第20話 ダンジョンも鍛える場所
村から少し離れた森の奥。
木々の隙間から、灰色の岩肌がむき出しになった崖が姿を見せていた。
その崖の根元に、ぽっかりと口を開けた洞窟がある。
入口には簡素な木の柵と、風雨にさらされ色あせた看板が立っていた。
ギルド管理ダンジョン。
危険度:低。
初心者訓練場。
看板に刻まれた文字はところどころ削れ、苔も生えている。
だが、それでもここが冒険者の訓練用に管理されたダンジョンであることは分かった。
洞窟の奥からは、ひんやりとした空気が流れ出ている。
湿った土の匂い。
石の冷たい匂い。
森とは違う、閉ざされた空間の気配だった。
俺は入口を見上げる。
「ここがダンジョンか」
「ええ」
隣でエルザが頷いた。
「今日は冒険者としての基礎教育よ」
アルエが腕を組む。
「教育?」
「そう。ダンジョン探索はモンスターと戦うだけじゃない」
エルザは指を一本立てた。
「罠」
二本目。
「地形」
三本目。
「判断力」
「ここはモンスター自体は弱いけど、トラップの種類が多いの」
「慣れていない冒険者は普通に怪我するわ」
そう言ってエルザは洞窟へ足を踏み入れた。
中に入った瞬間、空気が変わる。
森の暖かい空気とは違う。
冷たい。
湿っている。
足音が岩壁に反響する。
通路は人が二人並んで歩ける程度の幅。
天井は低く、ところどころから水滴が落ちている。
ぽた。
ぽた。
その音だけが静かに響いていた。
先頭を歩いているのはカーボだった。
鼻を動かしながらゆっくり進む。
その歩き方は普段の散歩とは違う。
完全に警戒している。
やがて。
カーボがぴたりと止まった。
低く唸る。
「どうした?」
俺が声をかける。
カーボは前足で地面を軽く叩いた。
エルザがすぐに手を上げる。
「止まりなさい」
しゃがみ込み、床を見る。
細い糸が張られていた。
ほとんど見えないほど細い。
だが確かにそこにある。
「ワイヤートラップね」
アルエが目を丸くする。
「全然見えなかった」
エルザはカーボの頭を撫でた。
「いい斥候になれるわね」
カーボが尻尾を振る。
そのまま慎重に糸を跨ぎ、通路を進んだ。
岩壁にはところどころ人工的に削られた跡がある。
昔、冒険者たちが何度も通った証拠だろう。
「ダンジョンの罠には色々あるわ」
エルザが説明する。
「矢が飛んでくるもの」
「落とし穴」
「転がる岩」
「そして――」
少し間を置く。
「落ちてくる天井」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の耳がぴくりと動いた。
「天井?」
「ええ。油断すると大怪我する――」
カチ。
小さな音。
全員の動きが止まる。
俺はゆっくりと天井を見上げた。
石の天井が――わずかに動く。
「え?」
次の瞬間。
ゴゴゴゴゴ。
巨大な石の天井が崩れ落ちた。
「伏せなさい!!」
エルザが叫ぶ。
「マット!!」
アルエの声。
ドォン!!
轟音が洞窟を揺らした。
岩の塊が床に叩きつけられる。
土煙が舞い上がる。
視界が真っ白になる。
しばらく。
誰も動かなかった。
静寂。
アルエが小さく呟く。
「……死んだ?」
その直後。
「きたきたきた!」
「え?」
煙がゆっくり晴れていく。
そこには。
落ちてきた巨大な天井を、両肩で支えている俺がいた。
「これはいい負荷だ!」
そして。
スクワット開始。
ぐっ。
立つ。
しゃがむ。
岩が軋む。
天井の重さが肩に食い込む。
普通なら即死だろう重量。
だが。
俺は笑っていた。
「回復」
緑の光が体を包む。
筋肉が再生する。
「よし、もう一回!」
スクワット。
スクワット。
スクワット。
岩がミシミシと音を立てる。
床がわずかに沈む。
砕けた石が転がる。
「あと二十回!」
「壊れる!!」
アルエが叫ぶ。
だが俺は止まらない。
「まだいける!」
スクワット。
スクワット。
スクワット。
そして。
ガゴン!!
トラップの石組みが耐えきれず崩壊した。
岩の天井が床に転がる。
俺は肩を回した。
「いいなこれ」
エルザが額を押さえる。
「罠は攻略するものよ……」
俺は真顔で言った。
「こんなにいい設備があるのに鍛えないなんてもったいない!」
その後もダンジョンを進む。
次の罠。
迫りくる壁。
通路の両側から石壁が閉じる。
「また罠よ!」
だが。
俺は両手で壁を押さえた。
「いい負荷だ」
壁トレーニング開始。
そのまま押し返す。
石壁が止まった。
さらに奥。
今度は転がる巨大岩。
轟音を立てながら坂を転がってくる。
「マット!」
俺は両腕で受け止めた。
衝撃。
だが踏みとどまる。
「いい重量だ!」
そのままデッドリフト。
アルエが頭を抱えた。
「もうダンジョンじゃない!」
さらに進む。
矢のトラップ。
壁から無数の矢が飛び出した。
だが。
ササミが前に出る。
嘴。
ガン。
ガン。
ガン。
すべて弾き飛ばした。
まるで訓練された兵士のようだった。
エルザは遠い目をしていた。
「ダンジョン攻略って……」
ぽつりと言う。
「こんなだったかしら……」
やがて通路の奥に広い空間が現れた。
石でできた広間。
天井は高く、柱のような岩が並んでいる。
中央にはモンスターが一体。
巨大なトカゲのような姿。
低レベルダンジョンのボスだ。
「ボスね」
エルザが言う。
俺が拳を鳴らそうとした瞬間。
アルエが前に出た。
「任せて」
手を前に出す。
炎が集まる。
以前とは明らかに違う。
火球は大きく、密度も高い。
空気が歪むほどの熱。
エルザが小さく呟く。
「……早いわね」
「ファイアボール!」
炎が一直線に飛ぶ。
直撃。
爆発。
炎が広間に広がる。
モンスターはそのまま崩れ落ちた。
静寂。
俺は頷く。
「強くなってるな」
アルエは少し照れた。
広間の奥には宝箱が置かれていた。
石の台の上にある古い木箱。
長い時間ここにあったのだろう。
金具は少し錆びている。
俺はゆっくりと蓋を開けた。
中にあったのは。
水晶だった。
透明な球体。
内部に淡い光が揺れている。
手のひらほどの大きさ。
エルザが目を細める。
「鑑定水晶ね」
「ギルドにあるやつ?」
「そう。ステータス確認用」
俺は目を輝かせた。
「おお!」
アルエが驚く。
「何その反応」
「これがあれば」
俺は水晶を掲げる。
「トレーニングの成果が可視化できる!」
「え?」
「筋力の成長も分かる!」
「普通そういう使い方しないよ」
エルザが肩をすくめた。
「普通は売るわね」
「あまり使い道ないし」
俺は首を振る。
「売らない」
「え?」
「ジムに置く」
水晶を抱えながら言う。
「これでトレーニング効率が上がる!」
アルエが呆れた顔をする。
エルザはため息をついた。
「……まあいいわ」
「好きにしなさい」
俺は笑った。
こうして。
ジムには新しい設備が追加されることになった。
鑑定水晶。
筋肉の成長を記録するための装置だ。
俺は洞窟の外を見た。
次のトレーニングを考えながら。
「よし」
「次は何を鍛えるかな」




