彼の後に続いた。
ゴツゴツした剥き出しの岩を利用して作られた神殿はとても簡素な作りで、案内された先にはいつもの見慣れた禊場があった。
そこで聖女様は羽織っていたコートをオーウェンに預け、禊着一枚になった。
心配そうなオーウェンの視線に聖女様は淡く微笑むと、安心させるように微かに頷く。オーウェンは思わずといったように聖女様に近寄ると、ふわりと一瞬だけ、彼女を暖めるかのように儚く抱き締めた。
その姿を見守りながら、私たちは浄化の終わりに向けて準備する。前回の国での浄化の反省を踏まえ、今回はすぐに聖女様をお部屋に案内できるように準備は万端だ。
ちらりと心配そうなオーウェンの視線がこっちを向く。ブリジットさんがそれに深く頷き返して、彼を元気づける。
深海から湧き出る神秘の泉に足をつける聖女様。その姿はあまりにも儚くて、今にも消えてしまいそうだ。その聖女様の後ろ姿を見つめるオーウェンの拳は、固く握り締められている。
聖女様は震える手を握り締めて、浄化を始めた。
いつものように浄化が終わり、聖女様が振り向いた。
「ルナ……!」
青い唇の聖女様がふらりと膝をつく前に、オーウェンがさっと駆け寄って聖女様を抱き込む。
「ソフィ!」
オーウェンに呼ばれる前に、反射的に動いていた。
タオルを敷き詰めた荷車には既にライルが乗り込んでおり、風の魔術で浮き上げていた。その取っ手に取り付けていたロープを引っ掴んで、私は炎の翼を展開して宙に浮く。ライルの風のサポートが始まる。その風を受け、徐々にスピードを上げ前へと滑り出す荷車。
同時にオーウェンは聖女様を抱えたまま素晴らしい身体能力で跳躍すると浮いて進み始めた荷車に着地した。揺れる負荷を感じ、炎の翼をはためかせる。
そのまま加速し、あっという間に長い距離の洞窟を飛び抜ける。翼から溢れ出た火花が洞窟内を彩っていく。ライルのことだから全て防いでいてくれるだろうという安心感があった。
長い時間をかけて歩いてきた坂を私たちは一気に飛び抜けると、瞬く間に眼前に城の地下の扉が迫ってきた。
「ライル!」
返事はなかったけど、強風に煽られた体はライルに伝わったことを理解していた。
手前で私はロープを手放し、落下する勢いのままに両開きの扉に激突する。衝撃はない。ライルが風で守ってくれている。今度は歯を食いしばってその追い風を蹴散らすようにこじ開ける。炎の羽の名残が散り散りに散る。
慌てて倒れ込む私の頭上を荷車はゆっくりと滑って行き、聖女様を抱えたオーウェンはその勢いを利用しながらまた跳躍して、彼は飛び込えながらそのまま駆けていった。
「大丈夫か!」
すぐにライルに抱き起こされる。片手は荷車の方に向けられ、そこには壁に激突寸前で止められた荷車がかろうじて浮いていた。
なんとか頷きを返す。そのままライルは私の手を引いて、駆け出した。
息も絶え絶えに聖女様のお部屋に着いたときは、オーウェンはすでに聖女様を寝椅子に寝かせたあとだった。
ライルにお礼を言って部屋に入ってきた私に、オーウェンは微笑むと「あとは頼むよ」と部屋を出て行こうとした。
「待ってください」
不思議そうなオーウェンを引き留めると、聖女様のそばについているように伝え、深呼吸して集中する。
「ソフィ?」
「着替えさせる必要はありません」
構築文を描き込むところを限定する。決して聖女様には触れないように最新の注意を払いながら、聖女様の禊着に触れる。触れたところから蒸気が立ち上り、濡れた禊着がみるみる乾いていった。
「……終わりましたよ」
額に浮かんだ幾筋もの汗を拭いながらオーウェンを伺うと、オーウェンは頷いて聖女様を再び抱き上げ、そっとベッドへと移してふかふかの掛け物をかけた。
「……ありがと、ソフィ」
青褪めた聖女様を見守りながらかけられた声は、ランドルフ家での日常を思い起こさせるように優しかった。
「僕は僕の妹のことを、心の底から誇りに思うよ」
振り向いてきたオーウェンが微笑んでいたから、私は不意打ちを突かれて彼を遮ることができなかった。
「僕さ……この旅を任された当初は、僕がすべてを守らなくちゃって思ってた。ルナのすべてもソフィのことも、僕が面倒をみてやらないとって。でも僕、やっとわかったよ。恥ずかしいことにあのときブライドンの先生に言われたこと、ちゃんと理解できていなかった。ソフィが魔術師としてどんなに優秀でひたむきか、僕は今それをひたすらに噛み締めている」
エイマーズ先生は、聖女の護衛に選ばれたことを伝えに来たオーウェンにこう言った。
『ランドルフ君は立派な魔術師だ。貴殿にはか弱き女子にしか見えないのかもしれないが、君に守ってもらわなくとも彼女は立派にその役目を務め上げる』、と。
「この旅についてきてくれて本当に心強いよ。君の存在がこの旅には必要だ。ありがとう、魔術師ランドルフ。そして残りわずかな旅もよろしく頼むよ」
そう言い切ったオーウェンを、食い入るように見つめる。
「――僕はソフィとルナの間にある目に見えないわだかまりを理解してあげられないかもしれない。君たちはどっちも多くを語りたがらないから、君たちのすべてを完全に理解することは難しい。でも、それでも、」
喉の奥がこくりと鳴った。ふいに緩みそうになる目の奥に力を込める。
「僕はルナだけじゃなくてソフィのことだってずっと心配してるし、そりゃお兄ちゃんだもの、心配しないわけないじゃない。なんだって相談してほしいと思っているし、我慢していることがあれば遠慮なく言ってほしいと思ってるよ。それが例えルナのことであろうと……」
オーウェンが言っているのは、前の国でのそれぞれの一族のしがらみについてのことだろう。私は口早に彼の言葉を遮った。
「それ以上言わなくても大丈夫です」
「ソフィ……」
「私には、今の言葉だけで充分です」
オーウェンは、ただ心配だといいたげに表情を曇らせた。
「オーウェン、あなたは余計な心配なんかせず、ただルナのことだけを気にかけていればいいんです」
こんな兄だからこそ、私はこの人の幸せを守りたいと思ったのだ。この人を悲しませたくない。悲しむ顔なんか見たくない。
「心配しなくても、この旅は無事に終わります。私がちゃんと終わらせてみせます」
いつになく強い口調でそう言い切った私を、オーウェンの晴れ渡った空のような明るい瞳が見つめている。
「私が絶対にそうさせますから、あなたはこのあとの幸せだけを考えてればいいんです」
オーウェンが思わずといったように腕を伸ばしてきて、抱き込まれる。それでもまるで心配だといわんばかりにぽんぽんと頭を撫でられて、私は込み上げてきた想いを苦笑で隠さざるを得なかった。
荷車の回収係は、セヴランさんです。




