男尊女卑の世界
命からがら屋敷に帰還したユリアナとシオンを待っていたのは、当然ながら、ローゼンベルク家の大人たちからの激しいお説教の嵐だった。
しかし、これまでのユリアナがあまりにも内気でおとなしい性格だったため、「あの大人しいユリアナ様が、まさかこんな大それた脱走事件を起こすなんて……!」と、周囲の解釈は完全に『シオン坊ちゃまに唆された』という方向で落ち着いてしまったらしい。
そしてその結果――。
ユリアナの身辺には、一瞬の隙もなく侍女が付きまとうようになってしまった。
(クソッ……! 一歩動くたびに後ろに立たれて、息が詰まりそうだぜ……!)
部屋のベッドでゴロゴロするのすら監視されている状態に、英二としての精神は限界を迎えていた。
なんとかしてこの監視の目を逃れたい。ユリアナはすっと立ち上がり、部屋の扉へと向かった。
「お嬢様。もうじきお休みの時間ですが、どちらへ?」
背後から、すかさず侍女の鋭い声が飛ぶ。
「……少々、シオン様にお会いしたくなりまして。おやすみ前に、一目だけでも」
「まあ……。お熱いことですわね。よろしゅうございます、ご案内いたします」
内心で「めんどくせぇ……!」と毒づきながら、ユリアナはシオンの客室へと向かった。
扉を開けると、そこにはすでにシルクのパジャマに着替え、ベッドの上で優雅に読書をしていたシオンの姿があった。
ユリアナの突然の来訪に、シオンはパチクリと目を丸くする。
「ユリアナ? どうしたんだい、こんな夜更けに。……(今から寝るとこなんだけど、何しにきたの?)」
「シオン様、どうしても貴方のお顔が見たくなりまして……。……(ずっと見張られてて、一息もつけねぇんだよ! 察しろ!)」
お嬢様スマイルの裏で必死に目で訴えかけるユリアナに、シオンは引きつった笑みを浮かべた。
「おや、それは嬉しいな。……(うわぁ、それはお気の毒さまなことで)」
「ちょっと失礼しますわね」
ユリアナはしれっとシオンのベッドに這い上がると、彼の至近距離までぐっと顔を寄せ、耳元で囁いた。
「おい、人払いに協力してくれねぇか?」
「え、嫌だよ……! 何それ、俺たちまだ10歳だよ!?」
シオンは本気で顔を引きつらせて後ろにのけぞる。
「いいじゃん減るもんじゃないし! これでも婚約者なんだからさ!」
「いや普通に嫌だから! そんなことして、変に誤解されたくないもん!」
「いいから、ちょっとじっとしてろって!」
問答無用とばかりに、ユリアナはシオンの細い肩を掴んでベッドの上に押し倒し、さらに顔を急接近させた。
その瞬間。
入り口で見守っていた侍女は、頬を朱に染め、何かを察したようにそっと扉を閉めて部屋を後にした。パタン、と静かに鍵が閉まるような音が響く。
「……ほらーーー! 絶対に変な誤解されたって!!」
シオンはベッドから飛び起き、頭を抱えた。
「はぁぁぁぁ……。やっと解放されたぜ、死ぬかと思った……」
ユリアナはシオンの枕を奪い取り、だらしなく泥のようにへたり込んだ。
「ああ、そうですか。それは良かったですね。おかげで俺は、十歳にして『手が早い不埒な男』として噂を流されることでしょう」
「大丈夫だろ。仕掛けたのはいつも俺(女側)からってことになってるし」
「余計に恥ずかしいわ!」
シオンは耳まで真っ赤にして抗議していたが、ふと顎に手を当ててユリアナを見つめた。
「なぁ、前からずっと思ってたんだけどさ」
「ん?」
「お前のその能力って『分身』だろ? だったら、分身をお嬢様として侍女たちの前に立たせて見張らせておいて、本体のお前は自由に動けばいいんじゃないか?」
「……あ! 確かに!」
目から鱗の提案だった。しかし、ユリアナはすぐにため息をつく。
「でもさ、分身ってめちゃくちゃ維持が大変なんだよね……。ほら」
ユリアナが力を込めると、ぼこりと隣に全く同じ姿の『ユリアナ』が出現した。
「気を抜くと、ほら、片方の足が透明になって消えかけたり……」
「シ↑オ↓ン様……お労しや……」
偽ユリアナがおかしな高音でカタコトに喋り出す。
「……喋らせると、絶望的に違和感があるんだよ」
シオンは怪奇現象を見るような目で偽ユリアナを見つめ、それから苦笑した。
「まぁ、それは訓練次第だろ。……いいなぁ。俺も早く異能力が欲しいよ」
その言葉に、英二は内心で記憶を辿る。
(シオンの異能力は確か『氷』。本編では14歳の時に発覚するはずだ。ただ、能力はその人の『性格』に大きく影響される。ゲーム初期の、あの冷酷でトゲトゲした俺様キャラだったからこその氷能力だ。……こんなに温厚で、くまちゃんのぬいぐるみが大好きなシオンのままだとしたら、一体どんな能力になるんだろ?)
そんなことを考えていると、シオンがさらに言葉を続けた。
「ユリアナの分身能力って、お上品な『お嬢様としてのユリアナ』と、俺の前で見せる『男っぽい素のユリアナ』、その二つの人格が共存してるから、そのまま二人になっちゃう分身なんだろうな、きっと」
(――あ、そうか!)
英二はハッとした。
(俺が転生したことで、ユリアナ本来の魂と俺の魂が混ざり合い、性格が変わった。だから能力も『透明化』から『分身』に変化したんだ……!)
「なぁ、俺はどんな能力になると思う?」
シオンがワクワクした目で聞いてくる。
「そうだなー……」
ユリアナはシオンをじっと見つめた。
(今のシオンは、ゲームと違って本当に温厚だ。ぬいぐるみを大切にしていたり、どこか可愛らしいところがあるし……)
「ぬいぐるみを操る能力、とか?」
「弱っ!!(笑)」
二人は顔を見合わせて声を上げて笑った。
「よし、せっかくだからちょっと分身の練習をしたいんだ。シオン、付き合ってくれよ」
「いいぜ。俺は何をすればいい?」
「この分身と、ダンスを踊ってくれないか?」
「ダンス? そんなことでいいのかよ」
部屋の隅で、シオンとユリアナの分身が向き合い、ゆっくりとワルツのステップを踏み始める。
「おっと……!」
「あ、ごめん! もう一回!」
ステップが乱れ、分身の足が縺れる。
「あ、また踏んだ! おっと!」
「ごめん、神経がズレる!」
ユリアナ本体が遠隔で必死に指示を飛ばす。
「ほら、右足! 右!」
「右ってそっちかよ!?」
「シ↑オ↓ン様……ご機嫌麗しゅう……」
「お前ら、全然息が合ってないぞ!!」
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
「はぁ、はぁ……ダメだ、流石にめちゃくちゃ疲れた……!」
数分踊っただけで、二人はベッドの上に大の字になって倒れ込んだ。
「分身って、肉体労働じゃないのにこんなに疲れるもんなんだな……」
「脳みその神経を同時に二つ動かすようなもんだからな……。あー、もう自分の部屋に戻るのめんどくせぇ。今日はここで寝る」
「おい、また誤解されるだろ……」
シオンの弱い抗議も虚しく、ユリアナはすでに意識を手放しかけていた。呆れつつも、シオンもまた、心地よい疲労感に包まれて目を閉じた。
「お嬢様、お坊ちゃま。朝でございますよ」
小気味良いカーテンを開ける音とともに、聞き覚えのあるハスキーな声が響いた。
シオンがうっすらと目を開けると、ベッドの脇に立っていたのは、腕を組んでニヤニヤと笑っているエマだった。
「あさから随分と仲がよろしいことで。羨ましい限りですねぇ」
「な、ななな、何言ってるんだエマ! これは違くて、その、訓練で……!」
シオンは飛び起きて、顔を真っ赤にしながら必死に言い訳をする。
ユリアナも目をこすりながら体を起こした。
「ふわぁ……。っていうか、なんでエマがここにいるんだよ? お前、ローゼンベルク家の侍女じゃなくて、エンヴァス家のメイドだろ?」
「なんでアタシが起こしにきてるかって?」
エマは呆れたように肩をすくめ、カレンダーを指差した。
「今日がお二人のご両親が揃ってこの屋敷にいらっしゃる、大切な『会合の日』だからに決まってるでしょう。アタシは両親の護衛兼お供として、先ほど到着したのですよ」
ユリアナとシオンは一瞬で眠気が吹き飛び、顔を見合わせた。
「「――やっべ!!!」」




