80話 黒いホワイトウルフ
カタリナの街を出ると、周囲の景色はすぐに広い草原へと変わった。見渡す限りの草原。
だが、ただの草原ではない。
あちこちの草が黒く焼け焦げている。
地面には、ところどころ岩が突き出した小さな丘。
そして遠くには、細く光る小川が一本、蛇のように草原を横切っていた。
街道はしっかりと整備されているものの、その両側には人の手が入っていない自然が広がっている。遠くには低い丘陵地帯が連なり、さらにその奥には岩山の影も見えていた。ロイドが言うには、この一帯は多種多様なモンスターが生息している地域らしい。
「この辺りはね、カタリナ周辺でも特にモンスターの種類が多い場所なんだ」
ロイドは歩きながら地図を広げた。
「数が多いのはホワイトウルフ、コカトリス、フレアリザードあたりかな。どれも中型のモンスターだけど、それぞれかなり厄介な能力を持っている」
アルエが肩越しに地図を覗き込む。
「コカトリスって、ササミの元の姿だったやつだよね?」
「そうだね」
ロイドは頷く。
「それ以外にも、生息数は少ないけどヒポグリフや、岩山の周辺にはミノタウロスなんかも確認されている」
リーリヤが思わず目を丸くする。
「さらっと言ってるけど、どれも普通に危険なモンスターばっかりじゃない」
ロイドは肩をすくめた。
「そうだね。でもそれに引けを取らないこのあたりの冒険者っていうのも、なかなか恐ろしい存在だよ」
その言葉に、アルエが苦笑する。
「確かに、ギルドの中を見た感じだと納得かも」
マットは特に気にした様子もなく周囲を見渡していた。新しいガントレットを軽く握ったり開いたりしながら、装備の感触を確かめている。
その横で、リーリヤはササミの頭を軽く撫でながら言った。
「そういえばさ」
「ササミって、この辺りから流れてきたのかな?」
ササミは「クエ?」と小さく鳴き、首を傾げる。
アルエが思い出したように言う。
「村を襲撃したコカトリスを捕獲したんだもんね」
「うん」
リーリヤは頷いた。
「でも、村の周辺にはコカトリスなんていないじゃない?」
ロイドは歩きながら地図をもう一度広げ、現在地とマットたちの村の位置を指でなぞった。
「どうだろうね。コカトリスの分布地と君たちの村を見比べると、この辺りが一番近いかもしれない」
しばらく考えるように顎へ手を当てる。
「アーデンあたりまでなら流れてくるのは納得できるんだけど、君たちの村となると流石に距離が離れすぎてる気もするね」
リーリヤはササミの背を撫でながら笑う。
「そっか。もしササミの故郷だったら懐かしいとか思うのかなって思ったんだけど」
ササミは相変わらずのんびりと「くえ」と鳴くだけだった。
その様子を見て、アルエが小声で言う。
「どうせ鳥頭だから忘れてるでしょ」
「くえ!」
ササミが抗議するように鳴く。
マットが笑う。
「怒ってるみたいだぞ」
リーリヤは首を傾げた。
「そんなことないよ。っていうより、何?って感じだね。今のは」
アルエが驚く。
「リーリヤ、ササミが何言ってるか分かるの?」
「ううん」
リーリヤはあっさり答えた。
「適当に翻訳してるだけ」
一瞬の沈黙のあと、アルエが吹き出した。
「あはは、それ翻訳って言わないよ!」
二人の笑い声が草原に響く。
そんなやり取りを聞きながら、ロイドは改めて話を戻した。
「さて、本題に戻ろうか」
「今回の依頼についてだ」
マットたちの視線が集まる。
ロイドは地図の一点を指差した。
「今回調査するのは、このあたりで目撃されているモンスターだ」
「黒いホワイトウルフ」
その言葉に、リーリヤがすぐにツッコミを入れた。
「黒いホワイトウルフって……それブラックウルフじゃないの?」
ロイドは苦笑した。
「そう言いたい気持ちはよく分かるよ」
「でもね、ブラックウルフなんて種族は存在しないんだ」
アルエが首を傾げる。
「でも、黒い狼のモンスターっているんじゃないの?」
「いるよ」
ロイドは頷いた。
「ダークウルフっていう種類だね」
「ただし、ホワイトウルフとはかなり違う」
ロイドは説明を続ける。
「ダークウルフはもっと小型で、群れもそこまで大きくならない。それに色も完全な黒じゃないんだ。どちらかというと紫に近い色合いでね」
「だから、ホワイトウルフと見間違えることはまずない」
リーリヤが腕を組む。
「つまり?」
ロイドは静かに答えた。
「何らかの理由で突然変異した個体か」
「アルビノの逆みたいな、黒い変異個体か」
そして少し声を低くする。
「あるいは――」
マットが続きを言った。
「例の薬関係」
ロイドはゆっくり頷く。
「そういうこと」
風が草原を揺らす。
その直後だった。
草むらの奥で、何かが動いた。
低い唸り声。
そして次の瞬間、赤い火球が一直線に飛んできた。
「うおっ」
マットはとっさに腕を上げる。
火球は真正面から胸当てに命中した。
爆ぜる炎。
しかし、マットは一歩も下がらない。
炎が消えると同時に、胸当ての表面に淡い蒼の光が流れた。
マットは自分の胸当てを撫でる。
「すごいな。この程度の魔法なら完全に吸収してるな」
草むらから姿を現したのは、人間ほどの大きさのトカゲ型モンスターだった。
フレアリザード。
口の奥にまだ炎の残滓を灯しながら、マットたちを睨んでいる。
アルエが呆れた声を出す。
「いや、そんな火の玉わざわざ受けなくても、あたしが出してあげるのに」
「そういうことじゃないでしょ!」
リーリヤが思わず叫ぶ。
「何やってるのよ、マット!危ないからちゃんと避けて!」
マットは肩をすくめた。
「でも、避けたら防具の性能分からんし」
リーリヤは額を押さえる。
「もう、勝手にして」
「言われなくても」
マットは拳を握り込む。
「ちょっと試してみたいこともあるし」
拳に淡い緑の光が集まり始めた。
回復魔法。
しかし、それは治療ではなく――。
マットは大きく踏み込む。
「ヒーリングパンチ!」
掛け声だけはやたらと立派だった。
だが、やっていることはただの全力の殴打である。
拳がフレアリザードに叩き込まれ、体がくの字に曲がる。
巨体が草原を転がる。
しかし次の瞬間。
フレアリザードの体が淡い緑色の光に包まれた。
回復魔法。
殴った直後に治療している。
フレアリザードは立ち上がり、明らかに困惑した様子で自分の体を見回した。
確かに殴られたはずなのに、痛みも傷もない。
何が起きたのか理解できていないようだった。
リーリヤは呆れた声を出す。
「何やってるの?ほんとに」
マットは真剣な顔でガントレットを見つめている。
「うん。これなら回復魔法の出力もちゃんと上がるな」
そして満足そうに頷いた。
「やっぱりいい仕事してる」
やりたいことは分かる。
だが、その方法は完全に常軌を逸していた。
結局フレアリザードは、その後マットに普通に殴り飛ばされて討伐された。
そして――。
リーリヤが腕を組む。
「モンスター相手に遊ばない!」
しっかり怒られた。
風が再び草原を揺らす。
遠くで狼の遠吠えのような音が、かすかに響いた。
カーボが足を止める。
耳を立て、遠くを見つめていた。
マットがその様子に気づく。
「どうした?」
カーボは低く唸った。
その声には、警戒と――わずかな緊張が混じっていた。
ロイドは静かに言う。
「どうやら、調査対象は思ったより近くにいるみたいだね」
黒いホワイトウルフ。
それがただの変異なのか。
それとも、異常進化の兆候なのか。
マットたちは警戒を強めながら、草原の奥へと歩みを進めていった。




