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フェルバラック Ⅳ

 

 それからようやく聖女様の浄化の準備が整ったのは、また幾日か経ってからだった。

 夜会の疲れがたたって再び体調を崩してしまった聖女様のために、私とブリジットさんはずっとそばに付き添っていた。日中はそれにオーウェンも加わって、外のことはライルとセヴランさんに任せっきりだった。







 ――何日経っただろうか。聖女様はベッドの中で薄明かりに照らされて、穏やかな寝息で休んでいる。その様子を見守っているとやがて休憩が終わったブリジットさんが戻ってきたので、簡単に引き継ぎを終える。

 眠気と疲れで回らない頭を振りながら部屋を出ると、ちょうど廊下でもセヴランさんと引き継ぎをしていたライルに声をかけられた。


「ルナの様子はどうだ?」

「安心して。落ち着いてるよ」

「そうか」


 ライルはセヴランさんを引き止めて、渋るセヴランさんに少しだけ時間をもらってから話しかけてきた。

 この間のときと同じだった。ライルに声をかけられて、でもぎこちない空気に話す言葉は見つからなくて、今もライルは私を見つめたまま、考えあぐねたように黙り込んでいる。

 少し離れたところで早く休憩に行きたそうにしているセヴランさんのためにも立ち去ろうと背を向けると、引き止めるようにライルの声が追ってきた。


「ソフィ、ソフィは旅が終わったらなにがしたい?」


 振り返ると、ライルがまっすぐにアイスブルーの瞳を向けてきていた。


「なにがしたい、って……?」

「もうすぐ旅も終わるだろう。ブライドンに戻ったら、なにかしたいことはないかと思ってな」


 突然の質問に戸惑ってしまった。

 この旅が終わったらなにしようなんて、私にとってゴールはこの旅を無事に終えることで、その先のことは二の次だった。

 ……でも、ルイとケーキ屋に行く約束はした。その約束だけは守りたい。――それと、学院にいたころにみんなともう一度旅行に行こうと約束した。クロエ先輩、ノア先輩、ルイにライル。願わくば、そんな日が来てくれたら。


「出発前にルイと二人きりの秘密の約束をしていただろう。私にも教えてくれなかった」

「そう、だね。あれはルイとの大切な約束だから」

「……。それに先の国では同族の剣士に口説かれていた」


 急に記憶にない話をされて、頭の中でハテナが飛び交う。


「一緒に旅に出たいと言われていたじゃないか」

「ああ、あれはそういう意味じゃ。違うよ」


 オズワルドはただ自分についての真実が知りたいだけだ。あの人の頭の中には恋愛の“れ”の字もない。


「だったら私とも約束してくれてもいいじゃないか」


 ライルがどういうつもりでそんなことを言い出したのか意を汲めなくて、廊下の薄明かりに煌めく宝石のような目を見つめる。


「私だって……行けるものなら君と二人で旅行に行きたい」

「旅行?」


 また随分と唐突な話にびっくりする。ライルは白磁の頬をわずかに染めた。


「君と二人で、今度はもっと楽しい思い出だらけにして。二人で一緒に気ままに行きたいところに言って、誰に注目されることもなくやりたいことをやって……今度はそんな旅がしたい」

「それは……」


 思わず想像してしまった。

 聖女とか物語とか強制力とかなにも考えずに、ただライルと楽しいことだけ考えながらぶらりと知らない土地を旅する。

 それは……それは今の私には想像もつかないような、幸せな日常だった。


「ライルは……」


 シャンデリアの暖かな光に照らされるミルクティー色の髪。緩く結わえたビロードのリボンは、いつも黒色。いつだってまっすぐに向けられるアイスブルーの瞳は、冗談で言っているようには感じられない。


「私でいいの?」


 ライルは問いかけるように片眉を上げた。


「それはどういう意味だ?」

「あの……」


 なんて言ったらいいかわからない。まさか、直球で相手は聖女様じゃなくていいのかとは聞けない。


「どういう意図の質問かわからないが、私は今()に言っているんだ」


 ライルは畳み掛けるように言葉を繋いでいく。


「もうすぐこの旅も終わる。よかったらどこに行きたいか考えておいてくれ」

「……そうだね、わかったよ。でも」


 ライルが小首を傾げる。


「先に二人で旅行してしまったらルイやクロエ先輩たちが怒っちゃうよ。まずはみんなで行く約束のが先だね」

「それは、たしかにそうだな」


 ようやくライルがいつものように柔らかく微笑んだ。


「抜け駆けなんてひどいって、ルイならプリプリ怒り出しそうだな。だが君たちは学院のころに二人きりでルイの故郷に帰っていただろう。それを言うならずるいと言い張る権利があるのは私のほうだ。だからやっぱり私にだって、君と二人で旅に出る権利がある」

「権利って、ずるいって……」


 束の間、学院にいたころのように気安く話が進んで思わずくすりと笑ってしまう。ライルはそんな私をしばらく微笑ましげに見守っていた。

 そんなライルの視線に気づく。二人ともなんとなくそれ以上言葉が出ずに見つめ合う。

 そのとき、こちらを見つめる一対のアンバーの視線に気づいた。


「あのー……二人とも、俺の存在覚えてる? そろそろ本気で休憩に行きたいんだけど」

「コホンッ……それじゃあおやすみ、ソフィ。考えておいてくれると嬉しいよ」

「う、うん……おやすみ。セヴランさんもすみません」


 気恥ずかしくて、ごまかすように足早にその場を立ち去る。なにを見せられたかと言いたげなセヴランさんの表情は一旦忘れることにした。








 あてがわれた自室に帰ると、窓の外の桟にルイからのピヨがとまっていた。


「ピヨ……」


 わずかに窓を開けると冷たい雪混じりの風とともにピヨが入ってくる。銀製の体はカチコチに凍っていて、長時間外で待たされたからなのか、翼は雪でくっついていた。


「激しい気温差への対応は考えてなかったな……要改造だ……」


 誰にともなく独りごちると、何気なく再生ボタンを押す。


『ソフィ、ソフィは今どこを旅しているの?』


 久しぶりに聞いた優しいルイの声。さっきまで学院のころの話をしていたからだろうか、一層懐かしく聞こえる。


『今は最後の国にいるのかな。それとももう帰途の途中? ソフィが旅に出て、どれだけ経っただろう……』


 ふと懐かしさに唇が震える。


『もう少しでまたソフィに会えるかな。……もうソフィと行く予定のケーキ屋さんも幾つも目星をつけたんだよ。あとはソフィが無事に帰ってくるだけ。あのさ……ソフィが帰ってきたら、伝えたいことがあるんだ。ずっと思ってたけど言えなくて、けどソフィが居なくなって、会えない日々に思い知らされて、やっと形にしようって思えたこと。帰ってきたらちゃんとソフィに伝えたい。だからちゃんと、まっすぐに戻ってきてね。いつだってソフィの無事を祈ってるよ』


 優しいルイの声が途切れる。

 私も今すぐに帰りたい。こんな矮小で、自分のことしか考えてなくて、なにも背負えない自分のことなんて知りたくなかった。

 ブライドンに戻りたい。ルイに会いたい。みんなに会いたい。

 ――もうすぐ帰れる。あと少しの辛抱だ。もう少しだけ、折れずにまっすぐ突き進めれば。

 ピヨをそっと机の上に置き、疲れる体を手放すようにベッドへと突伏する。そのままあてのない泥のような睡眠の底へと落ちていった。








 聖女様が浄化に行けるとオーウェンが判断するまで、私は聖女様の部屋で浄化に使う荷物の処理をしていた。


「これ全部魔術をかけたの?」


 ベッドに起き上がった聖女様とお茶を飲みながら、オーウェンは目を丸くしている。


「はい……この国の神殿はまた一層と環境が特殊ですからね」


 ここの環境は厳しいというのに、聖女様の禊着というものは決まりがあるらしく、今までのものと変わりない。このままでは確実に体調を悪化させることは明白だった。


「あともう少しでこの国の気候に合わせた禊着も完成します。ルナの浄化に間に合いそうでよかったです」


 それにルナはゆっくりと微笑んだ。

 朝から晩まで起きている時間はずっと魔術漬けだった。

 ライルと簡単に打ち合わせしたあと、それぞれ時間があるときに少しずつ描き込んできた。特に薄い禊着は、二枚重ねにして魔術で貼り合わせ、生じた隙間に暖かな空気を貯留させる。それから手触り、着心地、保温性、断熱性、熱産生……その各性質間のバランス、こだわりたいことは尽きることなくたくさんある。思いつく限り、際限なく構築文を描き込み続けている。

 あまりにものめり込んで作るものだからブリジットさんからはほどほどに休憩を取るように言われたけど、今はのめり込んでいたかった。








 

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