第48話 研究者暴走
研究室は、しばらく静まり返っていた。
誰も口を開かない。
研究者だけが、マットを見つめている。
その目は――完全に獲物を見つけた研究者のそれだった。
「……質問がある」
低い声。
マットは肩をすくめる。
「答えられることなら」
その瞬間だった。
研究者が机に飛びついた。
引き出しを開ける。
紙。
本。
資料。
山のように机の上へ積み上げる。
インク瓶を倒しそうになりながらペンを掴む。
完全に目の色が変わっていた。
「まず捕獲方法だ」
ペンが走る。
「アルファダイアウルフ。どうやって生け捕りにした」
マットは少し考えた。
「当時はまだ山狼だった」
「山狼……」
研究者が書き込む。
「で、どうやって?」
マットは振り返る。
「カーボ、ちょっと来い」
巨大な狼がのそのそ歩いてくる。
研究者の目が細くなる。
「まさか今から再現する気か?」
マットは当然のように言う。
「わかりやすいだろ」
そしてカーボの首元に腕を回した。
研究者が身を乗り出す。
「何を――」
マットが胸を張る。
筋肉が盛り上がる。
「こうやって」
ぐっと締め上げる。
そしてポーズ。
「サイドチェスト!」
研究室が静まり返った。
カーボは慣れた顔でされるがままだ。
数秒後。
マットは腕を離す。
「こんな感じで締め落とした」
研究者のペンが止まる。
「……締め落とした?」
「うん」
「山狼を?」
「うん」
ロイドが小さく呟く。
「格闘技で狼を落とす人間は初めて見たね」
研究者は額を押さえた。
「……次だ」
紙をめくる。
「捕獲後の調教方法」
マットは答える。
「一緒にトレーニング」
「トレーニング?」
「走ったり」
「……」
「あとスパーリング」
研究者が顔を上げる。
「スパーリング?」
「戦う」
「戦う?」
「うん」
マットは当然のように続ける。
「お互い怪我するけど、回復魔法で治しながらまた戦う」
研究者のペンが止まる。
「……それをどれくらい」
「毎日」
沈黙。
ロイドがぼそりと言う。
「修行僧みたいだね」
研究者は遠い目をした。
「それは調教なのか……」
マットは首を傾げる。
「強くなるだろ?」
研究者はしばらく天井を見つめていた。
それから力なく言う。
「……次」
ペン先が紙を叩く。
「食事内容」
マットは少し考える。
「タンパク質多いやつ」
「具体的には」
「豆」
「豆?」
「畑作って育てた」
研究者の手が止まる。
「……畑?」
「うん」
「いっぱい食わせた」
研究者のペン先が震える。
「なぜだ」
マットは真顔だった。
「筋肉作るのに必要だから」
ロイドが思わず口を挟む。
「なんで狼に筋肉理論を適用してるんだい……いや、適用してるんだね」
マットは当然のように言う。
「強くなるだろ」
研究者の目が遠くなる。
「……次」
「コカトリス」
「どう捕獲した」
マットは答えた。
「村に襲撃してきた」
研究者の顔が上がる。
「それで?」
「投げ飛ばした」
「……投げた?」
「うん」
マットは手振りで説明する。
「こう掴んで」
「うん」
「ぶん投げた」
沈黙。
「気絶したから捕まえた」
研究者のペンが完全に止まった。
その横で。
アルエが椅子の背にもたれて、腕を組んでいた。
「ねえ」
誰も聞いていない。
研究者はまだ質問を続けている。
「回復魔法の使用頻度は」
「毎日」
「契約魔法は」
「知らない」
「知らない?」
「うん」
アルエの眉がぴくりと動いた。
「ねえ」
まだ誰も聞いていない。
リーリヤも苦笑している。
研究者の質問は止まらない。
「進化の瞬間は」
「尻尾がちぎれた」
「なぜだ」
「戦闘」
アルエがついに机を叩いた。
「私たち、蚊帳の外なんだけど」
研究室が止まった。
研究者が顔を上げる。
「ああ」
ようやく気づいた顔をした。
「すまない。夢中になりすぎた」
そして少し考える。
「そうだな、少し待て」
研究者は紙を一枚引き寄せた。
さらさらとペンを走らせる。
署名。
印。
それを二人へ差し出した。
「これがあれば学院内では好きに学べる」
アルエが受け取る。
「これは?」
「許可証だ」
研究者はもう次の資料をめくっている。
「興味の赴くまま探求するがいい」
完全に厄介払いだった。
だが。
アルエとリーリヤの目が輝く。
「学院の全部?」
「全部だ」
研究者は顔も上げない。
「邪魔しない範囲でな」
アルエがにやりと笑った。
「行こう」
リーリヤも頷く。
「はい」
二人は研究室を飛び出した。
研究室に静けさが戻る。
研究者はしばらく動かなかった。
机の上には走り書きのメモ。
戦闘。
回復。
戦闘。
回復。
同じ単語が何度も並んでいる。
やがて研究者はゆっくり顔を上げた。
「……これはテイマーではないな」
ロイドが首を傾げる。
「違うのかい?」
研究者は紙に線を引く。
「テイマーは契約で従わせる」
「だがこれは違う」
ペンが動く。
「戦わせる」
「回復する」
「また戦わせる」
「そしてまた回復する」
研究者の目が細くなる。
「進化条件を高速で満たしている」
一拍。
「言い換えるなら」
「育てている」
そして結論を告げる。
「これは従魔使いではない」
「トレーナーだ」
マットは腕を組む。
「トレーナーか」
少し考える。
「差し詰めフィットネストレーナーだな」
沈黙。
研究者の眉が寄る。
「……意味が分からない」
ロイドが笑う。
「筋肉の話だろう?」
マットが頷く。
「筋肉の話だ」
研究者は額を押さえた。
「私は魔物の進化の話をしているんだが……」
その時だった。
研究者の視線がカーボへ向く。
じっと観察する。
ぐるりと一周する。
「さっきの技だが」
「サイドチェストだったか」
マットが頷く。
「そうだな」
研究者は突然立ち上がった。
「……再現してみよう」
ぎこちない動きで腕を組み、胸を張る。
ロイドが吹き出した。
「いや、それだとただ胸を張ってるだけだね」
マットが言う。
「違う。もっと締める」
研究者が力を入れる。
ぷるぷる震える。
数秒。
「……無理だ」
そして真顔で言った。
「……一度、解剖してみたい」
「だめだ」
マットの即答だった。
「即答だね」
ロイドが笑う。
研究者は食い下がる。
「羽根一本でも」
「だめだ」
「血液サンプル」
「だめだ」
「……糞」
マットは少し考える。
「それならいい」
研究者が顔を上げる。
「本当か?」
ササミが慌てて鳴いた。
「クェッ!?」
カーボもササミもマットの脚にぴったり寄り添う。
マットがその頭をぽんと叩いた。
「安心しろ。こいつには触らせない」
研究者はメモを見つめていた。
そして小さく呟く。
「もしこの理論が正しいなら……」
ロイドが聞き返す。
「何がだい?」
研究者は静かに言った。
「魔物は“育てられる”」
ロイドが笑う。
「テイマーだって長く冒険していれば使役しているモンスターが進化するでしょ」
研究者は首を振る。
「違う」
そして一言。
「この速度では、生態系が壊れる」




