第13話 はぐれゴブリン討伐 【挿絵付き】
翌朝。
ギルドの酒場はすでに賑わっていた。
木の床は昨夜こぼれた酒で少しべたつき、窓から差し込む朝日がテーブルの上のジョッキを鈍く光らせている。朝から酒を飲む者もいれば、依頼書の前で腕を組んで唸っている者もいる。革鎧の軋む音、椅子の擦れる音、そして肉の焼ける匂いが混ざり合い、いかにも冒険者ギルドらしい空気を作っていた。
そんな中。
「よし、今日は初依頼だ」
俺は気合いを入れて言った。
「朝から元気ね……」
アルエが眠そうに目をこする。まだ完全に目が覚めていないらしい。
その後ろで腕を組んでいるのはエルザだ。いつも通り背筋は伸びていて、周囲の冒険者たちをちらりと観察する視線が鋭い。
「父さんは?」
「酒場」
「もう?」
「もう」
エルザは深いため息をついた。
「旧友に会ったらしいわ。朝から飲んだくれてる」
「役に立たないなあ」
「本当にね。初依頼の日くらい父親らしいことをしてほしいものだわ」
エルザは肩をすくめる。
「今日は私がついていくから問題ないわ」
「戦ってくれるの?」
「手は出さない」
「え?」
「私は観察役。危なくなったら止めるだけ」
「厳しい」
「冒険者はそういうものよ」
その横でカーボが尻尾を振っている。
「ワン」
床を叩く尻尾の音がやけに元気だ。
「あなたはやる気満々ね……」
依頼書の前にはゲラングが立っていた。
「来たか、坊主」
「初依頼ください」
「普通の新人なら薬草だがな」
ゲラングは鼻を鳴らした。
「お前は普通じゃねえ」
そう言って一枚の依頼書を剥がす。
「はぐれゴブリン討伐」
「森の外れ。二、三匹」
「新人向けだ」
エルザがぼそっと言う。
「新人が油断して死ぬ典型的な依頼ね」
「怖いこと言わないでよ」
アルエが顔をしかめる。
森に入る。
朝の森は静かだった。夜露がまだ葉の上に残り、踏みしめる土は少し柔らかい。遠くで鳥が鳴き、風が枝を揺らす音がゆっくりと流れていく。
街の喧騒が遠ざかると、森の空気は驚くほど澄んでいる。
「ゴブリンって強いの?」
俺が聞く。
「弱いわ」
エルザが即答する。
「でも新人は普通に死ぬ」
「どっち」
「弱いけど数と武器で死ぬのよ」
アルエが小さくうなずく。
「油断すると囲まれるんだって。父さんが言ってた」
その時。
カーボがぴたりと止まった。
「ワフ」
鼻先を地面に近づけ、空気を嗅ぐ。
耳がぴくりと動いた。
「いる?」
「いるわね」
エルザが低く言う。
俺たちは茂みの隙間から前を覗く。
そこにいた。
緑色の肌。
曲がった背中。
汚れた布切れのような服。
手には錆びた短剣。
背丈は子供くらいだが、顔は歪んでいて、目だけがぎょろりと光っている。
ゴブリンが二匹。
鼻を鳴らしながら地面を漁っていた。
「ギャッ!」
こちらに気付いた。
次の瞬間。
俺は地面を蹴った。
ドン。
拳。
ボゴッ。
ゴブリンの顔面がめり込む。
体が回転する。
木に激突。
沈黙。
「……え?」
アルエの声。
「……え?」
エルザの声。
もう一匹が短剣を振る。
カーボが前に出た。
ドン。
体当たり。
ゴブリンが三回転して地面を転がる。
沈黙。
エルザが俺を見る。
「……ちょっと待ちなさい」
「なに?」
「今の何」
「普通に殴った」
「普通とは」
エルザが額を押さえた。
「普通に殴ってもゴブリンは回転しないのよ」
その時。
三匹目のゴブリンがいた。
少し離れた場所で状況を見ていたそいつは――
一瞬、笛のような声を上げた。
逃げた。
「あ」
「追う!」
「待ちなさい!」
エルザの声を背中に受けながら俺は走る。
森の奥。
枝が顔に当たり、落ち葉が跳ねる。
逃げるゴブリンは器用に木の間をすり抜け、奥へ奥へと走っていく。
そして。
小さな洞窟。
湿った岩肌。
中から臭いが流れてくる。
獣と腐った肉と泥が混ざったような、鼻につく匂い。
「……あー」
アルエが言った。
洞窟の奥から声。
「ギャギャ」
ゴブリンがぞろぞろ出てくる。
一匹。
二匹。
三匹。
まだ出る。
エルザが数える。
「……十匹」
沈黙。
「帰る?」
アルエ。
俺。
「楽しそう」
「帰るわよ普通は!!」
しかし。
カーボが動いた。
次の瞬間。
もうそこにいない。
ドン。
一匹が空を飛ぶ。
バキ。
爪。
ゴブリンが地面に叩きつけられる。
牙。
悲鳴。
「ちょっと待ちなさい!」
エルザ。
「ちょっと待ちなさいって言ってるのに戦闘が終わりかけてるのはどういう状況!?」
俺も踏み込む。
拳。
ゴブリン吹っ飛ぶ。
蹴り。
木に激突。
アルエ。
「ファイアボール!」
火の玉。
直撃。
ゴブリン炎上。
「やった!」
「やったじゃないわよ!!」
そして。
洞窟の奥。
重い足音。
現れたのはホブゴブリン。
普通のゴブリンより頭一つ大きい。
筋肉のついた腕。
濁った目。
手には棍棒。
「……はい出た」
エルザが呟く。
「新人が全滅する原因その二」
ホブゴブリンが咆哮。
次の瞬間。
カーボ。
ドン。
体当たり。
ホブゴブリンが洞窟の壁にめり込む。
俺が踏み込む。
拳。
ゴキッ。
沈黙。
「終わった」
アルエがぽかんとしている。
「え……」
エルザは空を見上げた。
「……ホブゴブリンって」
「普通は五人パーティで慎重に戦う相手なのよ」
カーボが誇らしげに尻尾を振る。
「ワン」
俺は洞窟の奥を見る。
ゴブリンの巣。
腐った骨。
拾われた武器。
盗まれた荷物。
「壊しておく?」
エルザ。
深いため息。
「もう好きにしなさい……」
数分後。
巣は跡形もなく壊滅した。
帰り道。
エルザがぽつりと言った。
「ゲラングの言ってた意味が分かったわ」
「何が?」
「普通じゃない新人って意味よ」
少し間。
「むしろ新人詐欺ね」
カーボが誇らしげに「ワン」と鳴いた。




