第106話 Zの行方
カタリナ冒険者ギルドの奥にあるギルドマスター室は、山をくり抜いて造られたこの建物の中でもひときわ重厚な雰囲気を持つ部屋だった。厚い石壁に囲まれた空間の中央には大きな木製の机が据えられ、その表面には地図、調査報告書、焼け焦げた金属片、そして複雑な術式を書き写した羊皮紙がいくつも広げられている。窓から差し込む夕方の光は赤みを帯び、机の上に置かれた資料の影を長く引き延ばしていた。つい二週間前、火山地帯で起きたスケイルドラゴンとの戦闘。その騒動の後始末と情報の整理に、ようやくまとまった時間が取れたのが今日だった。
机の向こう側で腕を組んでいる男は、この街の冒険者たちを束ねるギルドマスター、グラハムである。分厚い肩と岩のような腕を持つ大柄な男だが、その目の鋭さは長年数多くの依頼と冒険者を見てきた人物特有のものだった。豪快な性格で知られる彼だが、今は机の上の資料を見下ろしながら、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「……で、整理するとこういうことになる」
低い声が部屋に落ちる。グラハムは机の上に広げられた羊皮紙を指先で叩きながら、視線をロイドへ向けた。
「まず一つ目だ」
ロイドは軽く眼鏡の位置を直すと、机の上に置かれていた赤い羽をつまみ上げた。羽は小さく震えるように淡い光を帯びている。魔力を内包した羽毛――マナフェニックスのものだ。
「マナフェニックスの乱獲だね。普通は希少種で、討伐対象になること自体ほとんど無いモンスターだけど、今回は事情が違う。確認できただけでも複数の群れがまとめて狩られている」
彼はそう言いながら、机の上の別の羊皮紙を広げた。そこには複雑な円環状の魔法陣と、細かく組み合わされた術式が描かれている。
「火山の施設で見つかった魔法陣。これは魔力抽出用の術式だね。さらに保存容器と、魔力を安定化させる刻印が見つかっている。つまりフェニックスを狩った目的は単純で、魔力の回収だ」
その説明を聞きながら、リーリヤは腕を組んだまま机の上の羽を見つめていた。だが彼女の表情は、単なる分析を聞く顔ではなかった。火山の施設で見た光景が脳裏に浮かんでいたのだ。焼け焦げた岩壁の上に散らばっていた赤い羽。魔力を抜き取られ、干からびたように倒れていたフェニックスの亡骸。それはただの狩りではなく、明らかに作業として行われた虐殺だった。
「……かなり大規模な研究なことは明らかよね」
リーリヤは小さく息を吐いた。
「フェニックスをあれだけ狩って」
「その通りだね」
ロイドは淡々と頷いた。
「抽出された魔力の量も相当なものだ。単発の実験では説明できない。継続的な研究と考えるのが自然だろう」
グラハムが鼻を鳴らした。
「つまりフェニックスは魔力タンクってわけか」
「そういうことだね」
ロイドは机の上の地図へ視線を移す。
グラハムがその地図を指で叩いた。
「二つ目だ」
地図には火山地帯を中心にいくつもの印が付けられていた。ロイドはその線を指でなぞりながら説明を続ける。
「魔力を収集する係、それを運ぶ運搬係、そして研究を行う施設。役割が分かれている。つまりこれは個人ではなく、明確に組織化された研究体制だ」
リーリヤが眉をひそめる。
「……組織も整備されてた」
グラハムが椅子に深く座り直した。
「裏で全部まとめてる奴がいる」
ロイドは机を指で軽く叩きながら言った。
「博士だね」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がわずかに重くなる。
マットが首を傾げた。
「博士?」
「研究の責任者ってことだね」
ロイドは説明する。
「魔力抽出、運搬、進化研究。この全部を統括している人物がいるはずだ」
アルエが腕を組んだ。
「ずいぶん大がかりね」
「そうよ」
リーリヤが続ける。
「ここまでの規模なら、裏にかなり大きな力があるはず」
「国が動くレベルだな」
グラハムはあっさり言った。
「下手すりゃ戦争だ」
マットが腕を組みながらぼそりと呟く。
「面倒だな」
「マットはどうせ筋トレばっかりでしょ」
アルエが即座に言い返す。
「それは当然だろ」
「こんな時でもいつも通りね。ある意味安心するわ」
軽く場が緩んだところで、ロイドは咳払いを一つして話を戻した。
「三つ目だ」
机の中央に置かれている焦げた破片――スケイルドラゴンの骨を指で示す。
「研究施設は、スケイルドラゴンを使って破壊される予定だった」
リーリヤが静かに頷いた。
「証拠隠滅ね」
「そう」
ロイドは言った。
「施設ごと消して、研究の痕跡を残さないつもりだった」
グラハムが低く唸る。
「だが実際はそうならなかった」
「俺たちが倒したからだ」
マットがあっさり言う。
「そういうことだ」
グラハムは笑った。
「そのおかげで、燃え残った資料がいくつか回収できた」
ロイドは焼けた紙片を取り出して机の上に置いた。
そこに残っていたのは、たった一文字だった。
Z
グラハムが眉を上げる。
「署名か」
「その可能性が高いね」
ロイドは静かに言う。
「この研究の責任者」
リーリヤが小さく呟いた。
「……博士」
しばらく沈黙が落ちる。
グラハムはその空気を破るように、ふっと息を吐いた。
「それとだ」
彼は腕を組んだままマットたちを見回す。
「一つ、俺の失敗の話をしておく」
アルエが眉を上げた。
「失敗?」
「お前らの処遇だ」
グラハムは机の上の鱗を見下ろす。
「フェニックス事件の調査の時、お前らをCランクで登録した。あれは俺の判断だ」
リーリヤが頷く。
「聞いてるわ」
「だがどうやら読みが甘かったらしい」
グラハムは苦笑した。
「スケイルドラゴンを、他の冒険者の手を借りずに完全討伐。骨だったとはいえ、あれはドラゴン種だ」
彼はマットを見た。
「正直に言う。お前らの実力はBランク相当だ」
マットは首を傾げた。
「じゃあBでいいだろ」
「簡単に言うな」
グラハムは笑った。
「C登録から一か月も経ってねえ。そんな昇格、前例もねえし検討すらされたことがねえ」
ロイドが肩をすくめる。
「制度ってのはそう簡単には動かないからね」
「だから昇格は保留だ」
そう言うと、グラハムは机の引き出しから小箱を取り出した。蓋を開けると、中には朱色の光を帯びた玉が収まっている。
リーリヤが息を呑んだ。
「……竜玉?」
「前に保護したマグマドレイクから採れたやつだ」
グラハムは笑う。
「ドラゴン系モンスターが排出する魔力結晶。魔術師の杖の核に使われる夢の素材だ」
ロイドは興味深そうにそれを見つめた。
「なるほど。進化途中で安定してる証拠でもあるわけだね」
「そういうことだ」
グラハムは竜玉を机の中央に置いた。
「お前らにやる」
マットが覗き込む。
「これは重いのか?」
「なんでもトレーニングに使おうとしないで」
アルエが即座にツッコんだ。
グラハムは豪快に笑う。
「それと次の話だが――」
彼は首を横に振った。
「いや、正確には“まだ次じゃねえ”」
リーリヤが眉をひそめる。
「どういうこと?」
「お前らの報告、火山の資料、それに各地から上がってきてる情報。今ギルド総出で整理してる最中だ」
ロイドが小さく頷いた。
「情報の精査ってわけだね」
「そうだ。相手はかなり大きい組織だ。次の手を打つなら、こっちも準備がいる」
グラハムは指を一本立てる。
「最低でも一週間は欲しい」
リーリヤは静かに息を吐いた。
「慎重に行くってことね」
「当たり前だ。ドラゴン倒す連中でも、準備無しで突っ込ませる気はねえ」
マットが腕を組む。
「じゃあ筋トレ期間か」
「違うわ」
アルエが言う。
「旅の準備よ」
グラハムは頷いた。
「その通りだ。どうやらまた長旅になりそうだからな」
その言葉のあと、部屋には静かな緊張が落ちた。
ロイドは机の上の焦げた紙を見る。
Z。
その文字は夕日の中で、わずかに赤く光っていた。




