第70話 蒼銀の巨鳥 【挿絵付き】
戦いの流れは、確かにこちらへ傾き始めていた。
カーボの攪乱によってキマイラの意識は前後左右へ絶えず引き裂かれ、ササミが後衛の前で盾となることで、リーリヤとアルエは落ち着いて魔法を行使できている。アミノの共生強化を得たマットは、時間が経つほどに身体の出力を増していき、継ぎ目という明確な弱点が判明したことで、イレーヌの突きも狙うべき一点へ容赦なく集まり始めていた。
最初は異形の外殻に覆われ、ただただ不気味だった怪物の姿も、いまや少しずつその継ぎ接ぎの構造を剥がされ、本来あるべきでない部位を失いながら後退しつつある。
まず切り落とされたのは尾だった。
爬虫類めいた太い尾は、マットの拳で体勢を崩された直後、イレーヌのレイピアが継ぎ目を正確に貫いたことで根元から裂け、岩の床に叩き落とされた。次に、背に突き出していた棘の列が、アルエの炎に炙られて露出した隙をカーボが噛み砕き、最後に黒い甲殻の一部が、ササミの嘴による一撃で大きく抉られる。
異種のパーツが外れるたび、キマイラの体は一瞬だけ本来の輪郭へ近づいていく。無理やり継ぎ足された異形が削ぎ落とされ、その下から現れるのは、熊ほどの体格を持つライオン型の魔物としての骨格だった。
もちろん、それでも十分すぎるほど危険な相手であることに変わりはない。だが、継ぎ足された異物が剥がれていくほど、その動きは単調になり、どこか本来の生態へ引き戻されていくようにも見えた。
「押してる!」
アルエが声を上げる。
その声には焦りよりも熱があった。学院で覚えたばかりの魔法が、いまははっきりと実戦で意味を持っている。フレイムウィップが継ぎ目を炙り、バーストフレイムが牽制となり、そこへリーリヤのフラッシュが重なることで、相手の視界と判断を確実に削いでいた。
リーリヤも息を整えながら頷く。
「もう一押しだね」
その言葉に、誰もが同じ確信を抱いていた。
継ぎ目は露出し、動きは鈍り、こちらの連携は崩れていない。このまま畳み掛ければ、仕留め切れる。そう思った、その瞬間だった。
キマイラの全身から、濁った魔力が一気に膨れ上がった。
どろりとした熱を含んだような魔力が、周囲の空気そのものを歪める。皮膚の下を何かが蠢くように波打ち、切り落としたはずの継ぎ目の周辺からも、新たな気配が噴き上がってくる。
「何か来る!」
ロイドの叫びに、一同は反射的に守りの体勢を取った。
カーボがマットの前へ滑り込み、ササミは翼を広げてアルエとリーリヤを庇う。イレーヌも即座に一歩引いて距離を取り、レイピアを低く構え直す。
それをあざ笑うように、キマイラは大きく吠えた。
直後、その背中が裂ける。
皮膚と筋肉を内側から突き破るようにして、漆黒の巨大な蝙蝠の羽が片方から生え、逆側からは純白の鳥類の翼が広がった。左右でまるで性質の異なる羽が、不格好でありながら不気味な均衡を保ちながら洞窟の空気を叩く。
さらに、切り落とされたはずの尾の断面がぶくりと膨れ、その先端から新たな頭部が押し出される。トカゲのように長い顎を持つ、別種の生き物の頭が尾の代わりに生まれ、粘ついた唾液を垂らしながらぎょろりと周囲を睨んだ。
「形態が変わった!?」
アルエの声が裏返る。
「いや、進化したのか!」
ロイドの叫びが洞窟に木霊した。
キマイラは地面を蹴り、不釣り合いな一対の翼を強引に羽ばたかせた。その飛翔は美しさとは無縁だった。だが、不規則で常識外れの軌道を描くせいで、かえって先が読めない。
巨体が斜め上へと跳ね上がったかと思えば、次の瞬間には角度を変え、一直線にアルエとリーリヤの方へ突っ込んでくる。
狙いは明白だった。
後衛。
魔法の要を潰しに来たのだ。
しかし、その進路に銀色の巨体が躍り出る。
ササミだった。
ロックスイーパーの巨体が二人の前へ割り込み、金属を蓄えた翼と身体でその突撃を真正面から受け止める。硬質なもの同士が激しくぶつかり合い、甲高い音が耳を打った。キマイラの勢いは止まらず、ササミの体はそのまま横へ弾き飛ばされる。
「ササミ!」
アルエの叫びが響く。
ササミの体は岩壁へ叩きつけられ、次の瞬間、崩れた岩と砂塵が一斉に降り注いだ。轟音とともに壁の一部が崩れ、銀灰色の羽と金属質の体が、その下へ半ば埋もれて見えなくなる。
その隙を逃さず、マットとカーボが同時に飛び掛かった。
マットはアミノの電撃で活性化した腕を振り抜き、カーボは死角から喉元へ食らいつこうとする。だが、インパクトの瞬間、キマイラの体が不意にずれた。鈍重だったはずの巨体がふっと軽くなり、まるで重力を無視したように軌道を変える。
避けたのではない。
飛んだのだ。
漆黒の蝙蝠翼と純白の鳥翼。その歪な組み合わせは、見た目の不格好さに反して、確かにこの怪物へ新たな立体機動を与えていた。
宙を舞うキマイラを追うように、イレーヌが土魔法を発動する。洞窟の床から岩塊が次々とせり上がり、空中へ連なる足場を形成していく。彼女はその上を駆け上がった。細身の体が無駄なく重心を移し、生成された岩の先端から先端へ、迷いなく飛び移っていく。
アルエは一瞬、戦闘中であることも忘れて息を呑んだ。
「……すごい」
思わず零れた声は、憧れに近いものだった。
あれが本当の冒険者の戦いなのだと、理屈ではなく感覚で分かる。魔法を使い、足場を支配し、その上でなお剣の軌道に一切の迷いがない。
イレーヌはキマイラより高い位置を取ると、そこで一瞬だけ体勢を沈めた。次の瞬間、全身のばねを使い切るように飛び込み、渾身の一撃を叩き込む。
レイピアの一閃が、黒い蝙蝠翼の根元を切り裂いた。続いて返す刃が、純白の羽の付け根をなぞるように走る。裂けた肉片と羽根が空中へ散り、キマイラの体勢が大きく崩れた。
外殻の一部も、その衝撃に耐えきれず剥がれ落ちる。
だが、その途中でキマイラは残った翼と魔力の流れを強引に組み替えたのか、体勢をねじ曲げるように変え、再び鋭く落下軌道へ入った。狙いは変わらずリーリヤだ。
「まずいっ!」
マットが叫ぶ。
だが距離がある。反応が、ほんの一瞬だけ遅れる。
間に合わない。
そう理解した瞬間、リーリヤは思わず目を伏せた。
「嫌っ……!」
その頭上を、銀色の影が覆った。
重い一撃が降り下ろされ、鈍い金属音が洞窟に広がる。
リーリヤが目を開くと、そこには広げられた巨大な翼があった。
銀色。
いや、ただの銀ではない。青い鉱床の光を受けて、蒼く、冷たく、しかし力強い光を宿した翼。
それが天蓋のように彼女の頭上を覆い、キマイラの攻撃を真正面から受け止めていた。
「……ササミ?」
アルエの掠れた声が漏れる。
瓦礫の下に埋もれたはずの巨体が、いまはまったく別の輪郭をまとってそこに立っていた。
伸びた首。
ひと回りどころではない巨躯。
全身を覆う羽は、もはや金属の蓄積ではなく、完全な金属翼へと変わっている。白銀だった色は蒼銀へと深まり、羽一枚ごとにミスリルめいた光沢が走る。嘴は細身に研ぎ澄まされ、爪は鉱山の掘削具めいた重さではなく、より洗練された刃の鋭さを帯びていた。
何より、その翼は美しかった。
重く、硬く、鋼そのものであるはずなのに、広げられたその姿にはどこか神々しさすらある。
蒼銀の巨鳥は、リーリヤを守るように一歩前へ出る。
その動きに応えるように、喉の奥から低く澄んだ声が響いた。
ササミだった。
あの鳴き声は、誰がどう聞いても、そうとしか思えなかった。
ここは妙に筆が乗ったお気に入りシーンです




