第98話 楽しい尋問タイム
男が目を覚ました時、最初に見たのは、揺れる氷の切っ先だった。
薄青く透き通った刃が、目と鼻の先でくるりと回る。わずかな洞窟の光を拾って、その表面に冷たい輝きを宿していた。男は反射的に身を引こうとしたが、背中は岩壁に縫い付けられたままだ。氷の杭が両腕と脇腹、太腿の布ごと肉を貫き、彼の体をぴたりとそこへ固定している。
逃げ場はない。
その事実を理解した瞬間、男の喉がひゅっと鳴った。
「さて」
リーリヤは柔らかく微笑んでいた。
その笑みは、街中で見かければ誰もが安心しそうなほど穏やかだった。だが、目だけが違う。そこには、融ける気配のない氷のような光が宿っている。
「楽しい尋問タイム、始めよっか」
男の顔から血の気が引いた。
少し離れた場所で、アルエがマットの袖をそっと引く。
「……ねえ」
「なんだ」
「怖い」
「……ああ」
マットも小さく頷いた。
ロイドは眼鏡を押し上げ、壁に背を預けるようにして腕を組んでいる。表情はいつも通り落ち着いていたが、視線だけは鋭かった。リーリヤが先頭に立ち、彼が横から方向修正する。そういう役割分担が、もうその場の空気で決まっていた。
リーリヤは男の前にしゃがみ込む。
「じゃあ、まず簡単なところから聞くね」
指先で氷の刃をくるりと回したまま、彼女は首を傾げた。
「あなた、何者?」
男はごくりと唾を飲み込む。
「お、俺は……ただの雇われだ」
「雑」
リーリヤは即答した。
「それじゃ何も分かんない。雇われの何? 見張り? 回収係? 運び屋?」
男の目が揺れた。
ロイドが静かに口を挟む。
「そこは大事だよ。君が何を担当していたかで、組織の構造が見える」
男はロイドを見た。
研究者のような雰囲気を持つ男の落ち着いた口調に、一瞬だけ縋るような色が浮かぶ。しかしその直後、リーリヤの氷刃が彼の頬すれすれを掠めた。
ぱき、と。
背後の岩壁に薄い亀裂が走る。
「私が質問してるんだけど」
男は肩を震わせた。
「み、見張りだ! 俺は見張りと、残ったもんの回収だけだ!」
ロイドが頷く。
「なるほど。研究そのものには関わっていない、と」
「そうだ! 俺は難しいことは何も知らねえ!」
「じゃあ次」
リーリヤは淡々と続けた。
「ここで何をしてたの?」
男は口を開きかけ、閉じる。
迷っているのが分かった。
リーリヤは微笑む。
「言わないなら、もう一回魔力抜くよ」
男の顔が強張る。
リーリヤは肩越しに呼ぶ。
「アミノ」
呼ばれたアミノが、ぴくりと頭を上げた。舌をちろりと出し、するするとリーリヤの腕へ巻き付く。その動きだけで、男ははっきりと怯えた。
「い、言う! 言うから待て!」
「最初からそうして」
リーリヤはにっこり笑う。
男は荒く息を吐いた。
「ここは……フェニックスから魔力を抜く場所だ」
その場の空気がわずかに沈む。
ロイドが静かに促す。
「どうやって?」
「術式だよ。床と壁に刻んだやつがあんだろ。あれで檻の中のフェニックスから魔力を吸い上げて、容器に溜める」
「目的は?」
リーリヤが問う。
男は一瞬視線を逸らした。
「知らねえ」
氷の刃が、今度は男の耳たぶをかすめた。
「ひっ……!」
「それ、ほんとに知らない時の顔じゃないよね」
リーリヤの声は優しい。
だからこそ余計に怖い。
アルエがマットの耳元で小声を漏らす。
「うわぁ……」
マットも同じくらいの声量で返した。
「母さんを思い出す」
ロイドは一つ咳払いをする。
「リーリヤ、少し整理しよう。『知らない』のか、『詳しくは知らない』のかで話が変わる」
「あ、そうね」
リーリヤはすぐに切り替えた。
「じゃあ言い直して。どこまで知ってるの?」
男は歯を食いしばる。
少し黙り込んだあと、観念したように口を開いた。
「……あの魔力は、運ばれる」
「どこへ?」
「知らねえ!」
リーリヤの視線が冷える。
男は慌てて続けた。
「ほんとにそこまでは知らねえんだ! 俺たちは容器をまとめて渡すだけだ! 後は別の連中が持っていく!」
ロイドの目が細くなる。
「分業制か」
「組織的だね」
リーリヤが頷いた。
「受け渡し場所は?」
「谷の外れだ……三日に一度、夜に荷をまとめて置く。そしたら朝にはなくなってる」
「相手の顔は見たことないの?」
「ない! 見張りはするなって言われてる!」
リーリヤはじっと男の目を見た。
嘘ではなさそうだった。
だが、それだけでは足りない。
「じゃあ次。ここ以外にも同じような場所はある?」
男は押し黙る。
リーリヤはため息をついた。
「時間の無駄だからさっさと吐いてよ」
嗜虐的な笑みが浮かぶ。
「もっと虐められたいなら、別にそれでもいいけど」
男の額に汗が浮く。
「……ある」
「どこ」
「知らねえ!」
氷の刃が今度は肩へ浅く刺さった。
「ぎゃっ!」
「雑」
リーリヤは冷たく言い放つ。
「知らないじゃなくて、知ってる範囲を言って」
男は肩で息をしながら答える。
「火山だけじゃねえ。森だとか、草原だとか、場所ごとに担当が違うって聞いたことがある……俺は火山しか知らねえ」
ロイドが小さく頷く。
「やはり一箇所の話ではないね」
「フェニックスだけ?」
リーリヤがさらに問う。
男は首を振る。
「いや……他にもいる」
「何」
「火に強いのとか、魔力が多いのとか……とにかく、使えるやつを集めろって」
マットが眉をひそめる。
「使える、か」
その言葉の響きに、洞窟の奥で見たフェニックスの死骸が重なる。
リーリヤの目がさらに冷えた。
「ずいぶん便利な言い方するのね」
「お、俺が決めたわけじゃねえ!」
「でもやった」
男は言葉に詰まる。
リーリヤは氷刃を作り直した。
先ほどより少し大きい。
男の顔が引きつる。
「待て待て待て! ほんとに全部は知らねえんだって! ただ……ただ一つ、聞いたことがある!」
ロイドが先に口を挟んだ。
「何を?」
男は唇を震わせながら言う。
「魔力を溜めるだけじゃ足りねえって……もっと質のいい魔力がいるって、上のやつらが話してた」
「質?」
リーリヤが目を細める。
「どういう意味」
「知らねえ! でも、ただ多けりゃいいわけじゃねえらしい! 再生力が高いのとか、属性が偏ってるのとか、そういうのを分けて集めてるって……」
ロイドの顔色がわずかに変わった。
「……魔力の選別」
彼は低く呟く。
「強制進化のために、ただ量を集めてるんじゃない。特性ごとに使い分けようとしてるのか」
アルエが小声で言う。
「それ、だいぶ嫌な話じゃない?」
「かなり嫌な話だな」
マットも答える。
リーリヤは男を見下ろしたまま、指先で氷刃を回した。
「他に」
男は首を振る。
「も、もう知らねえ! 本当に知らねえ! 俺は見張りと回収だけだ! 拾った情報なんてそのくらいだ!」
リーリヤは少し黙った。
その沈黙が、男には何より怖かったらしい。
「ほんとだ! 頼む! もう勘弁してくれ!」
「どうする?」
アルエが小声で訊く。
ロイドは男をじっと見たあと、静かに言った。
「少なくとも、末端なのは本当だろうね」
「話の整合性は取れてる。今のところ大きな嘘はなさそうだ」
リーリヤはマットを見た。
「マット」
「おう」
「回復」
男の顔が絶望に染まる。
「は……?」
マットは何も言わず、男の肩へ手を当てた。
柔らかな緑の光が広がる。
氷に貫かれていた肉が癒え、裂けた皮膚が塞がっていく。
男は信じられないものを見るように目を見開いた。
リーリヤが微笑む。
「ねえ」
「さっきも言ったけど、時間の無駄だからさっさと吐いてよ」
「もっと虐められたいなら別にそれでもいいけど」
嗜虐的な笑みだった。
男の喉がからからと鳴る。
治った。
つまり。
まだ続けられる。
その事実を理解した瞬間、男は完全に心を折られたようだった。
「も、もうねえよ……ほんとに……知ってることは全部言った……」
リーリヤはしばらく男を見つめる。
やがて小さく息を吐いた。
「ロイド?」
「うん。今の段階では十分だと思う」
ロイドは静かに答えた。
「受け渡し場所、分業、複数の拠点、魔力の選別。この辺りが分かっただけでも大きい」
マットが腕を組む。
「じゃあ、こいつはギルドに引き渡しか」
「そうね」
リーリヤは立ち上がった。
その瞬間、男の肩がびくりと跳ねる。
もう何もされないと分かっていても、体が勝手に怯えているのだろう。
アルエがその様子を見て、ぽつりと漏らした。
「……ほんと、怖かった」
マットが小さく頷く。
「分かる」
ロイドはメモを閉じる。
「でも、成果は大きかったよ」
リーリヤは振り返り、いつもの少し困ったような笑みを浮かべた。
「じゃ、帰ろっか」
その笑顔を見て、男は逆に震え上がった。




