↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/8

祖父の海④

冬の日本列島は強い寒気に覆われ、研究所の室内にも緊張感が漂っていた。

井手は、海洋データ解析ソフトを立ち上げ、九州西方沖の海域データを確認していた。

対馬暖流の上に、北西の季節風が吹き荒れ、等圧線は詰まり、波浪観測ブイは波高四メートルを記録している。

気圧配置から見ても、東シナ海を低気圧が発達しながら北東進している。

午後には海上で更に風が強まり、いわゆる「時化(しけ)ピーク」の時間帯に入る。

警報級の暴風波浪注意報も出されている。

井手は不安を感じた。

祖父・源蔵の顔が脳裏をよぎる。

嫌な予感を抱えながらも、仕事に集中しようとしたその時だった。

スマートフォンが震えた。

画面に表示された名前を見て、血の気が引いた。

安倍達郎。漁師時代からの仲間。

「もしもし、達郎さん?」

「竜太郎か!大変たい!源蔵さんが、戻らん!」

達郎の声が強風にかき消されるように、荒く震えていた。

「どういうことですか!?」

「昼に若い衆と網ば見に行く言うて、沖に出たとばってん、時化てきて……そいから連絡が途絶えとる!海上保安庁にも連絡しとるばってん、まだ行方わからん!」

井手は瞬間、頭が真っ白になった。

だが、すぐに沸き上がる焦燥と怒りがそれをかき消した。

「わかりました。俺が絶対探し出します!」

電話を切ると、即座にパソコンに向かい直す。

「小林さん!」

突然の声に、近くにいた優花が驚いて振り返る。

「はい!」

「長崎沖のデータ、リアルタイムでください!」

「わ、わかりました!」

優花もただならぬ気配を察し、すぐにアクセスする。

井手は震える手で海上ブイとGPS気象データを呼び出した。海上ブイとは、海上に設置された観測機器で、波の高さ、風速・風向、潮流、水温などをリアルタイムで測定し、気象や海洋の変化を記録するものである。

波高五メートル。風速十八メートル。突風帯も出現している。

「クソ……」

井手は奥歯を噛み締めた。

低気圧は、朝方よりも急発達していた。北西風が海上で強烈なブロー(突風)を伴って吹き荒れ、沿岸では五メートルを超える波が立っている。沖では更に高く、時折、七メートル級の波が観測ブイに記録されていた。

「こげな時に、出るなんて……ばかばい」

井手は現場海域の潮流データも確認した。

北東方向に潮が速く流れ、風と波が南西方向から逆行している。

「風と潮がぶつかっている……三角波だ」

瞬時に理解した。

潮流と風向きが反対に働く時、波が不規則に立ち上がり、三角形の尖った波頭になる。これに飲まれると、ベテラン漁師でもひとたまりもない。

「じいちゃん……」

視界が滲みそうになる。

必死にこみ上げる感情を押さえ込み、衛星画像に切り替えた。

雲頂高度の分布から見ても、積乱雲が列を成して進んでいる。

「ラインスクオール……」

寒冷前線に伴う強烈な帯状降水帯。短時間に突風と激しい雨をもたらし、一気に視界も奪う。

「視界ゼロで、時化、三角波……最悪だ……」

井手は携帯を手に取り、もう一度達郎に電話した。

「達郎さん、出た場所は!?」

「崎戸の沖、黒瀬の近くばい!」

崎戸沖。

井手は即座にその周辺の風・波・潮流データを絞り込み、流される方向を予測した。

北東風と南下する潮流。

源蔵たちは黒瀬沖で遭難し、流されたとすれば……。

「今は西彼杵(にしそのぎ)沖、か、いや……五島灘(ごとうなだ)側まで……」

井手の脳内で、海図と風向・潮流が交錯する。

「間に合え……!」

拳を握りしめ、モニターに食い込むように真っ赤になった眼で画面を睨みつける。

データを辿る指が震えた。考え込み、下を向いたその時、ふと頬の痛みと共に、源蔵の声が耳によみがえった。


(このばかちんが!)

(お前は俺の希望だ。希望が下を向くんじゃねえ)


最後に呟いたのは、殴られ、ぶつかってきた祖父への言葉だった。

「俺が殴り返すまで死ぬんじゃねぇ……くそじじい……」

低く、抑えた声だった。

隣で見守っていた玲奈や優花も、声をかけることができなかった。

ただ、井手の背中から湯気が出ているかのように伝わる「絶対に助ける」という執念に、静かに寄り添うしかなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。