第68話 地下に残されたもの
青い光に満ちた巨大空洞から、いくつもの枝道が暗闇へと伸びていた。
調査隊はそこでいったん隊を分けることにした。全員で同じ通路を進むには規模が広すぎるし、足場や安全確認の意味でも複数のルートを同時に見ていく必要があったからだ。
マットたちはそのうちの一本を任されていた。
先頭を歩くのはカーボである。
黒い毛並みの魔狼は、鼻先をわずかに持ち上げながら慎重に足を進めていた。青い鉱石の光はすでに背後の大空洞で途切れており、この通路にはランタンの光しかない。壁も床もむき出しの岩で、踏みしめるたびに靴底の音が鈍く響く。
通路は人が二人並んで歩けるかどうかという程度の幅しかなく、ところどころで天井が低くなっていた。自然洞窟らしく曲がりくねりながら続いており、先がどこまで伸びているのかはまるで分からない。
マットは無意識に周囲を見回していた。
洞窟というのは本来、もう少し生命の気配があるものだ。地下水の滴る音、岩の隙間に潜む虫、小さな動物の気配。しかしこの場所にはそれがほとんどない。鉱石の魔力のせいなのか、それとも別の理由なのかは分からないが、静かすぎるほど静かだった。
その静寂を破ったのは、カーボの声だった。
「ワフ」
短い鳴き声。
しかしその響きは、普段よりずっと低い。
警戒している時の声だ。
カーボは足を止め、地面を見つめている。
「どうした?」
マットが近づくと、カーボは鼻先で地面を軽く突いた。
そこには、小さな瓶が転がっていた。
薄いガラスでできた、掌ほどの容器。口は割れており、中身はすでに空だ。だが、どう見ても自然にできたものではない。
「瓶?」
アルエがしゃがみこんでそれを拾い上げる。
「なんでこんなところにあるの?」
ロイドもランタンを近づけ、瓶を覗き込んだ。
「……間違いなく人工物だね」
彼は瓶の口を指でなぞりながら続ける。
「しかも結構最近のものだ。長い時間ここに放置されていたなら、もっと汚れや鉱石の粉が付着しているはずだから」
リーリヤが周囲を見渡した。
「つまり、人がここに来てるってこと?」
「可能性じゃなくて、ほぼ確定だろうね」
ロイドは静かに言った。
「この瓶、錬金薬を入れる容器に近い形状だ。冒険者が携帯する回復薬とは少し違う」
マットは瓶を手に取り、光にかざす。
瓶の内側には、ごくわずかに紫色の染みが残っていた。
「薬の跡?」
「そう見えるね」
ロイドは頷いた。
それから少し歩いたところで、さらに別のものが見つかった。
岩の隙間に差し込まれた金属の杭。
壁に刻まれた、簡単な印。
そして、踏み荒らされた足跡のような痕跡。
ここまで揃えば、もう疑う余地はなかった。
「完全に人の痕跡だね」
ロイドが結論を出す。
リーリヤは眉をひそめた。
「こんな地下の奥で、何してるのよ」
「それは……」
ロイドは言葉を濁した。
だが、その先を口に出さなくても、全員の頭には同じ考えが浮かんでいた。
こんな場所で、人工の薬瓶を使う人間。
まともな仕事であるはずがない。
「これじゃ、悪の科学者が居ても全然驚かないね」
アルエがぽつりと言う。
誰も反論しなかった。
マットは少し考え、それから口を開く。
「イレーヌを呼ぼう」
「そうだね」
ロイドも同意した。
もしここに人の関与があるのなら、これはもう単なる洞窟調査ではない。ギルドの正式な案件になる。
カーボが来た道を振り返り、軽く吠えた。
ほどなくして、イレーヌと調査隊の残りが合流した。
彼女は瓶を受け取り、しばらく黙って眺めていた。
それから深く息を吐く。
「……やっぱりね」
疲れた声だった。
「こんなところで人工物が見つかるなんて、嫌な予感しかしないわ」
彼女は瓶をロイドへ返した。
「どう思う?」
「錬金薬の容器だと思う。少なくとも、普通の回復薬じゃない」
「つまり?」
「地下で何かを作ってる人間がいる」
ロイドは静かに答えた。
イレーヌは腕を組む。
「……本当に、悪だくみをしている人間が居るとしか思えないじゃない」
しばらく相談したあと、調査隊はこの枝道をさらに進むことに決めた。
カーボが再び先頭に立つ。
通路はゆるやかに下りながら続いていた。
やがて。
ロイドが足を止めた。
「待って」
声は小さかったが、全員がすぐに立ち止まる。
「どうした?」
マットが尋ねる。
ロイドは耳を澄ませていた。
それから、低い声で言う。
「空気の流れが変わった」
言われてみれば、確かにそうだった。
わずかな風が、奥からこちらへ流れてきている。
しかもその風は、どこか広い空間を通ってきたような匂いがした。
ロイドは周囲の岩壁を見ながら呟く。
「この奥に、広い空間があるね」
声を潜めたままの言葉だった。
カーボが低く唸る。
ウゥ……
明らかな警戒。
マットはゆっくりと剣の柄に手を置いた。
全員の足取りが自然と静かになる。
通路は緩やかに曲がり、その先で急に視界が開けた。
ランタンの光が闇の奥へ広がる。
そこは、先ほどの鉱床空洞とは別の空間だった。
床には岩が散らばり、中央には不自然な石の台がいくつも並んでいる。壁には鉄の枠のようなものが打ち付けられ、砕けた鎖が床に落ちていた。
そして。
その奥で、何かが動いた。
低い唸り声。
重い呼吸。
ランタンの光がその姿を照らす。
それは、ライオンのような体をしていた。
だが、どこかがおかしい。
肩からは甲殻のような硬い装甲が生え、背中には本来あるはずのない棘が並んでいる。尾は爬虫類のように太く、片方の前脚には蜘蛛のような節のある構造が混ざっていた。
複数の生き物を、無理やり繋ぎ合わせたような姿。
その怪物が、ゆっくりと顔を上げる。
黄色い瞳が、調査隊を捉えた。
ロイドが息を呑む。
「……キマイラ」
次の瞬間。
怪物は、咆哮を上げた。




