第104話 スケイルドラゴン2 【挿絵付き】
爆炎が石室を覆い尽くしていた。
アルエの放った上級魔法――フレイム・インフェルノ。その灼熱は、もはや炎というよりも暴力的な熱量の奔流だった。空気そのものが燃え上がり、石室の壁面は赤く染まり、床の岩さえ溶けかけている。視界は揺らぎ、音は歪み、ただ轟々と炎が唸る。
その地獄の中心で。
巨大な影が動いた。
灼熱の嵐を引き裂くように、スケイルドラゴンの尾が振り抜かれる。空気を押し潰しながら一直線に飛来するそれは、もはや攻撃というより落下してくる鉄柱のような質量だった。石室を裂くような風圧がアルエへと迫る。
次の瞬間。
鈍い衝撃音が響いた。
ドラゴンの尾を、ササミの爪が掴み止めていた。
巨大な翼を広げ、アルエの前へと滑り込んでいたのだ。炎の渦の中でその巨体が踏ん張り、尾を押し返す。骨と骨が擦れ合う不快な音が響き、火花のように魔力が散る。
やがて炎の嵐がゆっくりと薄れていく。
赤く染まった煙の向こうから、スケイルドラゴンの姿が現れた。その姿は先ほどとは明らかに違っていた。
翼。
巨大な骨の翼は完全に炭化していた。
アルエの上級魔法によって焼き尽くされ、黒く脆くなった骨が崩れ落ちていく。炭のようになった翼骨が音を立てて砕け、床へ散らばった。
効いている。
確かに。
ドラゴンにダメージは通っている。
その事実に、アルエの胸が高鳴った。
「やった……!」
だが。
その安堵は一瞬だった。
次の瞬間、スケイルドラゴンの尾が再び動いた。先ほどよりもさらに重く、さらに速く振り抜かれる。ササミが翼でそれを受け止める。
しかし。
骨の尾は、その翼を貫いた。
鈍い破裂音。
巨大な骨が翼を突き破り、石床へ突き刺さる。
「ササミ!!」
アルエが叫んだ。
手を伸ばす。
だが、その腕は途中で止まった。
膝が崩れる。
体が支えきれない。
上級魔法の反動だった。体内の魔力はほとんど空になっている。呼吸は荒く、視界が揺れる。
ササミは痛みに短く鳴いた。
だが。
退かない。
その顎が、ドラゴンの尾へと食らいついた。
ぎり、と骨が軋む。
巨大な尾を噛み締め、決して離さない。
その意志は明確だった。
ここで退けば、後ろにいる仲間が死ぬ。
だから離さない。
この瞬間、はっきりしたことが一つあった。
アルエの火力なら。
ドラゴンにまとまったダメージを与えられる。
問題は。
次の一撃を撃てるかどうかだ。
アルエが叫ぶ。
「マット!!回復!!」
荒い呼吸。
それでも瞳は燃えている。
「もう一発……ぶち込んでやるんだから……!」
だが。
マットが前線を離れれば。
この暴れるドラゴンの攻撃を抑える者がいなくなる。
火球。
尾。
腕。
そのすべてが災害のような威力を持っている。わずかでも守りが崩れれば、戦線は一瞬で瓦解する。
マットは一瞬、動けなかった。
前線を離れれば、この暴れるスケイルドラゴンを抑える者がいなくなる。尾の一撃は岩壁を砕き、火球は石室を焼き払い、振り下ろされる腕は巨大な岩塊そのものだ。たった一瞬でも均衡が崩れれば、この戦線は一気に崩壊する。
視界の端。
ササミの翼が骨に貫かれている。
血が滴る。
その奥ではリーリヤが必死に水刃を放ち続けている。もし次の攻撃が直撃すれば――あの細い体はひとたまりもない。
カーボも限界だ。
息は荒く、足取りは重い。
それでも前に立っている。
マットの胸の奥で、嫌な想像がよぎる。
ここで自分が離れれば。
仲間が――死ぬかもしれない。
拳が無意識に握られた。
その瞬間だった。
鋭く短い吠え声が響く。
振り向いた先で、カーボが立っていた。体毛は焼け焦げ、ところどころ血が滲み、それでもなお四肢を踏ん張ってこちらを見ている。
「行って!マット!」
続けてリーリヤの声が飛ぶ。
「少しの間ならどうにかする」
そして、リーリヤは笑う。「お姉ちゃんを信じなさい!」
マットは一瞬だけ目を閉じた。
決断する。
次の瞬間、彼の手がアルエの肩へ触れていた。治癒の魔力が奔流のように流れ込み、柔らかな光がアルエの体を満たしていく。
だが、その魔力は回復として留まらなかった。
流れ込んだ端から、アルエの体内を巡り、ほとんど反射のように術式へと吸い込まれていく。回復された魔力は即座に消費され、また回復され、また消費される。まるで底の抜けた器へ水を注ぎ続けているようだった。
「もう少し……もう少しだけ耐えて……!」
祈るような声が漏れる。
その間にも、石室の中央では地獄のような戦闘が続いていた。
リーリヤのウォーターカッターが次々と放たれ、飛来する火球を断ち切っていく。しかしドラゴンの攻撃は止まらない。砕け散った炎が床へ叩きつけられ、岩盤が爆ぜ、衝撃波が石室全体を震わせる。
その嵐の中心へ、カーボが再び飛び込んでいった。
爪が骨へ叩きつけられる。牙が肋骨へ食い込む。しかしその体はすでに限界に近かった。火球の爆風に吹き飛ばされ、骨の腕に叩きつけられ、尾の一撃に弾き飛ばされる。それでも、何度倒れても、カーボは再び立ち上がる。
ただ信じているからだ。
仲間を。
「まだ……!」
リーリヤが歯を食いしばり、水刃をさらに放つ。
その直後だった。
ドラゴンの巨大な腕が振り抜かれる。
一直線にリーリヤへ迫る。
回避は間に合わない。
その瞬間、灰色の影が割り込んだ。
カーボだった。
満身創痍の体を引きずるように起き上がり、血に濡れた四肢で地面を蹴る。次の瞬間には弾丸のような速度でドラゴンの胸部へ飛び込んでいた。
牙が食い込む。
爪が叩き込まれる。
ひび割れていた肋骨へ、その全ての力を叩きつける。
乾いた破裂音が石室に響いた。
肋骨が砕ける。
その奥に、黒く脈打つ魔力の光がかすかに覗いた。
だが。
完全には開いていない。
砕けた骨がなお絡み合い、魔力核へ続く道を塞いでいる。
スケイルドラゴンが咆哮した。
魔力が爆発的に膨れ上がり、巨大な腕が振り上げられる。
それは振り下ろすための動きではなかった。
握り潰す。
巨大な骨の掌が開き、カーボを包み込むように迫る。もし捕まれば、そのまま岩のような握力で砕き潰される。
その瞬間、カーボは一度だけ後ろを振り返った。 その瞳は今だ、勝利を疑っていない。
次の瞬間には、骨の腕が振り下ろされる。
カーボは確実に押し潰される。
その瞬間だった。
「ササミ!」
リーリヤの声が鋭く飛ぶ。
尾へ食らいついたままだったササミが、低く唸りながら翼を大きく広げた。貫かれた翼から血が滴っている。それでもその巨体は揺るがない。
リーリヤが一歩踏み込み、両手を素早く振る。
ウォーターカッター。
だが、先ほどまでの細い水刃ではない。
圧縮された水の刃が幾筋も走り、露出しかけた肋骨の根元へ正確に叩き込まれる。骨の隙間へ滑り込み、内部から抉るように切り裂いていく。
その瞬間、ササミが尾を引き寄せた。
巨大な体が全力で捻られる。
骨格全体が引きずられ、ドラゴンの胸部が大きく傾いた。
その動きに合わせて、リーリヤの水刃が最後の一撃を叩き込む。
鈍い破砕音。
残っていた肋骨が、完全に砕け散った。
その奥にあったものが露わになる。
赤黒く脈打つ魔力核。
ドラゴンの心臓。
一瞬、石室の時間が止まったようだった。
「待たせたわね!これで、お返しよ!」
膨れ上がったアルエの魔力が解き放たれる。
「アミノ、あんたも力貸しなさい!」
アミノの電撃がアルエの炎に絡みつく。炎雷。
「ライトニング・インフェルノ!」
先ほどのフレイムインフェルノの威力を超える凄まじいい爆炎が、スケイルドラゴンの身を包み、その動きを完全に封じ込める。
そして次の瞬間。
マットの足が地面を蹴った。
爆ぜるような踏み込みだった。
岩盤が砕け、衝撃が石室の床を走る。人間の脚力ではあり得ない加速で、マットの身体が一直線にドラゴンの胸部へと射出された。視界のすべてが後ろへ流れていく。
露出した魔力核。
そこまでの距離は、ほんの数歩。
だが、そのわずかな距離の間にもスケイルドラゴンは動いていた。炎に飲まれながらも、なおもその動きは止めない。
巨大な顎が開く。
至近距離。
火球が生成される。
もし直撃すれば、人間の体など跡形もなく消し飛ぶ。
だが。
「遅い」
リーリヤの声が走る。
次の瞬間、鋭い水刃が空間を切り裂き、火球の形成を途中で断ち切った。圧縮された水の刃が魔力の流れそのものを切断し、炎は不完全な爆発となって霧散する。
その隙間を、マットは迷いなく突き抜けた。
腕に巻きついたアミノが、きゅっと力を込める。
魔力が流れ込む。
マットの筋肉が膨張するように張り詰め、拳へと力が集中していく。
視界の中心。
赤黒く脈打つ魔力核。
それはまるで、生きた心臓のように鼓動していた。
マットは、わずかに笑った。
「やっと当たるな」
振りかぶる。
その動作は大きくない。
だが、そこに込められた力は凄まじかった。
足裏が岩盤を掴む。
膝が沈む。
腰が回る。
背筋が収縮する。
肩が解放される。
肘。
手首。
全身の筋肉が一瞬で連動し、身体のすべての運動エネルギーが拳へと収束していく。
そして。
叩き込まれた。
拳が。
魔力核へ。
衝撃は音にならなかった。
一瞬遅れて、空間が爆ぜた。
魔力核に亀裂が走る。
赤黒い光が内側から溢れ出し、制御を失った魔力が暴風のように噴き出した。
スケイルドラゴンの骨格が大きく震える。
咆哮。
それは声ではない。
崩壊する魔力が発する断末魔だった。
マットはさらに拳を押し込む。
「終わりだ」
次の瞬間。
魔力核が砕けた。
砕け散った光が爆発的に広がり、石室を満たしていた膨大な魔力が一気に崩壊する。支えを失った骨格が、ばらばらと音を立てて崩れ始めた。
巨大な頭骨が傾き、翼の残骸が床へ落ちる。
やがて。
スケイルドラゴンの体は、ただの骨の山へと変わった。
静寂が訪れる。
だが、それは安らかな静けさではなかった。
石室の壁はひび割れ、床の岩盤は無数の亀裂を走らせている。焼け焦げた空気はまだ熱を帯び、崩れた骨の山の隙間からは、制御を失った残留魔力がじりじりと漏れ続けていた。
ほんの少しでも均衡が崩れていれば、ここに立っている者は誰一人いなかっただろう。
それほどの怪物だった。
マットは拳を引き抜き、ゆっくりと息を吐いた。
拳はまだ震えていた。




