第88話 岩丘の調査
街を出てしばらく歩くと、草原の風景は少しずつ様子を変えていった。なだらかに広がっていた緑の地面のあちこちから、灰色の岩が突き出すようになり、やがてそれらは小さな丘のような塊を形作っていく。遠目にはただの岩場にしか見えないが、近づくほどに地形の複雑さが分かってくる。割れ目のような細い道、岩と岩の間にできた影の溝、そして獣が通った形跡のある細い獣道が、いくつも交差していた。
「なるほど、確かに何かいそうな場所だな」
マットが周囲を見回しながら言うと、アルエが腕を組んで頷いた。
「草原よりは隠れ場所が多いわね。モンスターが住み着くには悪くない場所かも」
カーボはすでに鼻を低く地面へ近づけ、岩の間をゆっくり歩きながら匂いを追っている。灰色の毛並みは岩場の色に自然に溶け込み、鋭い耳だけが周囲の音を拾うように微かに動いていた。
その様子を見ながら、マットは思い出したように口を開く。
「しかしよ」
「目撃されたっていう巨大フレアリザード、本当にそんな大きさだったのか?」
ロイドが肩越しに振り返る。
「どういう意味だい?」
「いや、話だけ聞くとさ」
マットは顎を掻いた。
「それってドラゴンだったんじゃないのか?」
ロイドは小さく首を振る。
「だとしたら、もっと大騒ぎになっているはずだよ」
彼は岩の表面を軽く触りながら続けた。
「ドラゴンという種族はね。どんなに小型であっても、幼体であっても、存在そのものが厄災になり得る生き物なんだ」
リーリヤが眉をひそめる。
「ドラゴンって言っても、モンスターなのよね?」
「何がそんなに問題なの?」
ロイドは少し考えるように視線を上げた。
「ドラゴンの体内には、桁外れの魔力量が蓄えられている。そこから放たれる魔法は、同じ魔法でも威力がまるで違うんだ」
そして、ちらりとアルエを見た。
「アルエを見ていれば、説明はいらないと思うけどね」
アルエがむっとする。
「なによその言い方」
ロイドは肩をすくめた。
「褒めてるんだよ。それだけじゃない。ドラゴンの魔力は周囲の環境にすら影響する。ドラゴンの住む土地には、強力なモンスターが集まりやすいと言われているけど、その理由の一つがそれだ」
リーリヤが小さく息を吐いた。
「存在そのものが厄災って、そういう意味なのね」
アルエがふと思いついたように言う。
「じゃあ、私もそうなるかもしれないの?」
ロイドは少しだけ考えてから答えた。
「……それはどうだろうね。魔力量は多いけど、まだ人間の範疇だよ」
そして、わずかに笑う。
「今のところはね」
その会話の間にも、カーボは岩場の奥へと歩いていく。やがて一つの岩の前で足を止め、低く唸った。
ロイドがすぐに近づく。
「何か見つけたのかい?」
地面には、はっきりと残った爪痕があった。
岩の表面を削るように刻まれた、深い引っかき傷。
ロイドはしゃがみ込み、指でその跡をなぞる。
「これは……」
彼の眉がゆっくりと上がった。
「フレアリザードの爪痕に似ているけど、サイズが違う」
マットが横から覗き込む。
「そんなに違うのか?」
「普通の個体なら、ここまで岩を削れない。体重も筋力も、明らかに桁が違うね」
ロイドは周囲を見回す。
すると少し離れた場所に、焼け焦げた草の跡が広がっているのが見えた。
リーリヤがその場所へ歩み寄り、膝をつく。
「……ここ、火炎魔法の跡だわ」
「でも」
彼女は地面へ手をかざした。
「普通の火じゃない」
目を閉じ、静かに集中する。
やがて、リーリヤの眉がわずかに寄った。
「魔力が混ざってる」
ロイドが振り返る。
「残留魔力かい?」
「ええ。でも自然な魔力じゃない。誰かが意図的に加工したような……そんな感じがする」
その言葉を聞いた瞬間、ロイドの目が輝いた。
「やっぱりだ」
彼は再び地面の足跡を観察する。
「この個体、普通のフレアリザードじゃない。魔力の影響を受けて体が変化している可能性が高い」
マットが腕を組んだ。
「つまり、強制進化薬ってやつか」
「その可能性が高いね」
ロイドが頷く。
「だとすると、この辺りで実験が行われたか……少なくとも、その個体が活動していたことになる」
そのとき、カーボが再び唸った。
鼻先を岩の隙間へ向け、低く息を吐く。
匂いを見つけたらしい。
マットが笑う。
「よし」
「調査開始だな」
カーボは一度だけ短く吠えると、岩丘の奥へと走り出した。
灰色の体が岩影の間を滑るように消えていく。
マットたちもすぐに後を追った。
岩と岩の間の狭い通路。
その奥には、まだ見ぬ何かの痕跡が残されているはずだった。




