第109話 旅路
カタリナの街を出ると、景色はゆっくりと姿を変えていった。
街の周囲には、火山帯特有の岩丘が点在している。黒く焼けた岩肌はところどころ割れ、その隙間にしぶとい草が根を張っていた。溶岩が流れた跡はそのまま波打つような地形となり、固まった大地が不規則なうねりを描いている。踏みしめるたびに伝わる硬さと、どこかに残る熱の名残が、この土地がかつて激しく燃え上がっていたことを静かに語っていた。
だが街道を半日ほど進む頃には、その荒々しい景色も次第に角を落としていく。岩の数が減り、代わりに背の低い草が地面を覆い始めた。やがて視界は大きく開け、緩やかな起伏を持つ草原が広がる。遠くには丸みを帯びた丘がいくつも連なり、風が吹くたびに草が揺れ、緑の波がゆったりと流れていった。
「はあ……やっと普通の景色になったわね。火山ばっかり見てると、さすがに目が疲れてくるのよ」
アルエが腕を上げ、大きく背伸びをする。旅装束の袖がきしりと音を立て、肩をぐるりと回しながら空を仰いだ。
「普通の景色って言っても、ここも十分に野生だけどね。街道を外れれば、すぐモンスターの縄張りだよ」
ロイドは周囲を観察するように視線を巡らせながら言った。その目つきは研究者のそれで、地形や植物の分布を無意識に分析しているようでもあった。
マットは黙って歩いている。
背筋は真っ直ぐに伸び、肩には荷物、腰には剣。歩幅は大きく、足取りは重く安定している。長距離の移動など、もはや日常の一部と言わんばかりの体の動きだった。
その後ろをカーボが悠然と歩く。
巨大な体躯のフェンリスボルフ。灰色の毛並みは風を受けてゆっくりと揺れ、鋭い瞳は周囲を静かに警戒している。だがその歩みには焦りがなく、むしろ余裕すら感じさせた。
その横では、ササミが軽やかに地面を蹴って進んでいる。
ミスリルイグナイト。
本来ならば目撃例すらほとんど存在しない超希少種だが、今では完全にマットたちのパーティの一員だった。金属光沢を帯びた羽が陽光を受け、きらりと銀色に輝く。
そしてマットの肩には、細長い影が静かに巻き付いていた。
アミノ。
シンビオートヴァイパー。
この個体もまた、既存の分類には当てはまらない完全な新種だった。
「こうして改めて見るとさ……うちのパーティ、結構とんでもない構成よね」
リーリヤが苦笑しながら言う。
「カーボは完全な新種。ササミは超希少種。アミノも新種。普通の冒険者パーティなら、一匹でもいたら大騒ぎになるレベルよ」
「全部マットのせいだね。正確に言うなら、マットの筋トレのせいかな」
ロイドがさらりと言った。
「いや、俺は鍛えただけだ。結果として強くなっただけだ」
マットは真顔で答える。
「その鍛え方が問題なのよ。普通の人はモンスターに筋トレさせたりしないの」
アルエが深くため息をついた。
実際、この三体のモンスターは偶然で今の姿になったわけではない。
マットとの旅。
そして壮絶なトレーニング。
それを積み重ねた結果、今の姿に辿り着いている。
カーボは元々ただの狼型モンスターだった。だがマットとの訓練を重ねるうちに体格は異常なほど成長し、気が付けばフェンリスボルフという存在へと変貌していた。
ササミも同じだ。普通のメタルイグナイトとは明らかに異なる魔力を帯び、ミスリルイグナイトという希少種へと変化している。
アミノに至っては、もはや分類不能である。元は一匹のコカトリスだったという話は、今となっては誰も信じないだろう。
「……まだ進化する可能性はあると思うよ。特にアミノはね。あれは変化の方向が読めない」
ロイドがぽつりと言う。
肩の上でアミノが小さく舌を出した。
「まあいい。進化するならするで、その時また鍛えればいい」
マットはあっさりと言った。
「ほんと、なんでも筋トレで解決すると思ってるでしょ」
「大体解決する。少なくとも八割くらいは筋肉でどうにかなる」
「否定できないのが腹立つのよね……」
そんな会話をしていると、草原の向こうで不自然な揺れが起きた。
風とは違う、草の流れ。
地面がわずかに盛り上がる。
次の瞬間、何本もの蔓が地面から伸び上がり、蛇のように空中を這い始めた。
やがて中心の土が膨らみ、植物の塊のようなモンスターが姿を現す。
ツイストバインド。
草原地帯に生息する植物系モンスターで、長い蔓を獲物に巻き付けて動きを封じる捕食者だ。
「……うわ、なんか嫌な形してるわね。あれ、本当に植物なの?」
アルエが顔をしかめた。
「草原の捕食者だね。動物型より厄介な場合もある。捕まると締め上げて動きを奪う」
ロイドが淡々と説明する。
その瞬間。
シュルッ、と空気を裂く音。
蔓がマットの腕に絡みついた。
さらに二本、三本。
「来たな」
マットはむしろ嬉しそうだった。
「これはちょうどいいな」
「やっぱりそう言うと思ったわよ! ほんとに期待を裏切らないわね!」
アルエが声を上げる。
蔓は腕と肩を絡め取り、マットの体を引き寄せようと締め付ける。
だがマットは一歩も動かない。
むしろゆっくりと腕を広げた。
「よし。バタフライ開始だ」
「ほんとに何言ってるのか一つも理解できないんだけど」
アルエが呆れた声を出す。
マットは絡みついた蔓をそのまま負荷として利用し、両腕を大きく開いて閉じる。
胸筋が盛り上がり、蔓がぎしぎしと悲鳴を上げた。
「いい抵抗だ。これは胸に効く」
さらに蔓が絡みつく。
「負荷が増えた。ちょうどいい」
マットはそのまま十回、二十回と動作を繰り返す。
やがて。
ブチッ。
蔓が一本千切れた。
続いてもう一本。
最後には植物の本体ごと地面から引き抜かれていた。
ツイストバインドは完全に力を失い、草原の上に転がる。
「……よし。終わりだ。今日は胸の日にして正解だったな」
マットは満足そうに腕を回した。
「モンスターをトレーニング器具にするの、本当にやめてくれない? そのうちモンスターの方が被害者になるわよ」
アルエが頭を抱える。
「なんで私の弟なのにこうなっちゃたんだろう」 リーリヤはぽつりとつぶやく。
やがて日が落ちる。
一行は小さな丘の影に野営地を作った。
焚き火がぱちぱちと音を立てる。
カーボは丸くなって眠り、ササミは火の近くで羽を休めていた。
マットは食事を終えるとすぐ横になり、あっという間に寝息を立て始める。
「相変わらず早いわね。寝るのもトレーニングの一部ってこと?」
リーリヤが小さく笑う。
「体力回復も筋肉の成長には重要らしいよ。理屈としては間違ってない」
ロイドが肩をすくめた。
焚き火の向こうで、二人は静かに座る。
「……ロイド」
リーリヤが声をかける。
「イーネスの落窪」
「うん」
「昔行ったことがあるって言ってたわね。そこって、どんな場所なの?」
ロイドは少しだけ黙った。
炎が揺れる。
「……あそこはね。僕たちの最後の調査地だったんだ」
「昔のパーティと?」
「そう。ゾーナスと一緒だった」
ロイドは焚き火を見つめた。
「だから少し……思い出すんだ。あの頃のことを」
それ以上は語らなかった。
夜は静かに過ぎていく。
だがロイドは、なかなか眠れなかった。
星空を見上げる。
遠くで風が草原を揺らしていた。
そして朝。
草原に朝日が差し込む。
マットはすでに起きていた。
片手で巨大な岩を持ち上げている。
「……朝から何してるんだい?」
ロイドが半ば呆れながら言う。
「朝トレだ。体を起こすにはこれくらいがちょうどいい」
マットは平然と答える。
「それ、人が起きる音じゃないのよ……岩が持ち上がる音なのよ」
リーリヤが苦笑する。
旅は続く。
目指す場所はまだ遠い。
だが確実に近づいている。
イーネスの落窪へと。




