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マッスル・ストロンガー・ザン・マジック ~回復魔法と筋トレの相乗効果で究極の筋肉を手に入れよう~  作者: tomato.nit
第一章 少年編 

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第100話 谷の張り込み


 谷へ辿り着いたその日、三人はすぐに動かなかった。


 切り立った黒い岩壁の上から見下ろせば、眼下には巨大な裂け目のような谷が口を開けている。かつての大噴火と長い年月の侵食が作り上げた地形だとロイドは言っていたが、実際に目の前にすると、その説明だけでは足りないほどの迫力があった。大地が真横から断ち割られ、その傷口がそのまま残ったような景色である。谷底は深く、ところどころに赤黒く焼けた岩盤が剥き出しになっていて、吹き上がってくる熱気に揺らめいて見えた。


 風は強い。


 だが涼しくはない。むしろ火山地帯の熱を運び、頬を撫でるたびに乾いた熱気を押しつけてくる。谷の壁面にはところどころ硫黄の黄色が混じり、蒸気の細い筋が白く立ち上っていた。熱で歪んだ空気の向こうでは、黒い岩肌が鈍い光を返している。


 ロイドはしばらくその地形を観察し、やがて静かに頷いた。


 「なるほど……これは確かに受け渡しには向いているね」


 アルエが眉をひそめる。


 「どこがよ。隠れる場所なんてそんなに――」


 「多いよ」


 ロイドは指で谷の側面を示した。


 「上から見ると単なる亀裂に見えるけど、中は枝分かれが多い。熱気の流れで匂いも散るし、岩肌の照り返しで遠目からは人影も分かりにくい。しかも火山地帯の外れだから、普通の冒険者もわざわざ長居したがらない」


 「つまり、悪いことするには丁度いい場所ってわけね」


 アルエが吐き捨てるように言う。


 ロイドは否定しなかった。


 「残念ながら、その通りだ」


 マットは谷を見下ろしながら腕を組む。


 「で、どうする」


 「張る」


 ロイドの返答は簡潔だった。


 「最低でも二晩は見るべきだろうね。男の証言が本当なら、受け渡しは三日に一度。時間はまだ少しある。リーリヤが戻ってくる余地も欲しい」


 アルエが小さく息をつく。


 「張り込みかぁ。地味なのよね、あれ」


 「そういう役目も冒険者には必要だよ」


 「はいはい、優等生」


 アルエは返事をしつつも、文句を言いながらちゃんと岩陰へ身を寄せた。


 三人と二匹は谷の上部にある岩棚を拠点に定めた。そこは上から谷底を見渡せる一方で、外からは目立ちにくい位置にある。アルエは少し高い場所へ移動し、遠距離から魔法で支援できる位置を確保する。ロイドはその中間で観測役。マットは突撃しやすい位置の岩陰へ。カーボは谷の周辺を大きく巡回し、匂いの変化を追う偵察。アミノは拠点に近い岩柱へ巻きつき、じっと舌をちろつかせながら周囲の気配を探っていた。


 最初の昼は、何も起こらなかった。


 熱気と風、時折遠くで鳴る岩鳴りのような音。それだけが時間の経過を知らせる。谷の下には火山性の小さな昆虫が飛び交い、岩陰にはトカゲ型の小モンスターが出入りしていたが、人の気配はない。


 アルエは早々に飽き始めた。


 「ねえ、張り込みってこんな暇なの?」


 マットは黒い岩の上に腰を下ろし、何故か両膝に別の岩を乗せていた。


 「筋トレできる」


 「聞いたあたしが馬鹿だった」


 ロイドはそんな二人を横目に、谷の形と風の流れをノートへ書き込んでいた。


 「暇に見える時ほど、準備をしておくべきなんだよ。痕跡は、案外そういう時に見える」


 アルエが肩をすくめる。


 「相変わらず真面目ね」


 「君たちが自由すぎるだけだと思うよ」


 そう言った直後だった。


 少し離れた場所から、低い唸り声が聞こえた。


 カーボだ。


 灰色の毛並みが岩陰から滑るように現れ、ロイドの傍まで来る。鼻先を谷の下流へ向け、短く息を鳴らした。


 ロイドはすぐに理解した。


 「……人間だね」


 アルエが身を乗り出す。


 「来たの?」


 ロイドは首を横に振る。


 「まだ遠い。でも、この方向で間違いない」


 その日は結局、それ以上の動きはなかった。


 夜になると火山地帯の景色は昼とは別物になる。遠くの溶岩の赤い光が岩肌を薄く照らし、空は暗いのに、地面のそこかしこがぼんやりと明るい。熱は弱まらず、むしろ昼間より静かに染み込んでくるようだった。


 張り込み一晩目。


 カーボは何度か谷の周囲を巡回し、そのたびに戻ってきては人の匂いの残り方を確かめるように鼻を鳴らした。アミノは岩柱に巻きついたまま、まるで動かない置物のようだったが、時折ぴくりと尾が震える。何かを感知しているのだろう。


 その様子を見て、マットが言う。


 「便利だな」


 「うん?」


 ロイドが目を上げる。


 「カーボもアミノもだ。こういう時、俺一人じゃどうにもならん」


 ロイドは少し笑った。


 「冒険者はだいたいそうだよ。一人で何でもできる人間の方が珍しい」


 アルエが寝転がったままぼやく。


 「でもあんたは、何かあったら全部殴って解決しそうじゃない」


 「殴れば解決することも多い」


 「そういうとこなのよ」


 張り込み二日目の昼も、何も起きなかった。


 ただし、人の痕跡は確実に増えていた。谷の斜面に残った浅い足跡。岩陰に擦れた布の繊維。わずかに残る油の匂い。誰かがここを使っていることは、もはや疑いようがない。


 夕方近く、谷の上空を何度か影が横切ったが、それはただの火山鳥だった。アルエは何度も空を見上げ、そのたびに肩を落とす。


 「リーリヤ、まだ戻らないわね」


 「距離を考えれば無理もないさ」


 ロイドは落ち着いた声で答えた。


 「カタリナまで飛んで、報告して、戻る。ササミさんが速いとはいえ、それなりに時間はかかる」


 マットは岩に腰掛けたまま言う。


 「戻るなら戦いのあとでもいい」


 アルエが苦笑する。


 「随分雑な信頼ね」


 「俺の姉だからな」


 その言葉には妙な説得力があった。


 二晩目。


 風向きが変わったのは、夜半を回った頃だった。


 熱気の流れが谷の上へ吹き上がる向きに変わり、同時にカーボがぴたりと動きを止める。鼻先を上げ、耳を立てた。


 アミノの体も微かに震える。


 ロイドが目を細めた。


 「……来る」


 その声で全員の空気が変わる。


 アルエは岩棚の端で姿勢を低くし、リーリヤはその少し後ろで魔力を整えた。マットは谷へ飛び降りやすい位置に立ち、カーボは岩陰へ身を沈める。アミノはロイドの足元まで滑り降り、舌をちろりと出した。


 やがて。


 谷の下流から人影が現れた。


 六人。


 先頭の二人は周囲を警戒しながら進んでいる。装備は粗雑だが、動きには慣れがある。下っ端というより、場数を踏んだ荒事屋だ。後ろに続く三人は荷を持つ役らしく、大きめの背負い袋と工具を背負っていた。


 そして最後尾。


 一人だけ雰囲気の違う男がいた。


 細身。長い外套。手には金属枠に結晶をはめ込んだ、見慣れない測定器のようなものを持っている。顔色は悪いが、その目だけは妙に研ぎ澄まされていた。


 ロイドが小さく呟く。


 「研究者って感じだね」


 その直前には、さらに大きな男がいた。


 無言で歩くその男は、背に大剣を負っている。火山地帯に慣れた装い。歩幅も無駄がない。護衛だ。そして、強い。


 マットの口元がわずかに上がる。


 「あれは俺だな」


 「嬉しそうに言わないで」


 アルエが小声で突っ込んだ。


 回収部隊は谷の途中で足を止めた。下っ端の一人が岩壁の一角へ手を伸ばす。ぱっと見ではただの岩肌にしか見えないが、特定の場所へ圧をかけると、薄くはめ込まれていた岩板が外れた。


 中から現れたのは、黒い石で作られた容器だった。


 研究者の男がすぐに近づく。


 測定器を容器へ当てると、結晶が淡い赤色に光を放った。


 「……まだ魔力が残っている」


 男は低く呟く。


 「純度も高い。上出来だ」


 ロイドの目が細くなる。


 「証拠確定」


 マナフェニックスの魔力を保存し、回収し、運んでいる。


 それを裏付ける言葉だった。


 マットが拳を握る。


 「行くぞ」


 ロイドは一度だけ頷いた。


 「今だ」


 その瞬間。


 マットの身体が岩棚から消えた。


 正確には、飛び降りた。


 凄まじい音とともに谷の中腹へ着地する。岩盤がひび割れ、下っ端たちが一斉に振り向いた。


 「敵襲!」


 叫び声が上がるより早く、アルエの魔法が飛ぶ。


 「フレイム・ブラスト!」


 火柱が谷の側面を舐めるように走り、下っ端の二人をまとめて吹き飛ばした。火山地帯の熱気を巻き込んだ炎は勢いを増し、岩壁へ叩きつけられた男たちはそのまま転がって動かなくなる。


 「ちっ!」


 護衛の男が即座に前へ出た。


 大剣を抜く。


 火山の光を受けて、刃が鈍く赤く光った。


 「冒険者か」


 低く吐き捨てる。


 「邪魔だ」


 マットは真正面からそれを受けるように立った。


 「よく言われる。だが、退くつもりはない」


 大剣が振り下ろされる。


 重い。


 速い。


 単純な力任せではない。体重移動、踏み込み、剣の軌道、その全てが洗練されていた。高レベルの冒険者として実戦をくぐり抜けてきた技量が見て取れる。


 マットは半歩だけ身体をずらした。剣の軌道を最小限で外し、そのまま懐へ入る。


 護衛はすぐに肘を引き、柄で打ち払うように反応した。


 読んでいる。


 速い判断だった。


 マットの肩へ硬い衝撃が入る。


 だが、その程度では止まらない。


 「いい動きだな」


 マットが笑う。


 護衛の眉がひそむ。


 大剣が横薙ぎに払われた。岩をも断ちそうな一閃。マットはそれを正面から腕で受けるのではなく、拳で刃の腹を叩き、わずかに軌道を逸らした。凄まじい金属音が谷に響く。


 護衛の技量は確かだった。


 だが。


 マットの身体能力は、それを上から押し潰す。


 踏み込みの速度。


 体の回転。


 打撃の重さ。


 どれもが常識の外にあった。


 護衛は確かに高レベルの冒険者だった。だが、マットの前では、その技量を使い切る前に体勢を崩される。受け流し、割り込み、間合いの破壊。技術差はある。しかし、身体そのものの性能差が、それを帳消しにしていく。


 「くそっ……!」


 護衛が再び剣を振り上げる。


 マットはその瞬間を待っていた。


 剣が上がった分だけ、胸元が開く。


 踏み込む。


 肩からぶつかる。


 護衛の軸がぶれる。


 そのまま腕を掴み、腰を入れた。


 「終わりだ」


 マットは護衛の身体ごと大剣の勢いを殺さず反転させ、そのまま岩壁へ叩きつけた。


 轟音。


 谷の壁面が揺れる。


 男の身体はひび割れた岩にめり込み、手から大剣が離れた。


 意識はない。


 その頃には、アルエの炎で下っ端たちはほぼ片づいていた。


 残った一人が慌てて谷の下流へ走る。


 「逃がさないわよ!」


 アルエが狙いをつけようとする。


 だがロイドが手を上げた。


 「待って。そいつはいい」


 「え?」


 アルエが振り返る。


 カーボはすでにその逃走者の匂いを追っていた。谷底の岩陰を滑るように移動し、その行方を逃さない。


 ロイドが静かに言う。


 「一人逃がそう」


 「匂いが残れば、巣まで辿れる」


 研究者の男はその隙に後退りしていたが、アミノが足元からすでに絡みついていた。細い身体が脚へ巻きつき、男の動きを奪う。


 ロイドが歩み寄り、測定器ごとその手を押さえる。


 「残念だけど、君にはこっちへ来てもらう」


 男は歯を食いしばった。


 「……まさか、こんなところで」


 ロイドは冷ややかに答える。


 「僕たちもそう思ってるよ」


 谷には、倒れた男たちと熱風だけが残った。


 回収した容器はまだ赤い光を湛えている。研究者が持っていた装置、簡易記録、そして幾つかの輸送札。そこに記されていたのは、次の目的地を示す符号だった。


 ロイドはそれを見下ろし、小さく息を吐いた。


 「巣が見えたね」


 マットが大剣を蹴り飛ばしながら言う。


 「次の街か」


 谷底から吹き上がる熱風が、三人の髪を揺らす。


 火山の夜はまだ終わらない。


 だが、ようやく本丸へ続く道が、はっきりとその姿を見せ始めていた。


 その時だった。


 上空から風が落ちてくる。


 巨大な翼の羽ばたきが、熱風を巻き込みながら谷へ影を落とした。


 アルエが顔を上げる。


 「……来た」


 ササミだった。


 夜空を切り裂くように降下し、岩棚の上へゆっくりと降り立つ。背から軽やかに飛び降りたリーリヤは、谷の惨状を一目見て、目を丸くした。


 「……え、もう終わってるの?」


 マットが肩をすくめる。


 「来るの遅い」


 「普通はそれを早いって言うのよ」


 リーリヤは苦笑しながら谷底へ視線を向けた。倒れた男たち、捕縛された研究者、回収された容器。


 状況を一瞬で理解する。


 「なるほど。ちゃんと尻尾は掴めたみたいね」


 ロイドが静かに頷いた。


 「うん。しかも一人だけ逃がしてある」


 カーボが低く唸る。匂いはすでに追跡可能だった。


 リーリヤは口元を少しだけ吊り上げる。


 「あと、一応言っておくね」


 彼女は軽く肩を回しながら続けた。


 「カタリナのギルドには増援を頼んできた。研究者とか、倒れてる連中とか、このまま連れて歩くにはさすがに邪魔でしょ」


 アルエが谷底を見下ろす。


 「まあ……確かにこの人数は荷物ね」


 リーリヤは頷く。


 「ギルドの回収班が来るはず。距離的に、たぶんあと数日ってところかな。それまではここで縛っておけばいい」


 ロイドは少し安心したように息を吐いた。


 「それは助かるね。証拠も一緒に引き渡せる」


 マットは岩壁にもたれながら言う。


 「なら、俺たちは次を追えるな」


 「じゃあ次は、その巣を掘りに行きましょうか」


 火山の風が谷を吹き抜ける。


 物語は、次の舞台へと動き始めていた。

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