第40話 村での強化
村へ戻ると、空気の匂いが違った。
湿った土の匂い。薪の煙。遠くで鳴く家畜の声。山の向こうから流れてくる風の温度も、街とはどこか違う。長く離れていたわけではないのに、戻ってきたと実感するのはこういう細かな感覚だった。
マットは村の入口で一度大きく伸びをした。
「やっぱ落ち着くな」
肩に巻き付いていたアミノが、ゆっくり舌を出す。村の空気を確かめているのか、あるいはただ落ち着いているのか、その細い体はいつもより少し緩んでいた。
その横で、カーボがゆっくりと歩く。
進化した体は明らかに一回り大きくなっていた。だが歩き方は以前と変わらない。むしろ、以前よりも静かで、無駄がない。村の人間たちは最初こそその大きさに驚いたが、マットの横で落ち着いて歩く姿を見て、すぐに「ああ、あの狼か」と納得したようだった。
そしてササミはと言えば、村へ戻った瞬間から落ち着きがない。
まっすぐ向かったのは、言うまでもなくジムだった。
「おいおい、帰ってきていきなりそれか」
マットが苦笑する。
だがササミは気にしない。
洞窟へ入るなり、すぐに岩壁を嘴で叩き始めた。
コン。
コン。
音が変わった。
以前よりも硬く、鋭い音。
次の瞬間。
岩が砕けた。
「……おい」
マットは思わず呟いた。
進化の影響は明らかだった。
ササミの嘴と爪は、ミスリルを取り込んだ影響なのか、わずかな金属光沢を帯びている。その刃のような嘴が岩肌へ当たるたび、以前よりも遥かに簡単に石が砕けていく。
ササミは砕けた石の中から、何かを選ぶように嘴を動かした。
やがて一つの石を飲み込む。
満足そうに鳴いた。
「……完全に選り好みしてるな」
マエストロが呟く。
ササミはその言葉を理解しているのかいないのか、また別の岩を砕き始める。
洞窟の奥では、すでに拡張工事が始まっていた。
岩が砕ける。
崩れる。
みるみるうちに洞窟の奥行きが広がっていく。
進化によって、採掘効率は以前とは比べ物にならないほど上がっていた。
そして砕けた岩の中から、ササミは魔力を帯びた石を選び、迷いなく飲み込んでいく。
嘴の縁が、わずかに光った。
「ほんと、どこまで強くなるんだか」
マットは笑った。
だが、自分も同じだった。
村へ戻ったその日のうちに、マットは一つの実験を始めていた。
アミノを見下ろす。
「頼むぞ」
アミノが小さく体を起こす。
電撃。
パチン、と音が弾けた。
瞬間。
マットの筋肉が強制的に収縮する。
「ぐっ……!」
体が跳ねた。
だが逃げない。
むしろその感覚を確かめる。
電気刺激。
筋肉が命令とは別に収縮する。
前世の知識がふと蘇る。
EMS。
電気刺激による筋肉トレーニング。
「やっぱり出来る」
マットは息を吐いた。
アミノの電撃は、魔法としては小さいものだ。
だが筋肉へ与える刺激としては十分すぎた。
さらに。
マットは手をかざす。
回復魔法。
筋肉の損傷を修復する。
そしてまた。
「もう一回」
アミノが電撃を放つ。
収縮。
回復。
収縮。
回復。
これを、アミノの魔力が尽きるまで繰り返す。
「……ずるいな」
マエストロが呟いた。
「普通の筋トレじゃ鍛えにくい部位も全部刺激できる」
「しかも回復魔法で回復するから、限界まで出来る」
マットは汗を拭った。
「ついでにアミノの魔法練習にもなる」
アミノは少し誇らしげに体を揺らした。
電撃の威力も、日を追うごとにわずかずつ上がっている。
魔力の扱いも、以前よりずっと滑らかだった。
洞窟の外では、別の訓練が行われていた。
「もう一回!」
アルエの声。
火球が飛ぶ。
だが。
ササミが爪を振る。
火炎が裂けた。
「……なんで切れるのよ!」
アルエが叫ぶ。
ササミは満足そうに鳴いた。
嘴と爪には、金属の光沢に加えて、わずかな魔力の輝きが宿っている。
ミスリルを取り込んだ影響なのか、その刃は魔法に対しても干渉するようになっていた。
「もう一回!」
アルエは悔しそうに魔法を構える。
火球の精度は、日ごとに上がっていた。
威力も。
その横では、リーリヤが水魔法の練習をしている。
学院で習ったばかりの術だ。
水弾が飛ぶ。
カーボが横へ避ける。
「逃げないで!」
リーリヤが叫ぶ。
再び水弾。
カーボはもう一度避ける。
毛が濡れるのが嫌なのか、露骨に避けている。
「待ってよ!」
リーリヤは追いかける。
結果として。
水魔法を当てる訓練が、動く標的への射撃訓練になっていた。
カーボはそれを半ば諦めたように受け入れている。
村へ戻ってから、まだ一月も経っていない。
だがその間に、パーティの力は静かに底上げされていた。
そしてある日。
村の入口に、一人の男が現れた。
細身の体。
長い外套。
手にはギルドの封書。
「やあ」
ロイドだった。
訓練場を見回す。
洞窟を拡張するササミ。
電撃を放つアミノ。
水魔法を撃つリーリヤ。
それを避けるカーボ。
火球を構えるアルエ。
そして。
電撃を受けながら腕立て伏せをしているマット。
ロイドはゆっくり頷いた。
「うん」
「思ったより面白いことになってるね」
封書を軽く振る。
「ギルドから正式な通達だ」
その言葉に、マットが顔を上げた。
村の静かな強化の日々は、そこで一度区切りを迎えることになる。




