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リィンカーネーションの理 〜転生者たちの英雄譚〜  作者: 奥槻 庵
第十章 ヴィード門の戦い

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第95話 黒躯

 そのとき、ジーンの背後から放たれた黒い影が一直線に黒塊に吸い込まれていき、地面に落下しかけていた黒塊を再び上空へと打ち上げた。

 全員が振り向くと、地面に崩れ落ちるフィンの姿があった。

 

「フィン⁉︎」


 ダーシーが声を裏返らせながら駆け寄る。

 過限駆動(オーバークロック)で最高速まで加速し、棒手裏剣を投げつけたのだが、すでに限界を迎えていた肉体は、その一瞬の加速にすら耐えきれず、ふたたび胃液を吐き出してしまう。

 

「大丈夫ですか?」


 介抱するダーシーのもとにミアとテオドーラも駆けつける。

 

「……黒いやつ……は?」


 吐き気を必死に堪えながらフィンが尋ねると、ミアが早口で答えてくれた。


「フィネスさんのおかげで無事塔の上に届きそうです」

「……それは良かった」


 フィンは大きく息を吐いた。

 猛烈な勢いで投げつけられた棒手裏剣によって弾かれた黒塊は、ふたたび上昇すると、ゆっくり弧を描きながら門塔の上に落下していく。

 領主と側近の騎士たちは、自分たちの頭上へと迫ってくる黒塊を、驚愕の表情で見つめた。

 突然のことで、なにが起こったのか理解できていない。打ち払うこともできぬまま、黒塊は騎士の顔面に落下した。

 いきなり視界を遮られ、騎士は慌てふためきながら黒塊をはがそうとする。

 しかし、しっかりと肌をとらえた黒い汚泥は、引き剥がされることなく、あっという間に黒い影を体内に侵食していく。騎士は最後に大きく身悶えすると、黒躯(コープス)と化した。

 ミアが黒塊に授けた命令は「領主を討つべし」であった。

 黒塊に支配された元騎士は、ぎこちない足取りで領主に向かって歩き出す。

 クローヴィスⅡ世は、顔を引き攣らせながら、異形へと身を落とした臣下の手から逃れるべく、門塔の上の通路内を逃げ回った。




「よろしければわたくしにお任せください」


 倒れ込んだままのフィンに近づいたテオドーラは、介抱するダーシーに声をかけると、フィンの胸にその癒しの手をかざした。

 放たれた淡い光を見て、ダーシーは驚きの声を上げる。

 

「……癒しの手⁈」


 テオドーラは微笑みながら、こくんと頷く。

 

「テオドーラ様、ありがとうございます」


 フィンは、全身を支配していた悪寒や倦怠感が、癒しの手によってたちどころにおさまっていくのを感じながら、改めてその治癒効果の高さに驚かされた。

 ルーファスとの戦いで負った傷はまだ痛みが残っているので、身体的な損傷よりも、疲労感や悪寒などの感覚的な不調により高い効果を示すのだろう。

 フィンはほっとした表情で礼を告げた。

 

「だいぶ楽になりました」

「それはなによりです」


 テオドーラは微笑むと、かざしていた手をゆっくりと外した。その白磁のような美しい額には、夜明け前の肌寒い時間帯だというのに、大粒の汗がいくつも吹き出している。

 

「あとは、お父様だけですね」


 テオドーラはそう言うと立ち上がり、毅然とした表情で塔の方を見つめた。




 ヴィード門の屋上は、黒躯が黒躯を生み、わずかに残された騎士たちが領主を守りながら必死に近づけまいと剣を振るっていた。

 槍などの長柄武器は、刺しても叩いても動きを止めることのない黒躯にとっては足止めにもならず、いくばくかの犠牲を伴い、打ち捨てられている。

 

「足を切り落とせ! 少しは動きが遅くなる!」


 年長と思しき騎士が周囲の騎士たちに向かって叫ぶ。

 

「退路はどこだ⁉︎」


 騎士たちの背後に身を隠す美丈夫卿が、いつもの美声からは想像できない金切り声で絶叫した。

 

「残念ながら奴らの後方にある門塔の扉だけです」

「なんだと!? 他に出口はないのか?」

「なにぶん古い塔です。設備も最低限なのです」

「生意気な!」


 領主は眉を吊り上げ、冷静に答えた騎士を腹立たしげに何度も打擲した。

 だが初老を迎えた領主の拳は、壮年期只中にある騎士の肉体にはほとんど通じないらしく、感情とともに繰り出される体罰を、騎士は複雑な表情のまま黙って受け止めていた。

 

「どうするんだ⁉︎」


 領主がドスの効いた声で叫ぶ。

 最年長として檄を飛ばしていた騎士ジョアンは、騒ぎ立てる領主の声を上回る音量で「ご安心をっ!」と一喝すると、激しい感情で身を震わせながら怒鳴り返す。

 

「いまから退路を切り開きます! 我が殿は我らが敵を抑えているその隙にお逃げください!」


 美丈夫卿は、ほとんど会話もしたことのないような端の臣下の不敬な態度に眉を釣り上げるも、いまは押し黙るしかなかった。

 そう言うと年長の騎士は、周囲の騎士たちに手早く指示を出し、隊列を変更する。

 中でも屈強な二人の騎士を先頭に指名すると、群がる黒躯を押し退ける役目を命じた。

 

「ジョアンさん、閣下の護衛は?」

「ブノワとお前が付け。残りの者は先頭の二人に続いて、黒くなった奴らを壁に押し付けろ。下に落としても良い。ダンクルト卿の退路を必ずや確保しろ」


 ジョアンの指示に騎士たちは威勢良く返事した

 騎士たちは鎧の上に纏っていた上衣(サーコート)を脱ぐと、幾重にも領主の身体に巻き付ける。あまりの動きにくさにクローヴィスⅡ世は不満を爆発させた。

 

「なんだお前ら? なにをする! いますぐこれを解け!」

「我が殿、しばしのご辛抱を。あの黒い奴らは触れた者の命を奪い、仲間とするようです。布だけでは心許ないとは思いますが、これで幾許かは御身の肌を守れます。なにとぞご容赦ください」


 騎士ブノワとアルノーは、全身に上衣を巻きつけたダンクルト伯を抱きかかえる。

 

「行くぞ!」


 ジョアンの掛け声とともに騎士たちは動き出した。まず先頭にいるヘクターとリオネルが盾を構えて黒躯の集団に突撃する。ぶつかった勢いそのまま一気に押し込み、複数体をまとめて壁に押し当てる。続けて残りの騎士たちも走り出し、残りの黒躯たちを同じように通路の壁に押しつけた。

 通路のその反対側には、わずかな隙間が生まれる。

 

「今だ!」


 ジョアンの声とともに領主を抱えたブノワとアルノーが駆け出す。命懸けで黒躯を押さえる仲間たちの背中が生み出した通り道をできるかぎりの速さで駆け抜けた。その後ろから最年長のジョアンもついてくる。


「扉を開けろ!」


 ようやく門塔に通じる扉にたどり着き、ブノワは領主を下ろすと扉につけられたシンプルな鉄製のリングに手をかけた。

 その表情が凍りつく。

 

「どうしたっ!」

「……扉が……開きません……」

「なんだと⁈」


 ジョアンは驚きのあまり目を見開いたものの、すぐに顔を真っ赤に染めながら扉の取っ手代わりのリングに飛びつき、分厚い木材で作られた風格ある扉を激しく揺らす。

 

「なぜ開かない⁉︎ 塔の中には我らの兵が控えていたのではなかったのか!」

 

 ジョアンは半狂乱になりながら硬い扉の表面を拳で叩きつづけた。その拳は裂け、溢れ出した血が長年風雨にさらされた扉の内部へと染み込んでいく。

 

「なにをしている!」


 布で包まれた領主が、騎士アルノーに抱えられたまま叫んだ。だが、誰も答えようとしない。その沈黙にかえってクローヴィスⅡ世は事態の深刻さを悟った。


「そ、そんな扉、蹴破ってしまえ!」

 

 領主の金切り声にハッとしたジョアンとブノワは、あらんかぎりの力を込めて、扉に踵を叩き込む。だが、はるか昔にザイオンを開拓した祖先によって築かれたヴィード門の扉は、その子孫たちを守りつづけられるようにという願いにふさわしくとても堅牢に作られていた。

 そのとき、アルノーが叫び声を上げる。

 汗だくのジョアンたちが振り返ると、狭い通路の上で黒躯たちを食い止めていたはずの騎士たちがすべて奴らの仲間と成り果て、浅黒い顔を向けて、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくるのが見えた。

 若いアルノーはふたたび悲鳴を上げる。

 黒躯に変わり果てた仲間のなかには、小姓、そして従者の時代から、競い合いながらともに騎士への道を歩んできた親友と呼べる存在も含まれていた。

 アルノーは、抱えていた領主を開かない扉の前に置くと、制止するジョアンの手を振り解き、泣きながら鋸壁から身を乗り出して、親友だったものから逃れようと広場へと飛び降りた。

 身に着けていた鎖帷子の重みもあり、勢い良く落下した瞬間、なにかが潰れたような鈍い音が響く。アルノーはその場に倒れたまま、小さく身体を震わせた。

 

「アルノー、あの馬鹿野郎!」


 鋸壁の狭間から下を覗き込んでいたジョアンは、忌々しげに罵倒した。傍らではブノワがいたたまれない表情で黒躯の群れを見つめている。

 扉の前に下ろされた領主は、身を包む上衣を振り解きながら、なんとか上半身を起こした。

 

「なにをしている! 余を起こせ!」


 ブノワは、はっとした様子で領主に手を貸し、助け起こすと、そのまま、まだ上衣で包まれた不安定な下半身でも立っていられるように手を添えて支える。

 領主クローヴィスⅡ世は、塔の上に取り残されたのが、この騎士の二人と自分だけであることを認識し、酷い形相で奥歯を噛み締めた。

 ゆっくりと歩み寄ってくる黒躯たちから目を背けると、壁から顔を出して広場を見下ろした。

 すぐに少し離れた場所にいるルーファスの立派な体躯を認め、領主は大声で叫んだ。

 

「ルーファス‼︎ 聞け! いまならばお主を許してやっても良い! 余を助けよ!」


 その声を聞きつけたルーファスとその取り巻きたちは、ヴィード門の前までやってくると、はるか頭上でわめき散らすダンクルト伯に視線を向けた。

 

「閣下、ご機嫌いかがでしょう」


 英雄ルーファスは、さきほど痛めた右脚をかばい、側近”旋風のモイラ”に支えられながら立っていた。その表情は、いつもの興を削ぐような起伏に乏しい顔つきではなく、どことなく肩の荷が下りたかのような穏やかな笑みを浮かべている。

 

「戯言はよい! さっさと余を助けに来い!」


 美丈夫卿の言葉に対して、ルーファスは芝居がかったそぶりで残念そうに両手を広げた。


「お言葉ですが、このような身体では、もはや不可能です」

「たわけたことをぬかすな! なにもお前じゃなくとも良いのだ! お前の傭兵どもをここに今すぐ寄越せ!」


 青筋を立てながら叫ぶ領主に対して、ルーファスは露骨に顔を顰めた。

 

「……勘違いされているようだが、俺たちはあなたの臣下じゃない。命令はやめてもらおうか」

「な、な、なんだと⁈ 余はこの土地の領主であるぞ! 不敬な!」


 クローヴィスⅡ世は、怒り狂って叫んだ。

 だが、ルーファスは黙って首を横に振った。

 

「もはやあなたはザイオンの領主ではない。俺たちザイオンの市民がそれを否定する」


 力強く断言するルーファスの声が響くと、遠巻きに事の成り行きを見守っていた市民たちのあいだから大きく歓声が上がった。

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