第103話 スケイルドラゴン1
石室の中央で、死んだはずの竜の骨がゆっくりと動き始めていた。
巨大な顎がぎしりと音を立て、翼の骨格が擦れ合うたびに乾いた軋みが空間へ広がる。その姿は確かに骸骨でしかないはずなのに、そこから発せられる威圧感は生きたドラゴンと何ら変わらないほど濃密だった。床に描かれた魔法陣を通じて流れ込む膨大な魔力が、骨の一本一本を満たし、かつて空を支配していた捕食者の残滓を無理やり呼び覚ましている。
石室の空気が、重く沈む。
呼吸をするだけで肺が圧されるような感覚。
それは理屈ではなく、本能だった。
目の前にいる存在が、かつて生態系の頂点に君臨していた捕食者であると、身体が理解している。
ロイドが低く言う。
「スケイルドラゴン……ドラゴンの骨に残った魔力を核にして動く擬似生命体だ。完全な生命じゃないが、その代わり魔力の塊みたいなものだと思った方がいい」
アルエが口元を歪める。
「いいじゃない」
その目は輝いていた。
「初めてのドラゴンよ」
次の瞬間。
骨の顎が大きく開いた。
凝縮された魔力が渦を巻き、赤黒い火球となって吐き出される。空気を焼きながら一直線に飛来するそれを見て、アルエはむしろ楽しそうに笑った。
「来たわね!」
彼女の杖が振り上げられる。
「ファイアボール!」
二つの火球が空中で激突した。
轟音。
爆炎が石室を埋め尽くし、衝撃波が床を震わせる。熱風が吹き荒れ、壁面に積もっていた粉塵が一斉に舞い上がった。
アルエは思わず声を上げる。
「流石ドラゴン!骨になってもすごい威力!」
だが彼女の瞳はすでに次の一手へ向いていた。
「でも、これならどうよ!」
杖の先に魔力が集中する。
炎が圧縮され、より濃密な熱量へと変わっていく。
「フレアブラスト!」
中級魔法。
巨大な炎塊が放たれ、スケイルドラゴンの火球を正面から押し潰す。爆炎が骨格へ叩きつけられ、灼熱の衝撃が石室を揺らした。
しかし。
炎が晴れたあとに立っていた骸骨は、ほとんど揺らいですらいなかった。
「ええぇ!?当たってるのに!」
アルエが思わず叫ぶ。
ロイドが静かに言う。
「ドラゴンの魔力は桁違いなんだ。例え骨だけでもね。耐性もそこらのモンスターとはわけが違う」
その瞬間。
スケイルドラゴンが大きく胸骨を震わせた。
次の瞬間、口だけではなく、肋骨の隙間からも赤い光が溢れ出す。
「……まずい!」
ロイドが叫ぶ。
直後、無数の火球が散弾のように放たれた。
空間を埋め尽くす炎の雨。
リーリヤは一歩も動かない。
「……遅い」
彼女の指先が静かに動く。
ウォーターカッター。
幾筋もの水刃が走り、飛来する火球を次々と切り裂いていく。正確無比の軌道。無駄のない動き。必要最低限の魔力だけで、炎の弾幕を解体していく。
それでもいくつかは抜ける。
だが。
その前へ巨大な影が躍り出た。
ササミだった。
翼を広げ、炎を真正面から受け止める。
石壁が外側から砕ける。
轟音。
岩盤を突き破り、カーボが戦場へ飛び込んできた。
マットが短く言う。
「行くぞ、カーボ」
次の瞬間。
二つの影が同時に動いた。
マットが右。
カーボが左。
挟撃。
拳と牙が同時に骨へ叩き込まれる。
衝撃音。
骨に細かな亀裂が走る。
しかし。
その亀裂は、次の瞬間には消えていた。
骨の内部を巡る赤い魔力が、傷を覆い隠すように流れ、砕けかけた部分を再び結びつけていく。
「……再生してるのか」
マットが眉をひそめる。
カーボも低く唸る。
その間にもスケイルドラゴンは暴れ続けていた。巨大な腕が振るわれ、尾が石室を薙ぎ払い、火球が絶え間なく吐き出される。空間全体が災害のように荒れ狂い、床の岩盤すら次々と砕けていく。
リーリヤはその光景を冷静に見据えていた。
ウォーターカッターを幾度も放つ。
水刃は確かに骨へ当たり、細い裂傷を刻む。
しかし。
「……浅い」
リーリヤは小さく呟いた。
骨の表面に傷は入る。
だが、それだけだった。
次の瞬間には魔力が流れ込み、裂けた骨が再び閉じてしまう。
リーリヤの火力では、決定打にならない。
「アミノ」
彼女は静かに呼んだ。
腕に巻きついていた小さな蛇が動く。
牙が軽く立てられた。
魔力が流れ込む。
リーリヤの瞳が鋭く細まった。
「もう一度」
ウォーターカッター。
今度の水刃は、先ほどよりも明らかに鋭かった。
空気が裂ける音。
刃が骨を切り裂く。
スケイルドラゴンの胸骨に、はっきりとした裂傷が刻まれた。
だが。
それでも完全には砕けない。
傷は入る。
だが、時間と共に閉じていく。
ロイドが小さく呟いた。
「……まずいな」
誰も言葉を返さなかった。
状況は明白だった。
攻撃は通る。
だが、決定打にならない。
そしてドラゴンの攻撃は、一撃でも直撃すれば致命的だ。
まるで巨大な災害を相手にしているようだった。
その背後で。
アルエが静かに詠唱を始めていた。
「我、願う。森羅万象を後塵に帰す、紅蓮の腕よ。我が呼び声に応じ顕現せよ」
空気が変わる。
彼女の体から溢れ出した魔力が、空間そのものを歪ませ始めていた。
石室の温度が上がる。
床の砂が焦げる。
杖の先に集まった魔力は、もはや炎という形を越え、灼熱の塊となって渦巻いていた。
アルエの額に汗が浮かぶ。
だがその瞳は、獲物を狙う魔術師のそれだった。
「フレイム・インフェルノ!」
上級魔法。
次の瞬間。
世界が炎になった。
爆発的な熱量が石室を飲み込み、ドラゴンの火球すら蒸発させながら骨格を包み込む。紅蓮の嵐が渦を巻き、空気そのものが燃え上がるような光景だった。
リーリヤは咄嗟に水のベールを展開する。
仲間を覆う防壁。
それでも熱風は凄まじく、床の岩すら赤く焼け始めていた。
アルエが叫ぶ。
「これでどうよ!」




