元の世界とぴんくの空気
あの激動の顔合わせから、早くも半年が過ぎた。
その間に俺たちの誕生日がそれぞれ過ぎ、いつの間にか十一歳になっていた。
シオンの両親との会食以降、俺たちの「表向きのキャラ付け」は完全に確立されていた。
お互いの負担にならない範囲で、ユリアナはシオンを立ててお淑やかに振る舞い、シオンは男貴族らしく威厳たっぷりに振る舞う。
――そしてそれ以外の時は、周囲の目を欺くための『超ラブラブな婚約者同士』を演じること。
これには明確な理由があった。シオンがユリアナに対して命令したり、高圧的に接したりすることに強い抵抗感を持っていたため、代わりに「溺愛しているから甘やかしている」という体裁にすることで、シオンの精神的な負担をカバーする目的があったのだ。
そんなある日。シオンは、ずっと心に引っかかっていた「元の世界」についての謎を今日こそ問いただすと決意し、ローゼンベルク邸を訪れていた。
「お会いしたかったですわ! シオン様……♥」
「ああ、私もだよ、私の愛しいユリアナ……♥」
玄関ホールで完璧なビジネス・ラブラブを披露した二人は、侍女たちを巻いてすぐにユリアナの部屋へと逃げ込んだ。パタンと扉が閉まった瞬間、ユリアナは盛大に肩の力を抜く。
「ふっはーーー! このウィッグ、ちょっと汗吸って臭くなってきたな!」
そう言うなり、ユリアナは赤毛のウィッグを乱暴に引っぺがし、その匂いをシオンの鼻先に突きつけた。
「うわっ、くっせぇ!? おい、ちゃんと洗えよ!」
「何個か替えがあるから、そろそろ順番に洗濯しようかなぁって」
ユリアナはクローゼットを開け、手慣れた様子で予備のウィッグへと交換する。その背中を見つめながら、シオンはベッドの端に腰掛けた。
「……あのさ、ユリアナ」
「ねぇシオン! ――あ、ごめん、今なんか言いかけた?」
「いや……いいよ、お前から先に話して」
「じゃあお言葉に甘えて! あのさ、俺すげぇんだぜ! 分身の能力がちょっと上達したんだ!」
ユリアナが少し気合を入れると、ぽんと隣に分身が出現した。
以前のような輪郭がぼやけたり、表情が引きつったりするような不安定さは一切ない。そこに立っているのは、ユリアナそのものの凛とした顔つきをした、完璧なクローンだった。
「すっご! 本当にそっくりじゃないか!」
「だろ? お父様たちに能力が発現したことを報告したら、大喜びで異能力の専門コーチをつけてくれたんだ。初めてユリアナの親から、まともな愛情みたいなものを感じたよ」
そう語るユリアナはどこか誇らしげだった。
そして、さらに悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「しかも、こんなことも出来るようになったんだぜ!」
ユリアナがさらに集中すると、部屋の中にぽんぽんと分身が増え、合計四人のユリアナがシオンを取り囲んだ。
「シオン様ぁ~♥」
「シオン様、お慕いしておりますわ♥」
「シオン様ぁ~♥」
「シオン様ぁ~♥」
「えっ……!? うわ、ちょっと待っ……!?」
四人の美少女(?)に一斉に抱きつかれ、身動きが取れなくなったシオンは、耳まで真っ赤にして狼狽する。
「がはは! 名付けて『ユリアナ・ハーレム』の完成だ! どうだ? 男として最高に嬉しいだろ? ……って、めちゃくちゃ顔赤いじゃん!」
からかうユリアナに対し、シオンは真っ赤な顔のまま、心臓の鼓動を落ち着かせるように小さく呟いた。
「いや……すごいなと思って。ちゃんと、その……ユリアナの柔らかい感じとか……女の子らしい甘い香りとかも、完璧に再現されてるから……」
「ハハッ! お前、そういう細かいところはちゃっかり観察してんだな! さすが男!」
ユリアナがゲラゲラと笑うと、シオンはさらに顔を赤くした。
(……だめだ! このままじゃ、いつもみたいにユリアナに玩具にされるだけされて、けっきょく何も聞けないまま煙に巻かれて終わってしまう……!)
シオンの瞳に、強い決意の光が宿る。
「ユリアナ!」
「ん? じゃあ次は――」
シオンはユリアナの手首を掴むと、そのままぐっと自分の方へと引き寄せた。
勢い余って、二人の身体がベッドの上に倒れ込む。シオンが上から覆いかぶさるような体勢になり、至近距離で視線が交差した。
(!?!? おいおい、シオンのやつ、いきなりゲーム本編のドS俺様系に覚醒しやがったか!?)
不意打ちの押し倒しに、英二は内心で大パニックを起こしていた。
「な、……何だよ、シオン」
「……中々俺の話を聞いてくれないから。その、強引にしてごめん。……でも、これには答えてほしい」
シオンは真剣な、どこか縋るような目でユリアナを見つめた。
「『元の世界』って、一体何なんだ? 前からずっと気になってた。お前、たまにユリアナという自分に対して、あまりにも他人事すぎるし、聞いたこともない変な言葉ばかり使ってる!」
真っ直ぐなシオンの視線に、ユリアナはしばらく沈黙した。
だが、ここまで自分を信頼し、本気でぶつかってきてくれる相棒に、これ以上嘘を突き通すのは不誠実だ。
ユリアナはふっと息を吐き、張り詰めた力を抜いた。
「……あー。コレ、他人に言っていいことなのか分かんねぇけどさ。お前のことは心から信頼してるから、包み隠さず話すよ」
ユリアナの瞳に、大人の男としての――『錦沢英二』としての知的な光が宿る。
「実は、この世界は『乙女ゲーム』っていう架空の物語の世界なんだ。で、俺……『錦沢英二』は、なぜかそのゲームの中にいるユリアナ・ローゼンベルクっていうキャラクターに、魂ごと転生しちまったんだよ」
「……ニシキザワ、エイジ?」
シオンは驚きに目を見開いた。
「お前が本当のユリアナじゃなくて、そのエイジという別人の魂が中に入っている、というのは分かった。だけど……『乙女ゲーム』って何だ? 聞いたこともない」
「乙女ゲームってのはさ、俺のいた世界にある、チェスやトランプみたいな娯楽の一種だよ。魔法の箱(画面)を通じて、女の子が男のキャラクターとの疑似恋愛を楽しむっていうルールのゲームだ」
「お前のいた世界は、随分と奇妙な娯楽があるんだな……」
「まぁな。で、シオン。お前はその乙女ゲームにおける『攻略対象』のひとりなんだよ。本来なら、十五歳で入学する学園で主人公の女の子と出会って恋に落ちる。そして、婚約者であるユリアナを邪魔者扱いして、非情に婚約破棄を突きつける……。あくまで、ゲームのシナリオ上での話だけどな」
「そうか……。それが、お前の知っている『この世界の未来』なんだな。ちなみに、そのゲームの中の俺は、どんな奴なんだ?」
シオンが恐る恐る尋ねると、ユリアナは気まずそうに視線を逸らした。
「それは……その……いわゆる『ドS俺様系侯爵様』っていうか……」
「は? 何それ」
「本来のユリアナが相手だったら、お前はこれまでの婚約者候補と同じように、彼女を人とも思わないような酷い扱いで虐げ続けるんだ。そのまま歪んで成長して、男尊女卑どころかバイオレンスな趣向が強くなった、めちゃくちゃキツい性格の男。……まぁ、時折見せるほんの少しの優しさとのギャップが売り、ってキャラだったんだけどな」
「……何それ、最悪じゃないか」
シオンは心底嫌そうな顔をして、それから、ふっと表情を和らげた。
「エイジ。お前が転生してくれて、本当に良かった。ありがとう」
「お、おう……。まぁ、エイジは『男』だけどな」
「えっ……」
シオンの動きがピタリと止まった。
「いや、分かるだろ! 普段のこの乱暴な口調とか、仕草とか!」
「いや、だって……。お前のいた世界の、ちょっと口調が荒くて『おもしれー女』が転生してきたんだとばかり……」
シオンの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
「おい、男だと分かった瞬間に、俺の腰とケツの間に回してた手をどかして、しれっと離れようとするな!!」
「いやごめん!! なんか……今まで色々抱きついたりして、本当にごめん!!!」
シオンは弾かれたようにベッドから転がり落ち、床に四つん這いになって全力で謝罪した。
それまではシオンの方から無意識に距離を詰め、時に甘えるような仕草を見せていたが、この日を境に、微かにピンク色になりかけていた二人の空気は一瞬で霧散し、固い絆で結ばれた「最高の男友達」へと戻っていったのだった。




