81話 ホワイトウルフの追跡
草原の風は乾いていた。
だが、カーボの鼻が捉えた匂いは明確だった。風に混じる獣の臭い、血のような鉄の匂い、湿った毛皮の匂い。その奥に、わずかに異質なものが混ざっている。普通のホワイトウルフの群れとはどこか違う、鋭く張り詰めた匂いだった。
カーボの耳がぴくりと動いた。
鼻先を低く地面へ近づける。草の根をかき分けるように進みながら、何度も匂いを確かめている。そしてやがて顔を上げると、小さく喉を鳴らした。
「ウォン」
短い報告だった。
ロイドが頷く。
「追える?」
カーボは振り返り、わずかに尾を振る。
それだけで十分だった。
「いいね」
ロイドはすぐに判断する。
「ササミ、上から見よう」
ササミは大きく翼を広げると、リーリヤとロイドを背に乗せたまま地面を蹴った。巨大な翼が空気を掴むと同時に強い風が巻き上がり、周囲の草が大きく波打つ。二度、三度と力強く羽ばたくと、その巨体はあっという間に空へ浮かび上がった。
やがて高度を取り、草原全体を見下ろす位置へ到達する。
地上では、カーボがすでに走り出していた。
アルエは迷いなくその背へ飛び乗る。
「行くよ、カーボ!」
白い狼は一度だけ地面を蹴った。
その瞬間、身体が弾丸のように前へ飛び出す。
草が左右へ流れ、風が唸る。視界の端で景色が線のように引き延ばされていく。カーボの走りはすでに普通の狼の域を越えており、筋肉の収縮一つ一つが爆発的な推進力へと変わっていた。
その後ろを――。
マットが全力で走っていた。
地面を踏むたびに筋肉がしなる。土を蹴る音が重く響き、身体のバネだけで速度を維持しているとは思えないほどの速さで草原を駆けていた。
呼吸は一定。
むしろ顔は楽しそうだった。
「いいなこれ!」
誰も反応しない。
アルエも、リーリヤも、ロイドも、もはや突っ込む気力すらない。
マットは一人、上機嫌で走り続ける。
「この速度で長距離走れるの、かなり良いトレーニングだぞ!」
筋肉の躍動を全身で感じながら、彼は草原を駆けることそのものを楽しんでいるようだった。
草原を裂くように一行は走る。
やがて――。
ササミの声が空から降ってきた。
「クエ!」
ロイドが身を乗り出す。
「いた!」
遠く、草原の向こう。
丘の影を横切る白い影。
一瞬だけ姿を見せたそれは、すぐに地形の陰へ消えていった。しかしカーボの速度はさらに上がる。匂いは完全に捕捉しているようで、迷いなく一直線に追跡を続けていた。
「逃がすかぁ!」
アルエが楽しそうに叫ぶ。
数分の追跡。
距離は確実に縮まっていく。
だが――。
突然だった。
白い影が、ぴたりと止まった。
丘の影。
岩が露出した小さな窪地。
そこにいた。
ホワイトウルフ。
三匹。
低く唸りながら、すでに戦闘態勢に入っている。
そして。
その奥。
ゆっくりと姿を現す巨大な影。
一回り。
いや、二回り大きい。
毛並みは純白だが、体躯は異様なほど太い。肩から背にかけて盛り上がった筋肉は鎧のように見え、普通のホワイトウルフとは明らかに格が違っていた。
ロイドが小さく呟く。
「アルファホワイトウルフか」
アルエが眉を上げる。
「アルファ?」
リーリヤが空から声を投げる。
「どういう意味?」
ロイドは静かに答えた。
「群れの中の強い個体だよ」
ササミが羽ばたき、地面へ降下する。
巨大な翼が風を巻き起こし、草原が大きく揺れる。重い音とともに着地すると、リーリヤとロイドが背から降りた。
ロイドは説明を続ける。
「ウルフ系モンスターは段階的に強くなる」
「群れの中で強い個体がアルファになる」
「そして、さらに長く生き残った個体が――キングへ進化する」
アルエがぽつりと言う。
「じゃあ、カーボもいつかキングになるのかな」
ロイドは少し考え、肩をすくめた。
「可能性はあるね」
そしてすぐに視線を前へ戻す。
「でも今は、戦闘に集中しよう」
その言葉と同時だった。
ホワイトウルフが動いた。
三匹が同時に飛び掛かる。
完全な連携。
「罠だな」
ロイドが呟く。
だが、このパーティにとってはたいした問題ではない。
カーボが前へ躍り出る。
一直線にアルファへ向かい、牙を剥く。巨大な狼の真正面へ飛び込むその動きは、まるで挑戦状を叩きつけるかのようだった。
残った三匹は散る。
ササミが翼を広げた。
リーリヤとロイドを守るように前へ出る。
白い牙が迫る。
だがリーリヤは動じない。
ササミの影から手を伸ばすと、空気が一瞬で冷え込んだ。氷の魔力が掌へ集まり、鋭い刃へと形を変える。
「アイスダガー」
氷刃が空気を裂く。
一匹の脚を正確に貫いた。
狼が地面へ倒れ込む。
すぐさま二本目。
三本目。
氷の刃は正確に獲物を縫い止めていく。
その横で。
アルエが笑った。
「アミノ」
「やるよ」
アミノはするりと身体を伸ばす。
マットの時とは違う。
締め付けるようには絡まない。
ゆるく、アルエの腕から肩へと巻き付くと、尻尾を数回絡めただけで鎌首をもたげた。
二人の視線が同じ方向を向く。
魔力が重なる。
「フレイムウィップ!」
炎が弾けた。
しかし普段とは桁が違う。
炎の鞭は巨大だった。
草原を円形に薙ぎ払い、その熱量だけで空気が歪む。さらにその炎の内部を、紫電が蛇のように走った。
炎と雷。
二つの属性が絡み合いながら爆発する。
三匹のホワイトウルフは一瞬で飲み込まれた。
光。
爆ぜる熱。
そして。
何も残らない。
蒸発だった。
アルエが拳を突き上げる。
「やりぃ!」
アミノの頭へ手を出す。
アミノは小さく頭をぶつける。
ハイタッチ。
その頃。
マットが遅れて到着した。
全速力で走ってきた勢いのまま地面を踏みしめて止まり、周囲を見回す。焦げた草、倒れた狼、まだ揺れている空気。戦闘が終わったばかりであることは一目で分かった。
「……終わった?」
リーリヤが冷たい目で言う。
「終わったわよ」
マットは少し残念そうに肩を落とした。
だが、その空気の中で。
カーボだけが警戒を解かない。
アルファホワイトウルフと向き合ったまま、低く唸っている。
毛が逆立っていた。
その瞬間。
遠くで狼の遠吠えが響いた。
長く、低い声。
草原の奥から連なるように続く。
それは――呼び声だった。
誰もが同時に理解する。
リーリヤが小さく呟く。
「……完全に呼んでる」
そのとき。
岩山の上。
黒い影がゆっくりと姿を現した。
白い群れを見下ろす存在。
マットが目を細める。
「あれか」




