第94話 黒塊が舞う
ルーファスの視線に気づいたフィンが、冗談めいた口調でジーンに言った。
「なんかルーファスが困ってるみたいだけど、また塔の上に忍び込めない?」
「はぁ? 正気かよ?」
ジーンは露骨に嫌そうな顔を見せた。
「おまえなぁ。さっきはあまり見られてなかったから大丈夫だったけど、いまは無理だろ? あんなに人が集まって戦っているところをどうやって通るんだよ?」
「失礼、通ります、って?」
「ふざけんなよ」
ジーンは軽くフィンをこづく。そして塔の上を恨めしそうに見つめた。
「俺が忍び込むかわりに、誰か裏切ってくれればいいんだけどなぁ」
そう言って能天気に笑うジーンに呆れながら、釣られてフィンたちも笑ってしまう。
そのジーンの言葉を小耳に挟んだミアが唐突に「あ!」と叫んだ。
眠りに落ちていた子どもたちがびっくりしたように目を覚まし、修道女の顔を見つめる。
発言したジーンだけでなく、フィンやダーシーも何事かとミアに視線を向けた。
突然注目されて赤面するミアだったが、やがて意を決したようにフィンを見つめながら「あのう……」と口を開く。
「どうした?」
「フィネスさん……もしも塔の上に黒躯が現れたら、どうなります……?」
ミアは呟くように言った。
フィンは一瞬、修道女が何を言っているのか理解できなかった。
まじまじとミアの顔を見つめてしまうが、すぐにミアの言わんとすることを察して、大声を上げた。
「お……おお! そうか! それだ!」
興奮のあまりに立ち上がってしまい、間髪入れずに襲ってきた全身の痛みと疲労に顔をしかめる。
周囲にいた仲間たちはなにが起こったのか理解できず、ぽかんと口を開けて、興奮する二人を見守っていた。
フィンは改めて領主がいる塔の屋上を見上げた。上から落下すれば無事では済まない高さではあるが、とはいえ、そこまで高いわけでもない。だいたい三階建ての民家ぐらいの高さだろうか。
「ちょっと高いけど……」
フィンはミアの方へと振り向くと微笑んだ。
「なんとか届くと思うよ。俺に任せて」
しかしミアはかぶりを振った。
「お任せするわけにはいきません。フィネスさんといえども触れば黒躯になってしまいます。掴めるのは私だけです。私にやらせてください」
そう言うとミアはまっすぐ正面からフィンの瞳を見つめてきた。その柔らかな瞳の奥にある強い意志の光は転生前の未央とまったく同じものであった。
フィンは頷くしかなかった。
「わかった」
「ありがとうございます」
ミアは嬉しそうに微笑んだ。
フィンは念のため地面に転がっていた瓦礫の中から手頃な大きさの石を拾ってミアに手渡す。
「え?」
訳もわからないまま石を渡されたミアは笑顔を引き攣らせた。困惑しながらフィンの顔を見つめるものの、フィンの表情は真剣そのものだった。
「投げてみて」
「え、あ、はい……」
戸惑いながらもミアは言われたとおりに石を投げることにした。修道女の生活では、ほとんど物を投げるということがない。手に持った石をできるだけ遠くに飛ばそうと全力で投げつけられた石は、ほぼ真上に放たれるとすぐに失速し、ミアの足元に落下した。
二人はしばらく言葉を失った。
「届かないな」
「……そうですね」
あまりの結果にミアは現実を受け入れられていないらしい。どこか他人事のように死んだ目のまま呟いた。
「いろいろと、力みすぎなんだよな」
フィンは苦笑した。
運動だけでなく武術や芸事、料理からその他全般にいたるまで、熟練するとは、必要な動作以外の余計な力を抜くことであるとフィンは信じている。
無駄な緊張は、正しい動作を阻害する要因でしかない。
どうしたものかとフィンが頭をかいていたところ、
「さっきからなにやってんだ?」
ノーマが怪訝そうに顔をしかめながら声をかけてきた。振り返るとノーマだけでなく、ルーファスやモイラ、そしてテオドーラもが不思議そうにフィンたちを見つめていることに気がついた。
それだけではない。孤児たちはもちろん、ジーン、ダーシー、ナタリアも興味深げにフィンたちの様子を伺っている。
もはや誤魔化すまでもあるまい。
フィンは意を決し、ミアに許可を取った上で、皆に詳細を伝えはじめた。
フィンの燐光と同じく、ミアは神の恩恵によって黒い糸塊を生み出せること。その黒い塊は取り憑いたものにミアの意志を付与することができるということ。そしてそのきっかけが暴力への憎しみだったため、黒躯は剣や槍などで武装した者を敵と認定し、動けるかぎり襲いつづけるということ。さらに、当初は感情のたかぶりによってのみ黒塊を生み出していたが、フィンとの訓練の結果、ある程度は自在に生み出せるようになったということも付け加えた。
一方で、恩恵を与えた神が転生神であること、ミアとフィンが転生者であることについては、あえて触れなかった。
「つまり、黒塊を門塔の上に投げ込むことで、塔の上に黒躯を発生させようとしているってわけ」
「なるほど」
話を聞いていたルーファスは頷いた。
ノーマは難しそうに眉間にしわをよせながら聞いていたが、フィンの説明が終わると呆れたように言い放った。
「それ、本当に恩恵なのか? 聞いてると呪いとしか考えらんねーんだけど?」
ナタリアの隣で壁に寄りかかりながら話を聞いていたダーシーも強く頷いている。
その言葉を聞いたミアは、悲しそうに眉を寄せて、わずかにうつむいた。
「それは、黒躯以外も生み出せるのか?」
ナタリアが真剣な表情で問いかける。威圧感のある声色が、幼く見られがちな魔法使いをようやく年相応の雰囲気へと戻していた。
若干緊張しながらミアは「はい」と答える。
「黒躯を消すように念じたときは、黒い塊を消滅させる塊を生み出すことができました。おそらくは他にもいろいろできると思います」
ナタリアは目線を落とし、なにやら考え込んでいたようだったが、やがてにやりと笑うと
「いいね」
不気味なくらいにこやかに笑った。
ノーマは肩をすくめながら、めんどくさそうに顔をしかめた。
「それでどうするんだ?」
ルーファスが尋ねる。
フィンは頭を掻きつつ、
「それが、どうにも塔の上まで届かなさそうなんだよね」
ミアに視線を向ける。
ミアは恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めて、視線から逃れるかのようにうつむいてしまった。
「任せてくれ。私なら容易に届く」
話を聞いていたモイラが落ち着いた口調で助力を申し出る。その口ぶりには一切の誇張や虚栄心、希望的観測は含まれず、文字通り「できる」のだろう。
だが、フィンは首を横に振った。
「モイラさんの気持ちは嬉しいけど、でもダメなんだ。黒躯のもとになる塊はミアしか触れることができない」
ナタリアがその言葉を継いで言った。
「他の人間だと黒躯になっちゃうってことか」
ミアは申し訳なさそうに頷いた。
その時、それまで黙って話を聞いていたダーシーが、不思議そうに口を挟んできた。
「その黒い汚泥だけど……孤児院で傭兵がブーツで蹴り飛ばしていたよね?」
全員が顔を見合わせた。
「それだ!」
ミアは緊張の面持ちで皆の前に立つと、自らを必死に落ち着かせるかのように深呼吸を繰り返した。
「ミア、頼んだよ!」
そんな修道女の緊張をほぐそうとしているのか、孤児院の子どもたちが賑やかに声援を送る。布に包まれたゴブリンの少女も興奮しているのか、なにやら声を漏らしながら繰り返し地面を飛び跳ねている。
ミアは硬い表情をわずかに緩めると、子どもたちに微笑み返した。
「用意はいいか?」
少し離れて正面に立つモイラが、身体をほぐすように動かしながらミアに問いかけた。いつも肌身離さず抱えているグレイブは、さすがにノーマに預け、その身軽さからいつも以上に手足が長く、たくましくみえる。
ミアは頷いた。
「いきます」
ミアは大きく息を吐いた。
背中を少し丸めて手元を見つめると、一気に意識を集中させる。フィンから教わったとおり、無数の魂糸が内部から溢れ出してくるようなイメージを思い描く。すぐにミアの額にある浅黒い痣が光を宿し、たちまちのうちにその光は眩しいくらいに輝きを強めていく。
両掌のあいだに違和感が生まれる。その違和感はミアの体内のいたるところに存在するざらざらとした異質な不快感と連動して、次第に大きく膨れ上がっていき、やがて小ぶりな黒い汚泥を両掌の間に生み出した。
ミアは顔を上げ、モイラに視線を向ける。
視線が交差し、互いに頷き合うと、ミアは黒い塊をモイラに向けて放り出した。
「お願いします!」
「任せろ」
放り投げられた黒塊めがけてモイラは気合いとともに、その長い脚を振り上げる。全身をしならせて放たれた鞭のような蹴りが、その黒い泥のような塊に炸裂する。あまりにも強烈な一撃は、せっかくの黒塊すらも弾け飛ばしてしまうのではないかと心配にさせるものだったが、黒塊はモイラの履いたブーツの形に押し潰されたまま、消滅することなく天高く打ち上げられた。
黒塊は瞬時に頂点へ達し、やがて角度のきつい放物線を描き、落下を始めた。
その落下地点は、領主たちが立て篭もるヴィード門塔の上ではなく、それよりも少し手前の、赤錆の大鴉団の傭兵たちが戦う、その頭上であった。
「まずい」
モイラが整った顔を歪めた。
思ったよりも黒塊が軽く、高く打ち上げすぎたらしい。そのため落下地点が想定よりも手前になってしまったようだ。
見守っていたノーマも、黒塊が領主のいる門楼に届かないことに気づき、忌々しげに舌打ちする。
「……間に合うか……?」
慌てて背負っていた長弓を下ろし、矢をつがえて撃ち落とそうとするが、さすがに間に合いそうにない。
「傭兵の皆さんが……!」
ミアは両手で口元を覆い、絶句する。
ジーンも舌打ちしながら、とりあえずヴィード門前に駆け寄ろうと走り出した。




