第23話 誕生日
春の匂いが村に戻り始めていた。
冬の名残を残していた山の空気も、ここ数日でやわらぎ、畑の土には新しい芽が顔を出している。村の外れに広がる畑では、若い麦が風に揺れ、その向こうでは農夫たちが鍬を肩に担いでゆっくりと帰路につくところだった。
村の中央を流れる水路の水も、雪解けの影響で少しだけ勢いを増している。子供たちは靴を脱いで水に足を浸し、小さな魚を追いかけて遊んでいた。
そんな穏やかな夕方。
村の鍛冶屋では、鉄を打つ音が響いている。
カン、カン、カン。
火花が散り、赤く焼けた鉄が叩かれる。
「最近は依頼多いな」
鍛冶屋の男が汗を拭きながら言った。
「武器の手入れ頼まれること増えた」
「誰のせいだと思ってる」
別の男が笑う。
「マットだろ」
笑いが起きた。
「魔物減ったよな」
「カーボが巡回してるからな」
「それにあの鶏だ」
「鶏じゃねえだろ」
さらに笑いが広がる。
半年前なら考えられない会話だった。
ダイアウルフ。
コカトリス。
そんな魔物が村の中を普通に歩いているのだから。
だが村人たちはもう慣れていた。
いや、慣れるしかなかったと言うべきかもしれない。
マットの周りでは、普通では説明できないことが普通に起きる。
考えるだけ無駄だ。
そう理解するのが一番早かった。
そんな村の外れ。
マットの家だけが少し賑やかだった。
窓から暖かな灯りが漏れ、笑い声が外まで聞こえている。
今日はマットの誕生日だった。
九歳。
村では小さな祝い事でも皆が集まる。
家の中のテーブルには、パンの山、肉の煮込み、焼き野菜、山のきのこを使ったスープ、大皿いっぱいのロースト肉が並んでいた。
エルザが鍋をかき混ぜている。
「もう少し煮込めばいいわね」
その横でアルエが皿を並べていた。
「リーリヤ、水ちょうだい」
「はい」
リーリヤは水魔法で水差しを満たす。
透明な水が静かに溢れ、コップに注がれていく。
「便利ねそれ」
マエストロが酒瓶を片手に言う。
「冒険でも役立ちそうだ」
アルエが笑う。
「学院行ったらもっと色々覚えられるかな」
エルザはちらりとアルエを見た。
「そうね。才能があるなら行く価値はあるわ」
その横で。
マットはスクワットをしていた。
「手伝え」
アルエが言う。
「トレーニング中だ」
「今やることじゃない」
マエストロが笑う。
「まあマットだからな」
その時、扉が開いた。
「おーい誕生日だろ」
村人が肉を持って入ってくる。
「狩りの帰りだ。持ってきた」
「助かるわ」
エルザが皿を受け取る。
その後ろから、巨大な影が二つ近づいた。
ダイアウルフのカーボ。
そして巨大なコカトリス、ササミ。
「ほれカーボ」
村人が肉を差し出す。
「今日も見回り助かったよ」
カーボは尻尾を振る。
ササミは肉をじっと見ていた。
「こいつも食うか?」
「食べるわよ」
アルエが笑う。
村人は椅子に座りながら言った。
「しかしよ」
「マットも九歳か」
「早いもんだな」
「この前まで赤ん坊だったのに」
「今じゃギルドの依頼こなしてる」
「Dランク見習いだっけ?」
「この村で一番稼いでる子供だな」
笑い声が起きる。
別の村人が言う。
「この前のゴブリンも追い払ったろ」
「普通の冒険者より働いてる」
「そのうち街に行くんだろうな」
アルエとリーリヤはその言葉を聞いて少しだけ黙った。
アルエがパンをちぎりながら言う。
「ねえ」
「リーリヤ」
「うん?」
「私たち、そろそろ進路考えないとだよね」
リーリヤは少し考えた。
「……うん」
「魔術学院とか?」
「ありえるね」
アルエは火を見ながら言った。
「魔法、もっとちゃんと勉強したいんだよね」
「村じゃ限界あるし」
村人の一人が言う。
「この前見たぞ」
「アルエの魔法」
「火球で岩割ってただろ」
アルエが少し照れる。
「練習だから」
「いやありゃ学院レベルだ」
エルザは静かに頷く。
「才能があるなら行くべきよ」
マエストロが酒を飲みながら言う。
「街に出るなら覚悟はいるぞ」
「この村みたいにのんびりはしてない」
アルエは笑った。
「それでも行ってみたいかな」
リーリヤも頷いた。
「私も」
その時。
リーリヤが棚を見た。
「そういえば」
棚の奥から一本のスプーンを取り出す。
銀色の匙。
魔法の匙。
昔、旅人から貰ったものだ。
持ち主の成長に合わせて大きくなるという、不思議な魔法道具。
リーリヤはそれを持ち上げる。
そして止まった。
「……あれ?」
アルエが覗き込む。
「どうしたの?」
「これ」
「こんなに大きかったっけ?」
匙は明らかに巨大化していた。
ほとんど小型のシャベルのようなサイズになっている。
マットが手を伸ばす。
持つ。
重い。
沈黙。
「いいダンベルだ」
「違うから」
アルエが即座に突っ込む。
マットは腕で持ち上げていた。
「片手二十回いける」
「トレーニング器具じゃない!」
笑い声が広がる。
村人が言う。
「ほんと筋トレばっかだなこいつ」
「でも強くなるんだよな」
マエストロが笑う。
「それは否定できん」
その会話を聞きながら、マットは肉を食べて言った。
「俺は決まってる」
「何?」
「筋トレ」
アルエが額を押さえる。
「進路じゃないそれ」
エルザが苦笑する。
「でもこの子なら本当にそれで生きていきそうなのよね」
外では春の風が吹いていた。
宴はゆっくり続いている。
そして。
この小さな村から。
少しずつ、それぞれの未来が動き始めていた。




