第12話 ゲラング
受付嬢が奥へ走っていってから、冒険者ギルドの中には妙な静けさが落ちていた。
もちろん、完全に静かになったわけではない。
酒を飲む音もあるし、椅子が軋む音もする。誰かが肉を噛みちぎる音も聞こえる。だが、そのどれもが少しだけ控えめだった。皆、聞き耳を立てているのだ。
何にか。
そりゃあ、こっちにだろう。
八歳の子供。
十一歳の少女。
測定不能の狼。
自分で言うのもなんだが、だいぶ絵面がおかしい。
「……なんか見られてるね」
俺が小声で言うと、アルエがこくこくと頷いた。
「めちゃくちゃ見られてるわよ」
アルエはいつもより少しだけ俺の近くに寄っている。こういう時、年上なのにわりと露骨に心細そうにするのが面白い。
「大丈夫だって」
「何を根拠に」
「だって父さんと母さんもいるし」
その二人はというと、妙に落ち着いていた。
エルザは腕を組み、周囲の冒険者の視線など気にも留めない顔をしている。マエストロはその横で、カーボの首の後ろを気楽に撫でていた。
「ワフ」
カーボも完全にくつろいでいる。
受付前で寝そべるな。
ここが村ならまだしも、ギルドの真ん中でその態度はだいぶ図太い。だが、今のカーボに文句を言える人間はそう多くない気もする。
周囲の冒険者たちも、近寄ってきはするが不用意には手を出さない。見る目があるのだろう。カーボがただの大きい犬ではなく、下手に刺激するとまずい相手だと本能で分かっているらしい。
「しかしまあ」
さっきのガルドが、腕を組んだまま俺を見る。
「とんでもねえの連れてきたな、マエストロ」
「そりゃそうだろ。俺とエルザの子供だぜ?」
マエストロが笑う。
「俺の息子だ」
「そこだよ、そこ」
ガルドは頭を抱えた。
「なんで息子がレベル三十二なんだ」
「鍛えたからだろな」
「鍛えたで済むか」
そのやり取りに、周囲からくすくすと笑いが漏れる。
「それにしても、紅の刃のエルザに怪力マエストロか……」
別の冒険者が懐かしそうに言った。
「この二人が並んでるの、久々に見たな」
「当時はよく競ってたよな」
「競うっていうか、だいたいマエストロが一方的に張り合ってた」
「うるせえぞ、外野!」
マエストロがしかめ面をした。
「そもそも、あっちが先に依頼を取ってくんだ」
エルザが鼻で笑う。
「遅かっただけでしょ」
「先に受付の前にいたのは俺だ」
「でも依頼書取るのが遅かったのよ」
アルエが俺の耳元で囁く。
「この二人って昔からこんな感じなの?」
「たぶん」
俺も小声で返す。
その時だった。
奥の扉の向こうから怒鳴り声が響いた。
「うっせえな! ドラゴンでも攻めてこない限り俺の酒の時間を邪魔するなつってんだろ!」
ギルド内の空気が一瞬で変わる。
さっきまでひそひそしていた冒険者たちが、さりげなく姿勢を正した。
なるほど。
この人がここの親玉か。
扉が乱暴に開く。
中から現れたのは、でかい男だった。
単に背が高いだけじゃない。肩幅が広く、胸板が厚く、腕は丸太みたいに太い。無精髭に、短く刈った髪。顔の左側に大きな古傷が一本走っている。片目が潰れているわけではないが、その傷のせいで視線が余計に鋭く見えた。
服装はラフだ。ギルドマスターという響きから、もっと豪華な服でも着ているのかと思ったが、上はシャツの袖をまくっただけ、下は丈夫そうなズボン。腰には一本だけ短剣を差している。
だが。
空気が違った。
この場にいる誰よりも気配が重い。
強い。
理屈ではなく、そう思わせる何かがあった。
男は苛立たしげに頭を掻きながら前に出てきて、受付嬢を睨む。
「で、何だ。ドラゴンか?」
受付嬢は無言でこちらを指差した。
男の視線が動く。
まず俺。
次にアルエ。
そしてカーボ。
ぴたりと止まった。
「あ?」
一拍。
「……大事件じゃねーか」
その一言で、ギルドの中に妙な笑いが漏れた。
だが本人は笑っていない。むしろ、さっきまでの不機嫌そうな顔が少しだけ愉快そうに変わっていた。
男はそのままこちらへ歩いてくる。
近くで見るとさらに大きい。
俺が見上げると首が疲れるくらいだった。
そして。
「……エルザか」
「久しぶりね、ゲラング」
「マエストロもいるじゃねえか」
「よう」
「相変わらず無駄にでかいな」
「お前の減らず口も相変わらずだ」
どうやらこの人がギルドマスターらしい。
ゲラング。
エルザと同じパーティにいた元冒険者。しかも結婚式の仲人までやったような仲だと聞いている。
なるほど。確かに、父さんと母さんが変に気負っていないのも分かる。
ゲラングは腕を組むと、俺をじろじろと見た。
「こいつが息子か」
「そうよ」
「……マエストロ」
「なんだ」
「お前、何食わせた?」
「変なもんは食わしてないんだけどな」
「それでこうはならんだろ」
ギルドのあちこちから笑いが起きる。
ゲラングは鼻を鳴らし、それからアルエを見る。
「そっちは?」
「アルエです」
「鍛冶屋の娘か」
「え、なんで分かるんですか」
「手だ」
ゲラングは短く答えた。
「火を使う奴の手をしてる。あと、あそこの頑固親父の顔に似てる」
アルエがちょっとだけ嫌そうな顔をする。
それから最後に、ゲラングの視線がカーボへ向く。
カーボは寝そべっていたが、その視線を受けてすっと立ち上がった。
空気が変わる。
さっきまで「大きい犬」みたいな顔をしていたカーボが、一瞬で獣の顔になった。
「ほう」
ゲラングが小さく笑った。
「ダイアウルフ、ではないな」
周囲がざわつく。
「やっぱりそうなのか」
「それ以上って何だよ」
ゲラングはカーボの周りをゆっくり一周した。
背中の毛並み。
脚の筋肉。
爪。
牙。
尻尾。
一つ一つ確かめるように見る。
「進化個体だ」
その一言で、また空気がざわついた。
「しかもかなり育ってる。普通の進化じゃあないな」
エルザが眉をひそめる。
「どこまで分かるの?」
「少なくとも、野生じゃこうはならん」
ゲラングは断言した。
「育てた奴がいるな?」
その視線が俺に落ちる。
「坊主」
「はい?」
「どうやって鍛えた」
「一緒にトレーニングして」
沈黙。
ゲラングの片眉がぴくりと動く。
「……もう一回言え」
「トレーニング?」
俺はカーボの首元を撫でる。
「毎日戦ってる」
「毎日?」
「うん」
「どうやって」
「殴り合って」
「うん」
「怪我して」
「うん」
「回復して」
「うん」
「また殴り合う」
ギルドの中が静まり返った。
誰も喋らない。
酒を飲む音も止まっている。
俺、何か変なこと言っただろうか。
アルエが小声で補足する。
「私はたまに魔法の練習もしてます」
「そこじゃねえ」
周囲の冒険者の誰かが思わず突っ込んだ。
次の瞬間。
「はっはっはっはっはっ!」
ゲラングが腹を抱えて笑い出した。
声がでかい。
ホール全体に響くくらいでかい。
「そりゃ強くなるわけだ!」
目尻の涙を拭いながら、ゲラングはマエストロを見る。
「お前の息子、頭おかしいぞ」
「知ってる」
マエストロは平然と答えた。
「お前の元仲間も大概だがな」
「誰のこと?」
エルザがにっこり笑う。
「お前だよ」
ゲラングは肩を竦め、それから改めて俺を見る。
「いいだろう」
その一言で周囲が静かになる。
「登録はしてやる」
アルエが目を丸くした。
「ほんとに?」
「ただし」
ゲラングは指を立てる。
「ランクはFからだ」
「え?」
俺は首を傾げた。
「もっと上じゃないの?」
周囲から笑いが漏れる。
ゲラングも口元を歪めた。
「実力だけなら上だろうな」
「だが冒険者は力だけじゃねえ」
「依頼の受け方、報告の仕方、仲間との連携、街の規則、そういうもんを知らねえ奴を最初から上に置けるか」
「なるほど」
それは確かにそうかもしれない。
「ただし、例外扱いにはする」
ゲラングは続ける。
「普通の新人と同じ扱いはしねえ。下手に放り出したら周りが死ぬ」
「ひどくない?」
「事実を事実として受け止めるのも冒険者の大事な資質だ」
ぐうの音も出ない。
「それと狼」
ゲラングはカーボを見る。
「こいつは俺の預かりにする」
エルザが眉をひそめた。
「預かり?」
「登録上は仮の使い魔扱いだ」
「街の中で好き放題されたら困るからな」
カーボは首を傾げた。
「ワン?」
「別に檻に入れるわけじゃあねえよ」
ゲラングはしゃがみ込み、カーボの鼻先を指で小突く。
「ただし、噛むな。壊すな。食うな」
カーボは少し考えるような顔をした後、ぺろりとゲラングの指を舐めた。
「……よし」
ゲラングが立ち上がる。
「こいつは賢いな」
「ワン」
「気に入られたわね」
エルザが言う。
「昔から、あんたこういうのには好かれるものね」
「お前には好かれなかったがな」
「私年上は趣味じゃないのよね」
「はいはい。どうせ俺は年下ですよーだ」
マエストロが横から口を挟む。
「お前ら昔っからそればっかだな」
ゲラングはにやりと笑った。
「まあいい。話はまとまった」
それから受付嬢を振り返る。
「登録手続き進めろ」
「はい」
受付嬢はまだ少し混乱している顔だったが、頷いて書類を取りに行った。
その間にも、周囲の冒険者たちはひそひそとこちらを見ている。
「八歳でレベル三十二……」
「狼も進化個体……」
「なんだこの家族……」
さっきと同じ結論に落ち着いたらしい。
俺はカーボを見る。
カーボも俺を見る。
なんとなく。
ここから先、面白くなりそうだと思った。
村の外。
街。
ギルド。
知らない相手。
知らない仕事。
知らないモンスター。
胸の奥が少しだけ高鳴る。
「ねえ、マット」
アルエが袖を引いた。
「なに」
「……なんか、すごいことになってない?」
「うん」
「こわくないの?」
少しだけ考えて。
俺は笑った。
「楽しくなってきた」
アルエは呆れたようにため息をつき、その横でカーボが誇らしげに「ワン」と鳴いた。




