第39話 夜のギルドと次の道
夜のギルドは、昼とはまるで別の顔を見せる。
酒場の喧騒はすでに引き、残っているのは片付けの音と、遅くまで酒を飲む数人の冒険者だけだった。壁に掛けられたランプの灯りが木の床に柔らかく落ち、昼間の喧騒が嘘だったかのように空気は落ち着いている。
奥の部屋。
ゲラングは椅子に深く腰掛け、腕を組んだまま机の上に並べられた報告書を眺めていた。
その向かいで、ロイドが楽しそうに紙をめくっている。
「いやあ、面白いね」
軽い調子で言う。
ゲラングは眉をひそめた。
「どこがだ」
「全部」
ロイドは迷いなく答えた。
指先で一枚の報告書を叩く。
「まずファントムゲッコーの件」
「採掘場の地下水脈。湿度、水面反射、閉鎖空間。透明種が大型化するには理想的すぎる環境だった」
「流れ着いた個体がそのまま繁殖した、という説明でも一応は筋が通る」
ゲラングは黙って聞いている。
「ただし」
ロイドは肩をすくめた。
「それだけなら、あそこまで数は増えない」
紙をめくる。
「最近の目撃報告をまとめるとね、この辺りには本来いないはずの魔物がちょこちょこ出てきてる」
「例えば?」
「サンドリザード。南方の砂地に住む種だ」
ゲラングの眉がわずかに動いた。
「山岳地帯の魔物が平地に降りてきてる例もある。逆もある」
ロイドは紙を机に置いた。
「つまり、魔物の活動が活発になっている可能性は否定できない」
「それどころか、そう考えた方が納得がいく」
少しの沈黙。
ゲラングが低く言う。
「……世界が騒がしくなってきてるってわけか」
「そういうこと」
ロイドは笑った。
だがその笑いは、どこか研究者らしい好奇心に満ちている。
「で」
ゲラングが机を指で叩く。
「あいつらは関係あるのか」
「マットのパーティ」
ロイドは首を振った。
「そっちはまったく関係ないと思うよ」
「それはそれで問題なんだが」
ゲラングはため息をついた。
ロイドは楽しそうに続ける。
「よく観察してみるとね、あの子たちの進化は完全に理由がある」
「普通じゃない鍛え方をしてるからだ」
ゲラングは目を細めた。
「普通じゃない、か」
「うん」
ロイドは頷く。
「ロックスイーパーが鉱石を食べて金属を蓄積するのは普通だ」
「ウィッチバイパーが魔法適応を高めるのも普通」
「ダイアウルフが群れの中でアルファになるのも普通」
少し間を置く。
「ただし」
「普通の速度じゃない」
ゲラングは腕を組み直した。
「つまり」
「進化自体は異常じゃない」
「だが進化速度が異常」
「そう」
ロイドは楽しそうに笑った。
「そしてその原因はたぶん、あの筋肉少年だ」
ゲラングは額を押さえる。
「やっぱりか」
少し沈黙。
ロイドは続けた。
「幸い、どれも言うことはちゃんと聞く」
「今すぐどうこうなる問題ではないと思う」
「それでもだ」
ゲラングは低く言う。
「うちのギルドだけじゃあんな集団の面倒は見切れんぞ」
「うーん」
ロイドは椅子にもたれた。
「それはそうだね」
「マット君も能力はすごいけど、まだまだ子供だ」
「冒険者としては半人前もいいところ」
ゲラングは鼻を鳴らした。
「だからランクはまだDのままだ」
「Cに上げた瞬間、指名依頼が山ほど来る」
「判断できる力はまだない」
ロイドは頷く。
「だからこそ」
「世界を見た方がいい」
ゲラングが顔を上げる。
「いろんな地域のギルドを回る」
「いろんな価値観に触れる」
「世界は広い。冒険者はそれを知ってこそ一人前になる」
しばらく沈黙が流れた。
ゲラングがゆっくり頷く。
「それも一つの手だな」
「ついでに各地の魔物の調査もさせる」
「今回の件みたいな異常が他にもあるかもしれん」
「それがいいと思うよ」
ロイドは嬉しそうに言った。
「正直言って、あのファントムゲッコーの親個体はBランクパーティでも油断できない相手だった」
「それを撃破したんだ」
「マエストロがいたとはいえ、あのパーティの実力は少なく見積もってもCランク上位には届いてる」
ゲラングは小さく息を吐いた。
「やっぱりか」
「だがCランクにするにはまだ早い」
「だからDランクのまま」
「お目付け役付きで各地を回る」
そこでゲラングはロイドを見た。
ロイドはにこにこしている。
「お前、そのお目付け役に自分をって言いたげだな」
「よく分かってるね」
ロイドは満面の笑みだった。
「流石ギルドマスター」
「あんなに面白い研究対象、そうそうお目にかかれないんだ」
「ぜひ同行させてもらいたいね」
ゲラングは大きくため息をつく。
「お前はそればっかりだな」
「まあいい」
「決めるのはあいつらだ」
椅子から立ち上がる。
「嬢ちゃんたちの進路もある」
「ゆっくり考えさせるべきだ」
ロイドは顎に手を当てた。
「彼女たちなら外部研究生の枠で十分いけると思うけどね」
「能力は申し分ない」
ゲラングは苦笑した。
「子供三人にモンスター三匹のパーティか」
「せめてテイマーの資格でもあれば言い訳が立つんだがな」
その瞬間。
ロイドの目が輝いた。
「あ、それだよそれ!」
机を叩く。
「ちょうどサリアンの学院で、従魔契約魔法の研究が進んでるんだ!」
「一度行ってみるのがいいんじゃないかな!」
「うまくいけば、面白い進化ルートが解放されるかもしれないしね!」
ゲラングは顔をしかめた。
「お前はそればっかりだな」
だが、その言葉の裏にある可能性を、完全に否定はしていなかった。
サリアン。
遠い学院都市。
そこへ続く道は、まだ誰も歩いていない。




