第91話 消えたマナフェニックス
ひと月ほどが過ぎていた。
最初はよそ者として扱われていたマットたちも、今ではすっかりこの街の空気に馴染んでいた。朝の市場で顔を合わせれば挨拶を交わす店主が増え、宿の主人は何も言わずとも大皿の料理を人数分より少し多めに出してくれる。街の子どもたちはササミを遠巻きに眺めながらも、最近では恐る恐る餌を差し出すようになった。
もっとも、マットたち自身はそんな変化をあまり意識していない。彼らの日常は相変わらず、依頼を受け、調査を行い、妙なモンスターや強制進化の痕跡を追いかけることの繰り返しだったからだ。
崩れた研究所の調査。
魔力注入の痕跡を残した森の洞穴。
異様に大型化したボアの討伐。
暴走寸前だった水棲モンスターの安定化。
そうした依頼を一つずつ片付けていくうちに、気付けば時間だけが過ぎていった。だが結局のところ、決定的な手掛かりは何も掴めていない。
そしてその日もまた、いつも通りの朝だった。
マットたちはギルドの扉を押し開ける。
中はいつものように賑わっていた。依頼板の前では冒険者たちが言い争い、受付では新人らしい青年が必死に説明を受けている。そんな光景を横目に、マットたちは迷うことなく奥へ進んだ。
ギルドマスターの執務室。
扉を軽く叩く。
「入れ」
低い声が返ってきた。
マットたちが中へ入ると、グラハムは机の向こうで書類を整理していた。顔を上げると、いつもの豪胆な笑みを浮かべる。
「おう、お前らか。丁度いいところに来たな」
マットは首を傾げる。
「丁度いいって?」
グラハムは書類をまとめて机の端へ置いた。
「朗報だ。アーデンのことなんだがな、ようやく方針の目途が立った」
アルエの顔がぱっと明るくなる。
「よかったじゃない!心配してたのよ」
グラハムは頷いた。
「ああ。とりあえず地下の鉱床は街とギルドで共同管理って形になった。鉱床が分布している地域の施設は場所を移すことになったが、幸い牧場系の施設ばかりだったからな。移転自体は大きな問題なく進みそうだ」
その言葉に、一同はほっと息をつく。
偶然の発見だったとはいえ、あの騒動の発端を作ったのは自分たちだ。街の生活に深刻な影響が出るような結果になれば、さすがに後味が悪かった。
グラハムは腕を組んだ。
「良い報告はここまでだな」
少しだけ表情が引き締まる。
「残念ながら、キマイラの件も強制進化の件も、他にはめぼしい情報は得られなかった」
ロイドが眉を寄せる。
「何もですか」
「ああ。何もだ」
グラハムはあっさりと頷いた。
「だがな、何も得られなかったということ自体が、一つの答えかもしれん」
リーリヤが首を傾げる。
「どういうことですか?」
グラハムは椅子の背に体を預けた。
「つまりだ。相手は研究の痕跡も、人の痕跡も、きれいさっぱり消し去ったってことだ。そんな芸当は、研究の規模を考えりゃ到底個人でできるとは思えん」
リーリヤは静かに言う。
「つまり、組織的な動きってことね」
グラハムはにやりと笑った。
「そういうことだ。嬢ちゃんは物分かりが良くて助かる」
そして少し身を乗り出す。
「組織的な悪だくみをしてる連中がいる以上、ギルドとしてもそれを前提に動くことになる。組織には組織で対抗するべきだ」
アルエが腕を組んだ。
「だったら、この妙な進化の話はもう私たちには関係ないの?」
「逆だ」
グラハムは即答した。
「お前たちはこの件に関して、現場を一番見ている連中だ。ギルドとしては、お前たちを全力で支援することが真相に辿り着く近道だと判断した」
そう言って机の引き出しを開ける。
取り出したのは、四つのペンダントだった。
青い宝石が中央に埋め込まれ、金属の細かな装飾が施されている。
マットがそれを受け取り、光にかざす。
「これは? 随分綺麗だが」
グラハムは肩をすくめる。
「綺麗なだけじゃねえぞ。それはCランクのパーティに対して、ギルドが正式に発行している身分証明だ。これまでの経歴やパーティ情報を書き込めるし、更新もできる。これがあれば、他の街に行ってもいちいち守衛に捕まることはなくなる」
アルエは嬉しそうに眺める。
「へぇ。便利ね。あのやり取りはもうこりごりなのよ」
グラハムは笑った。
「だろうな」
そしてふと、机の上の依頼書を一枚持ち上げた。
「さて、本題だ」
紙を机の上に広げる。
「お前たちには随分世話になった。俺の方で溜めていた、お前ら用の依頼はこれで最後だ」
マットは紙を覗き込む。
「最後?」
「わりかし最近の依頼だがな。まずはこいつを見てくれ」
ロイドが先に目を通す。
そして、静かに読み上げた。
「……モンスターの数の急激な減少?」
グラハムは頷く。
「ああ。周辺のモンスターの活動が活発になってるのは、もう言うまでもない。その中で、ここだけ特定のモンスターの目撃数が一気に減ってる」
ロイドは顎に手を当てる。
「単純に考えれば、モンスターの活動が活発化して、食物連鎖が乱れて個体数が激減したとかかな」
グラハムは首を横に振る。
「その線も考えた。だが、どうにも妙でな」
地図を机の上に広げる。
赤い印がいくつか打たれていた。
「目撃数が減っているのは、マナフェニックスだ」
アルエが思わず顔を上げる。
「フェニックス?」
「この辺りには天敵になるモンスターも少ない。それに、あいつらは逃げるのが得意な種だ。そう簡単に数を減らすような連中じゃない」
ロイドの目が、わずかに輝いた。
「確かに……それは興味深い現象ですね」
マットは腕を組みながら地図を眺める。
「つまり、何かがフェニックスを狙ってるってことか?」
グラハムはゆっくり頷いた。
「そういう可能性もある」
「あるいは――」
そこで言葉を切る。
意味ありげな沈黙が、部屋に落ちた。
ロイドが小さく呟く。
「捕獲……」
グラハムは笑った。
「察しがいいな」
マットたちは顔を見合わせる。
強制進化。
魔力の強制注入。
そして今度は、マナフェニックスの消失。
偶然にしては、少し出来過ぎている気がした。
グラハムは依頼書を指で叩いた。
「調査してこい」
「どうも、妙な匂いがするんでな」




