第42話 サリアンへの道
乾いた街道を、ゆるやかな風が撫でていく。
初夏の空は高く、雲は薄く流れ、遠くの丘陵がゆっくりと揺れるように霞んでいた。道は長い。村を出てからすでに数日、馬車道と呼ばれるこの街道は、踏み固められた土と細かな石でできている。人の往来は多くはないが、確かに生活の匂いが残る道だった。
街道の中央を、奇妙な一行が進んでいる。
先頭は黒い毛並みの大きな狼。
アルファダイアウルフ、カーボ。
その背に跨っているのは、小さな少年だった。
マット。
狼の背で器用にバランスを取りながら、彼は片手を挙げて叫ぶ。
「アミノー! もう一回!」
すると、後方の荷の影から、細長い影がぬるりと動いた。
ウィッチバイパー、アミノ。
紫の鱗を光らせながら首をもたげると、空気がわずかに震えた。
次の瞬間。
バチィッ!!
青白い電撃がマットの身体に叩きつけられる。
「――あばばばばばばばばばばば!!!」
身体を震わせながら、マットはそのままカーボの背で硬直した。
だが落ちない。
そして数秒後。
ふう、と息を吐く。
「よし、いい感じだ」
まったく平然としていた。
後方からそれを見ていた少女が、額を押さえる。
「……やっぱりおかしいと思う」
アルエだった。
彼女は巨大な岩のような魔物の背に乗っている。
ロックスイーパー、ササミ。
鉱石のような装甲を持つその体は、見た目の重さに反して驚くほど安定しており、移動の揺れも少ない。ササミの背には簡易的な鞍と荷物が取り付けられ、その横にリーリヤとアルエが並んで座っていた。
リーリヤは苦笑する。
「慣れたけど……やっぱり慣れないね」
「慣れなくていいと思う」
アルエは即答した。
そのやり取りの少し前を、馬がゆっくりと進んでいる。
馬上にいるのはロイド。
彼だけはごく普通の旅人の姿だった。
手綱を軽く操りながら、後ろを振り返る。
「まあまあ。慣れるよ。冒険者の旅なんて、こんなもんだ」
「こんなもんじゃないと思うんだけど」
アルエがぼそりと返す。
ロイドは笑った。
彼は旅慣れている。
野営も、長距離移動も、魔物の襲撃も、すべて経験済みだ。むしろこの一行はかなり快適な部類だった。
従魔がいる。
荷物を運べる。
戦闘力も高い。
普通の冒険者なら、これだけの条件が揃えばかなり恵まれていると言える。
問題があるとすれば。
その中心にいる少年くらいだろう。
ロイドは視線を戻す。
その瞬間。
「アミノ! もう一回!」
「まだやるの!?」
「筋肉は裏切らない!」
バチィッ!!
再び電撃が炸裂する。
「――あばばばばばばばばば!!」
アルエが空を仰いだ。
「……ほんと、なんなのよこの人」
リーリヤが小さく笑う。
「でも元気だよね」
「元気ってレベルじゃないわよ」
そんなやり取りをしているうちに、道はゆるやかに下り始めた。
丘を越える。
その先に、瓦屋根が見え始める。
木造の建物。
煙突。
畑。
小さな風車。
村だった。
ロイドが言う。
「今日はあそこに泊まろう」
その言葉を聞いた瞬間。
アルエが立ち上がりかけた。
「やったー!!」
ササミの背でバランスを崩しそうになりながら叫ぶ。
「やっとシャワー浴びれる!」
リーリヤも嬉しそうに笑う。
「流石に二日も野宿だと疲れるね……」
野営。
それ自体は珍しいことではない。
だが、地面に寝る生活はやはり体力を使う。
焚き火の煙。
湿った草の匂い。
夜の冷え込み。
どれも旅の一部だが、快適とは言い難い。
だからこそ。
村の宿というのはありがたい存在だった。
一行はそのまま村へ入る。
門はない。
柵と畑がゆるく境界を作っているだけだ。
道端には干し草が積まれ、鶏が歩き回り、遠くでは牛の鳴き声が聞こえる。
生活の匂いが濃い。
人の営みがそのまま空気になっているような場所だった。
村人がこちらを見る。
そして。
視線が止まる。
カーボ。
ササミ。
アミノ。
巨大な狼。
岩の魔物。
紫の蛇。
奇妙な組み合わせ。
ざわりと空気が揺れる。
子供が指を差す。
老人が目を細める。
しかし。
マットたちは慣れていた。
こういう視線には。
「こんにちはー」
マットは気軽に手を振る。
すると、村人も少しだけ警戒を解いた。
冒険者だ。
それがわかれば話は早い。
ロイドが先導し、宿へ向かう。
木造二階建ての建物。
看板には素朴な文字。
《旅人の宿》
実にわかりやすい。
扉を開けると、木の香りと煮込み料理の匂いが広がった。
アルエが深く息を吸う。
「……生き返る」
「まだ死んでないよ」
リーリヤが笑った。
宿を確保すると、荷を置き、村へ出る。
食料の補充。
保存食。
乾燥肉。
干し果物。
ロープ。
油。
火打ち石。
旅の消耗品は思った以上に減る。
市場は小さい。
だが必要なものは揃う。
農家の露店。
干し野菜。
塩漬け肉。
手作りのパン。
素朴だが温かい。
マットはパンをかじる。
「うまい」
リーリヤも頷く。
「こういうパン好き」
アルエは干し肉を吟味している。
ロイドはその横で値段交渉。
旅慣れた手際だった。
買い物を終えたあと、一行はもう一つの場所へ向かった。
村の外れ。
小さな石造りの建物。
看板。
《冒険者ギルド 出張所》
大きな支部ではない。
しかし、街道沿いの村にはこうした小さな拠点がある。
情報。
依頼。
安全確認。
旅の途中で顔を出しておくのは、冒険者の基本だった。
扉を開ける。
中には受付と机が一つ。
そして書類の山。
担当らしい中年の男が顔を上げた。
その視線が。
カーボで止まり。
ササミで止まり。
最後にマットで止まった。
「……なんだそのパーティ」
ロイドが肩をすくめる。
「ちょっと変わってるだけですよ」
男はしばらく黙り。
やがて笑った。
「まあいい。街道の魔物は最近静かだ。サリアンまでは大きな問題はないはずだ」
その言葉を聞き、ロイドは頷く。
だが。
その時。
アミノがふと顔を上げた。
舌をわずかに出す。
空気を探る。
誰もまだ、それを深く気にしていなかった。
だがその違和感は、静かに旅の空気の中へ紛れ込んでいた。




