祖父の海⑥
長崎県沖、荒れた海に白波が立っていた。
海上保安庁第七管区の巡視船「きくすい」は、井手竜太郎が割り出した座標付近に到着していた。
船橋では、双眼鏡を握る隊員の表情が険しい。
「視界悪いな……波高三メートル超、北西風十五メートル……」
「目標の船影、まだ見えません!」
「くそっ……井手さんの解析を信じろ!」
捜索艇は荒波を突き進む。
その時――
「右舷方向!十一時、船影確認!」
隊員の声が弾んだ。
波間に、小さな漁船「源蔵丸」が上下していた。船体は傾き、転覆寸前だ。
「急げ!救助準備!」
保安庁員たちはすぐに動き出した。
「源蔵丸!聞こえるか!」
拡声器で呼びかける。
船首付近で手を振る老人。源蔵だ。後方に、本田ともう一人の若者も確認できた。
「救命胴衣は着けている!よし、接舷するぞ!」
隊員たちは波に翻弄されながらも巧みに巡視船を寄せていく。
最初に、源蔵の手を掴んだ隊員が叫ぶ。
「じいさん、もう少しだ!」
「わしはいい……若いもんを先に……」
「何言ってる!あんたが助からねぇと、東京の井手さんに怒られる!」
「竜太郎……?」
隊員に支えられながら船上に引き上げられる源蔵。
その名を聞いた瞬間、源蔵は涙をこぼした。
「竜太郎が……わしを探してくれたんか……」
その声は、荒れる海風に消されることなく、確かに届いていた。
救助後、源蔵は低体温症だったが意識はあり、本田と森田は軽傷程度で元気だった。
「全員無事だ!」
巡視船内に安堵の声が広がった。
東京・アトモス気象研究所。
井手はモニターを見つめたまま、机に突っ伏していた。
仮眠など取れるはずもない。
漂流シミュレーションを繰り返し、救助情報を待っていた。
午前四時過ぎ、スマホが震えた。
「こちら海上保安庁です。源蔵丸、発見。全員救助。命に別状なし」
「……っ!」
井手は机に拳を打ちつけた。
「やった……じいちゃん……!」
こみ上げる感情を堪えきれず、しばらく肩を震わせた。
朝八時半。
カップ麺の空き容器が散らばる机。
井手は、疲労でぼんやりした頭を振りながら、通常業務に戻る準備をしていた。
そこへ玲奈がやってきた。
「井手君」
「あ……。今日から、通常勤務に戻ります」
玲奈は苦笑した。
「ダメよ。今日からまた長崎に行ってらっしゃい」
「え……?」
「これ」
玲奈が手渡したのは、飛行機のチケットだった。
「昨日のうちに取っておいたわ」
「えっ?」
「あなたが“間に合え”って呟いた時から、もう行ってもらうと決めていたから。佐世保の海上保安庁と今回の遭難者に挨拶と報告してきて。戻ってくるのは、来週でいいわ」
出張扱いで帰省しなさい、という意味らしい。
井手は思わず玲奈を見つめた。
「藤堂さん……」
「あなたにとって大切な人でしょう?ゆっくりお話ししてきなさい。帰ってきたら、また頑張ってもらうわよ」
玲奈はそう言って、研究室へ戻っていった。
井手は飛行機のチケットを握りしめ、再び長崎へ向かう準備を始めた。




