第62話 鍛冶屋と石の味
結局、進化しかけのワイルドボアは経過観察という扱いに落ち着いた。
ササミが砕いた岩の欠片をいくつか与えたところ、暴れるような素振りは消え、妙な動きを見せ始めれば岩を与えることで落ち着くということが確認されたためだ。進化の兆候は確かに見られるものの、行き着く先がロックボアであると分かっているならば、街の設備でも十分対処可能だろうというのがギルドの判断だった。檻の強化と監視体制を整えておけば問題ない、というわけである。
もっとも、今回の騒ぎで分かったことが一つある。
最近のササミは、やたらとグルメなのだ。
岩を食べるにしても何でも良いわけではなく、かなり露骨にえり好みをする。最初はただの気まぐれかとも思ったが、観察してみるとどうやら明確な基準があるらしく、ササミが砕いて食べる岩はどれも鉱石の混じったものだったり、手に取るとほんのり魔力を感じるような欠片だったりする。
要するに、ただの石ではなく、何かしら体に取り込める成分を含んだものばかりを選んでいるというわけだ。
それ以外となると、むしろ普通の食事の方が好きらしい。肉でも野菜でも、出せば普通に食べる。だから岩を食べるのは栄養というより、何か別の理由があるのかもしれない。
しかし、このアーデンの街ではササミはやたらと岩を砕いては食べている。街道脇の大岩や、建物の裏手に転がっている石塊などを見つけては器用に噛み砕き、その欠片を満足そうに咀嚼するのだ。
街としても、それ自体は特に問題視されていない。むしろ邪魔な岩を片付けてくれるならありがたい、という扱いらしく、今のところ文句を言われたことは一度もなかった。
「そんなに気に入ったのか?」
何気なく呟きながら、マットはササミが砕いた岩の欠片を一つ拾い上げた。
掌の上で転がしてみると、その断面は独特の光沢を帯びており、灰色の石の中に細かな粒子がきらりと光る。明らかにただの石ではない。何かしらの鉱石が混ざっていることくらいは、岩石に詳しくないマットでも分かる。
とはいえ、それが何なのかまでは見当もつかなかった。
石ころほどの大きさのそれを指先で弄びながら街を歩いていると、不意に視界の端に見覚えのある看板が入った。
鉄槌と金床を描いた、いかにも分かりやすい意匠。
鍛冶屋だ。
「そういえば……」
マットは自分の胸元を見下ろした。
ストラスの街で父親のマエストロに揃えてもらった装備、チェストプレートと小手。長い旅路とダンジョンでの戦闘を重ねた結果、表面には無数の傷が刻まれ、縁の部分には歪みも出ている。まだ壊れているわけではないが、そろそろ一度きちんと手入れしておいた方がいい状態だった。
「せっかくだし、見てもらうか」
そう呟いて、マットは鍛冶屋の扉を押し開けた。
瞬間、むっとした熱気が顔を撫でる。
店の奥では炉が赤々と燃え盛り、炭の弾ける音がぱちぱちと響いていた。鉄が焼ける独特の匂いと油の混じった空気が満ちており、金床の上では真っ赤に焼けた鉄が鎚に叩かれて鈍い音を響かせている。
火花が散り、鉄が鳴る。
その中心に立っていたのは、がっしりとした体格のドワーフだった。
分厚い腕、煤で黒くなった革エプロン、そして胸まで伸びた髭。鎚を振り下ろすたび、筋肉が岩のように盛り上がる。
何度か鉄を叩いた後、ドワーフはようやく顔を上げた。
「……客か」
低く太い声だった。
「装備の手入れを頼みたいんだが」
マットがチェストプレートを軽く叩いて見せると、ドワーフは近づいてきて無言でそれを覗き込む。ごつい指先で縁を撫で、歪んだ部分を軽く押して確かめると、ふん、と鼻を鳴らした。
「だいぶ働かせたな。だが鉄はまだ生きてる。鍛え直せば問題ねぇ」
「助かる」
マットがほっと息をついたところで、ドワーフの視線がふと彼の手元に落ちた。
「……その石はなんだ」
言われて、マットは手に持っていた欠片を差し出した。
「これか? ササミが砕いた岩なんだが」
ドワーフはそれを受け取ると、指先で重さを確かめ、断面をじっと覗き込んだ。
「ほう」
短く声を漏らす。
「この辺でよく出る鉱石だな。昔は近くにでかい鉱床があってよ、街の鍛冶屋は皆そこから掘った鉄を使ってたもんだ」
「昔は?」
「とっくに掘り尽くされた。今じゃ表層に転がってる欠片を拾う程度だ。産業になるほどの量はもう残っちゃいねぇ」
そう言いながら石を返してくる。
「とはいえ、この辺の岩にはよく混ざってる。運が良けりゃ、どっか近くにまだでかい鉱脈が眠ってるかもしれんがな」
冗談めかして肩をすくめた、その時だった。
背後で、がしゃり、と金属の擦れる音がした。
振り向くと、ササミが店の隅に積まれていた鉄屑をじっと見つめている。
「……おい」
ドワーフが眉をひそめた。
「まさか食うつもりじゃねぇだろうな」
マットも慌ててササミの前に立つ。
「おい、やめとけ。商品に手を出したら洒落にならないぞ」
しかしササミは鉄屑から視線を外さない。むしろ興味津々といった様子で、首を傾げながら匂いを嗅いでいる。
ドワーフは腕を組んでしばらくその様子を見ていたが、やがて呆れたように笑った。
「……本当に食うなら、こっちだ」
そう言って店の裏手へ歩き出す。
案内された先には、大きな桶のような容器がいくつも置かれており、その中には曲がった鉄片や欠けた刃、割れた鎧の部品などが山のように放り込まれていた。
「鋳溶かすにしても品質が悪い屑鉄だ。まとめて処分する予定のもんだからな」
ドワーフは顎でそれを示す。
「ここなら好きに食っても構わねぇ」
ササミが振り向いた。
「くえ?」
まるで確認するように小さく鳴く。
マットは一瞬だけ悩み、それから苦笑して頷いた。
「……まあ、いいか」
その瞬間だった。
ササミは躊躇なく桶の中へ顔を突っ込み、鉄片をがりっと噛み砕いた。
硬い金属が砕ける嫌な音が響く。
そしてそのまま、がつがつと鉄屑を食べ始めた。
ドワーフはしばらく口を開けたままその光景を眺め、やがてぽつりと呟いた。
「……マジで食いやがった」
桶の隅に、もう一つ別の小さなバケツが置かれているのが目に入った。
鉄屑とは違う。中には、青い光をわずかに帯びた金属片がいくつか転がっている。指先ほどの大きさのものばかりで、形も歪で不揃いだが、炉の赤い炎を受けてその表面は淡く輝いていた。
「……これは?」
マットが指差すと、ドワーフはちらりと視線を向け、鼻を鳴らした。
「そいつか」
ぶっきらぼうに言いながら、太い指で金属片をひとつつまみ上げる。
「品質の悪い粗悪なミスリルだ。魔力もほとんど残ってねぇ」
軽く指先で弾くと、澄んだ金属音が小さく鳴った。
「精錬し直すにしても、ここじゃ設備が足りん。炉も温度もな。結局こうして溜まるだけだ。まぁ……ここの肥やしみたいなもんだな」
そう言って、再びバケツへと放り込む。
その時だった。
背後で、じっとその様子を見ていたササミが、首をかしげながら一歩近づいてきた。
視線は完全にその青い金属片へ向いている。
「……おい」
ドワーフが眉をひそめる。
「まさか」
ササミは、バケツを覗き込むようにして鼻先を近づけた。
金属の匂いを嗅いでいるのか、興味津々といった様子で首を揺らす。
ドワーフが半ば呆れた声を出す。
「正気か? ミスリルを食うってか?」
マットは腕を組みながらササミを見た。
「……そういえば、前にミスリルの鉱石を食べたこともあったな」
その言葉を聞いたドワーフの眉がぴくりと動く。
そして次の瞬間、にやりと口元が歪んだ。
「そいつはおもしれぇ」
腕を組みながら顎でバケツをしゃくる。
「食えるもんなら食ってみろ」
ササミは一瞬だけマットの方を見た。
「くえ?」
確認するような小さな鳴き声。
マットが苦笑しながら肩をすくめる。
「……まあ、屑なんだろ?」
その言葉を聞くや否や、ササミは迷いなくバケツに顔を突っ込んだ。
がりっ。
金属が砕ける音が響く。
鉄とは違う、少し澄んだ硬質な音だった。
ササミは青い金属片を噛み砕き、そのままごくりと飲み込む。
もう一つ。
さらにもう一つ。
躊躇いなど一切ない。
ドワーフはその様子を、口を開けたまま眺めていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……おい」
視線はササミから離れない。
「ミスリル食う生き物なんざ、初めて見たぞ……」




