第31話 一週間の仕事
朝。
街の空気はどこか慌ただしかった。
学院へ向かう通りには、若い魔術師の卵たちが行き交い、杖を抱え、教本を片手に歩いている。
その中に、アルエとリーリヤの姿もあった。
「体験入学は一週間だって」
アルエが振り返る。
「適性も見るって話だったよね」
リーリヤは少し緊張した様子で頷いた。
「……ちょっと楽しみ」
マットは軽く手を振る。
「行ってこい」
マエストロも同じく手を上げた。
「無理すんなよ」
二人は頷き、そのまま学院へと消えていった。
その足元で。
カーボが一声鳴いた。
低く、短い唸り。
しばらくして。
マットはその場で軽く屈伸を始めた。
ゆっくりと腰を落とし、膝を曲げ、静かに戻す。
呼吸に合わせて、一定のリズムで繰り返す。
数回。
そのまま何事もないように口を開いた。
「……暇だな」
マエストロが大きく伸びをする。
「暇だな」
二人は顔を見合わせ。
「……行くか」
「そうだね」
向かう先は一つ。
ギルドだった。
昼前のギルド。
酒場はまだ本格的に賑わう前だが、それでも何人かの冒険者が席を陣取り、朝から酒を飲んでいる。
その一角で。
マエストロがだらしなく椅子に座っていた。
机には空のジョッキ。
「暇だな」
「さっきも聞いた」
マットが呆れた声を出す。
ササミは近くのテーブルを物色し、パンくずを見つけてはつついている。
「おい、それは客のだ」
隣の冒険者が苦笑する。
アミノはマットの肩に静かに巻き付き、視線だけを動かして周囲を観察していた。
そして。
カーボはその少し後ろ。
床に伏せながらも、耳だけをわずかに動かしている。
周囲の気配を拾っているのが分かる。
その時。
カウンターの向こうから声が飛んだ。
「おい」
ゲラングだった。
「暇なら手伝え」
マエストロが顔を上げる。
「お、仕事か」
「当たり前だ」
ゲラングは掲示板を指した。
「ちょうどいい依頼がある」
マットとマエストロは立ち上がる。
カーボも静かに立ち上がり、二人の後ろにつく。
掲示板へ向かう。
そこに貼られていたのは、少し厚めの依頼書だった。
――――――――――
依頼内容:採掘場護衛および調査
場所:街外れ南方岩山地帯
期間:5日〜7日
概要:
採掘場周辺にて魔物の出現頻度が増加。
採掘作業に支障が出ているため、護衛および原因調査を行う。
報酬:
日当制+成果報酬
ランク:D
――――――――――
「長期か」
マエストロが言う。
「一週間ってところだな」
ゲラングが腕を組む。
「どうせ暇なんだろ」
「ぴったりだ」
マエストロは即答した。
「やる」
「即決かよ」
「考える必要あるか?」
マットは苦笑した。
「ないね」
その時。
足元で。
ササミが掲示板の下に置かれていた石をつついた。
コン。
コン。
ドゴン。
石が砕ける。
周囲の冒険者が振り向いた。
「……やっぱあいつか」
「岩食う鳥」
「噂通りだな」
ひそひそ声。
カーボが低く唸る。
それだけで、周囲の視線が少し引いた。
その奥で。
一人の男が立っていた。
フードを深く被った男。
視線だけがこちらを向いている。
ササミを見る。
アミノを見る。
そして一瞬。
カーボにも視線が向いた。
ほんのわずかに。
目が細くなる。
だが。
すぐに興味を失ったように戻る。
そして。
小さく呟いた。
「妙なコカトリスを従えている冒険者がいると聞いたが……」
しばらく観察する。
ササミが石を食う。
アミノが静かに周囲を見ている。
カーボは動かない。
ただ、じっとこちらを見返していた。
男は肩をすくめた。
「……所詮は噂か」
興味を失ったように視線を外す。
そしてそのまま人混みの中へ消えた。
受付で手続きを済ませる。
「期間中は日当が出る。無断離脱は減額、成果報酬は原因特定で上乗せ」
事務的な説明。
マエストロは頷くだけで聞き流す。
マットは一応、内容に目を通す。
ギルドを出たあと、二人はそのまま商店街へ足を向けた。
石畳の通りの両脇に、木組みの店が並ぶ。
鍛冶屋からは鉄を打つ音が響き、革細工の店からは油と革の匂いが漂う。
野菜売りの声、香辛料の匂い、子どもの笑い声。
街は、生きている。
マエストロは適当に店を眺めながら歩く。
「一応、装備は見とくか」
マットは自分の格好を見る。
特に武装らしいものはない。
「武器はいるか?」
マエストロが聞く。
「うーん……いらない」
マットは少し考えてから答える。
「正直、使い方が分からない」
マエストロは一瞬だけ黙り、そして小さく笑った。
「まあ、そうだろうな」
そのまま、革と金属を扱う店に入る。
店内には簡素な防具が並んでいた。
軽鎧、手甲、脛当て。
実用重視の品ばかりだ。
マエストロはその中から一つを手に取った。
腕甲。
薄い金属板と革で作られた、軽量なもの。
「だったら、これくらいは付けとけ」
マットに投げる。
受け取る。
思ったより軽い。
手に馴染む。
「防御力は大したことねえが、動きは殺さない」
「殴るときにも邪魔にならん」
マットは腕に当ててみる。
しっくりくる。
「……悪くない」
店主が頷いた。
「いい品だ。無駄に重くない」
会計を済ませる。
店を出ると、ササミが店先の石をつつこうとしていた。
「それは売り物だ」
マエストロが止める。
アミノはマットの肩で静かに丸まる。
カーボは周囲を見渡し、通りの奥へと視線を向けていた。
ほんの一瞬。
何かを探るように。
準備は整った。
携行食、簡易工具、ロープ、ランタン。
ササミはすでに石を食べているので問題ない。
アミノは……特に何もいらない。
カーボは、荷物の一部を背負わせると、当然のように歩き出した。
ギルドを出る。
街の喧騒を抜け。
岩山へと向かう道へ。
空は高く。
風は乾いている。
途中。
低い岩陰から、三匹ほどの小型魔物が飛び出してきた。
ロックラット。
灰色の毛並みに、石をかじるための発達した前歯。
「……出たな」
マットが一歩踏み出す。
だがその前に。
カーボが前に出た。
地面を蹴る。
低い軌道。
一瞬で距離を詰める。
牙が閃く。
一匹がその場で弾き飛ばされた。
続けてササミ。
白い影が走る。
ドゴン。
岩ごとラットを叩き潰す。
残りが散る。
アミノが舌を出す。
バチン。
細い電光が走り、逃げかけた一匹がその場で痙攣して倒れた。
静寂。
マエストロが肩をすくめる。
「分担完璧だな」
マットは苦笑した。
「俺も父さんもやることないな」
しばらく歩き。
視界が開ける。
そこにあったのは。
岩肌を削り出した採掘場。
無数の足場。
削られた壁面。
そして。
どこか不自然な静けさ。
入口で、作業長らしき男が迎えた。
「来てくれたか」
顔には疲れが見える。
「ここ数日、妙なんだ。音はするのに、姿が見えない」
「音?」
「石が動く音だ。崩れるわけでもないのに、勝手に転がる」
マットとマエストロは視線を交わす。
カーボが一歩前に出る。
鼻をひくつかせる。
地面に顔を近づけ。
匂いを追う。
そして、低く唸った。
奥へと進む。
その時だった。
削り出された岩壁の奥――影が濃く落ちる裂け目の向こうで、わずかに気配が揺れた。
視界の端で、砂がひと筋だけ滑り落ちる。続いて、乾いた小石が一つ、二つと跳ね、斜面を転がった。
音は小さい。だが、やけに耳に残る。
ササミの動きが止まる。首をゆっくりと持ち上げ、石壁の奥へと視線を据えた。白い羽毛の隙間で、嘴の縁がかすかに鈍く光る。
アミノは、いつの間にかマットの肩で身を引き締めていた。体を一巻き、さらにもう一巻き。鱗がわずかに擦れ、微かな音を立てる。舌が一度、空気を舐めるように伸びた。
カーボは低く姿勢を落とす。
前足に力を込め、いつでも飛び出せる体勢。
風が通り抜けていたはずの採掘場で、ふとそれが途切れる。乾いた匂いだけが残り、音だけが際立つ。
奥の影が、もう一度、確かに揺れた。
マエストロはその様子を見て、口元だけで笑った。
「どうやら、暇にはならなそうだな」
マットも小さく息を吐く。肩の上で、アミノの体温がわずかに上がったのが分かる。
「みたいだな」
岩場の奥。
光の届かないその境目に、何かがいる。
――次の瞬間を待つように、空気が静かに張り詰めた。




