第60話 ギルドマスター、イレーヌ
研究員に案内されながら、マットたちは広場の中央にある建物へと向かった。
ギルド支所は、周囲の倉庫や飼料小屋と比べれば少しだけ大きいが、それでも都市のギルドほど立派なものではない。厚い梁で組まれた木造の建物に、魔獣の爪跡を補修した跡がいくつも残り、入口の扉には古い鉄板が打ち付けられている。実用一点張りの建物だった。
扉を押し開けると、中は思った以上に忙しそうだった。
依頼書の束。
運び込まれた魔獣素材。
カウンターの奥で言い争う研究員と冒険者。
そして、壁際には捕獲用の檻まで置かれている。
普通のギルドなら酒の匂いが漂っているところだが、ここは違う。薬品と干し草と獣臭が混ざった、どこか研究施設に近い空気が満ちていた。
その奥の机で、一人の女性が書類の山に埋もれていた。
長い金髪。
整った顔立ち。
背筋の伸びた姿勢。
上品な雰囲気の女性だった。
だが――
目の下には、うっすらとしたクマがある。
書類をめくる指の動きも、どこか疲れている。
研究員が声をかけた。
「イレーヌ。例の一行を連れてきた」
女性はゆっくりと顔を上げた。
その視線は、まずロイドに向き、次にマットたちへ。
そして――
カーボ。
ササミ。
アミノ。
三匹のモンスターを順番に見る。
そこで、わずかに眉が上がった。
「……なるほど」
女性は椅子にもたれ、深く息を吐いた。
「噂の子供たち、というわけね」
アルエが小声で言う。
「やっぱり噂になってるんだ……」
イレーヌは苦笑した。
「なってるわよ。かなりね」
書類をまとめながら続ける。
「サリアンから報告も来てるし、冒険者経由の話も回ってくる。モンスターを三匹連れた子供のパーティ。しかも能力値がおかしい」
そこで視線がマットへ向く。
「あなたがリーダー?」
「そうだけど」
マットが答えると、イレーヌは頷いた。
「私はここのギルドマスター、イレーヌよ」
さらりと言ったが、その声には妙な重みがあった。
ただの事務員ではない。
昔、前線に立っていた人間の声だ。
リーリヤがそれを察したのか、小さく呟く。
「……強い人ですね」
イレーヌは肩をすくめた。
「昔はね。今は書類とモンスター騒ぎの処理係よ」
机の横には、折れた槍が立てかけられていた。
飾りではない。
実際に使われていた武器だ。
「ここ最近、トラブルが多くてね」
イレーヌはこめかみを軽く揉む。
「モンスターの暴走、飼育区画の事故、研究者同士の揉め事……」
疲れた声だった。
「研究には興味ないの?」
アルエが聞く。
イレーヌはきっぱり答えた。
「全然」
即答だった。
「私は研究者じゃない。ギルドマスターよ。街の秩序を保つのが仕事」
それでも、と彼女は続ける。
「情報は全部入ってくる。だから状況は把握してる」
マットたちを見回す。
「アーデンに来た理由は?」
マットが答える。
「モンスターの進化を調べに来た」
イレーヌの視線が、ササミとアミノへ移る。
「……なるほどね」
しばらく黙ったあと、椅子の背にもたれた。
「まあいいわ」
軽く手を振る。
「トラブルを起こさないなら歓迎する」
そして少し笑う。
「ついでに依頼もこなしてくれるなら大歓迎」
その言い方は軽い。
だが――
次の瞬間。
イレーヌはもう一度、三匹のモンスターを見た。
カーボ。
ササミ。
アミノ。
その目が、ゆっくり細くなる。
何かに気づいた顔だった。
書類を一枚めくる。
そこには、いくつかの報告書があった。
サリアンからの情報。
進化個体。
異常成長。
モンスター研究。
イレーヌは数秒黙り込んだ。
そして――
額を押さえた。
「……ああもう」
小さく呻く。
「嫌な予感がするわ」
マットが首を傾げる。
「なんで?」
イレーヌはゆっくり顔を上げた。
その表情には、完全に悟ったような諦めが浮かんでいた。
「長くこの仕事をしてるとね」
ため息をつく。
「トラブルの匂いが分かるのよ」
そして、はっきり言った。
「あなたたち」
一行を指差す。
「かなり危険な匂いがする」
アルエが抗議する。
「まだ何もしてないわよ!」
「分かってる」
イレーヌは苦笑した。
「だから歓迎してるの」
そして静かに続ける。
「ただ――」
少しだけ間を置く。
「あなたたちが来たことで、何かが起きる気がしてならないのよね」
ギルドの窓の外では、遠くの飼育区画でモンスターの鳴き声が上がった。
イレーヌはそれを聞きながら、もう一度深いため息をつく。
「お願いだから」
疲れた声だった。
「私の仕事を増やさないでちょうだい」




