第93話 決着
その様子を見ていたレティシアは興奮した様子で叫んだ。
「ノーマ、見てるか! あいつらがやったぞ!」
そして右手を高々と掲げた。
その合図をノーマの”鷹の目”は見逃さなかった。
後方でじっと広場の様子を注視していたノーマが、弓を手に待機していた部下たちに向かって吠える。
「魔法が消えた! 一斉射撃だ! 矢が尽きるまで休むんじゃねぇぞ!」
それまでは防御魔法のために出番のなかった部下たちは、ノーマの声に興奮したような歓声をあげ、訓練された挙動で弓を構え、矢をつがえる。
次第に明るくなっていく空は、致命的な夜盲を抱えるノーマにも十分な視野を与えていた。
ふとノーマは真後ろに控えるテオドーラの顔を覗き見た。いまだ父であるクローヴィスⅡ世に抗うことを疑わない純粋無垢な表情。均整の取れた端正な顔立ちが、否応なく血のつながりを感じさせる。
「大丈夫……ですか?」
訊いてもなにも変わらないのに、つい気遣いの言葉をかけてしまう。テオドーラは気づかなかったのか、優雅に微笑むと「問題ありません。ありがとうございます」と答えた。
屋根の上という伯爵令嬢が本来なら一生登ることもないはずの場所にいること自体が、テオドーラにとっては非日常なのだろう。
「それならよかったです」
ノーマは曖昧に笑って誤魔化した。
そして重い気持ちを振り払うかのように表情を引き締めると、ノーマは大声で叫んだ。
「射て!」
その声を合図に、部下たちが一斉に矢を放つ。それまで耐えた鬱憤を晴らすかのごとく鍛え抜かれた技量で矢継ぎ早に放たれた矢は、広場の上を黒く染め、一気にヴィード門塔に襲いかかった。
悲鳴を上げて逃げ惑う塔の上の騎士たち。
領主はうずくまり、従者の盾に周囲を守られながら、豪雨のように降り注ぐ矢を耐え凌ぐ。
守る手段を持たないものから次々に倒れていき、つづいて運に見放された者も命を散らしていく。門塔の上だけでなく、その周囲にいた兵も含め、領主軍の兵士たちは大きくその数を減らした。
ようやく斉射が終わり、領主は恐る恐るその顔を上げる。
そして周囲で絶命する家令ブルーノをはじめとする側近たちの無惨な姿を確認すると、顔を真っ赤に染めた。
「娘! お前さえいなければ‼︎」
領主は呪詛の言葉を吐き捨てる。
市壁の外に待機させていた軍勢もすでにナタリアの星墜としによって壊滅状態となっている。市壁の内外で攻めるべき手勢を失った領主は、忌々しげに目の前の石壁を殴った。ふっくらとした真っ白な肌がすぐに赤く腫れあがり、擦り傷からは血が滲む。それを見た領主はふたたび大声で喚き散らした。
レティシアは手を掲げると、あらかじめ取り決めていた所作によってノーマに射撃を止めるように伝えると、つづけて傭兵たちに向かって声を張り上げる。
「ルーファスの部隊以外の大隊はすべて門外に進め! 残党を一気に制圧するぞ!」
その声に傭兵たちは「おお!」と勇ましく応じる。広場の制圧をルーファス、そしてモイラに委ねたレティシアの指揮の下、赤錆の大鴉団の傭兵たちはヴィード門下にいた兵士たちを排除すると、跳ね橋を渡って市外へと進撃した。
市民たちも傭兵団のあとにつづき、ヴィード門を通り抜ける。念願だった炎と黒い死体からの避難だったが、彼らは門を抜けてすぐに言葉を失うこととなった。
経済発展を続けるザイオンの市民たちの胃袋を支える広大な農耕地だった場所は、すっかり荒れ果てていた。まるでなにか強大な力を持った存在が戯れに掘り返したかのように大きく大地がえぐられ、周囲には焼き爛れた兵士たちの肉片や焦げた木片や土くれなどが撒き散らされていた。
あまりの惨劇に市民たちは呆然と立ち尽くす。
トレビュシェットと呼ばれていた投擲兵器は見る影もない。
改めて「星読み」と呼ばれた赤錆の大鴉団の魔術師の恐ろしさを知る。
自然と言葉数少なくなった市民たちは、案内役の傭兵に従い、郊外の安全な場所まで避難した。
ルーファスは、モイラに支えられながら起き上がると、分隊長を呼び、広場内に残った残党の一掃を命じる。
広場からヴィード門に向けて避難のための移動を続ける市民のあいだを、領主軍の兵士たちが必死に逃げ惑う。それを追う傭兵団の団員たちの姿を眺めながら、ルーファスはようやくため息をついた。
その背後にはミアたちが地面に座り込み、互いの無事を喜び合っている。
避難のめどが立ったいま、わざわざルーファスやモイラに守られたミアや孤児院の子どもたちを傷つけようとする市民の姿もない。
ミアは子どもたち一人ひとりに声をかけながら、その顔についた泥や埃を丁寧に布きれで拭い取る。子どもたちも危機が去ったことを理解しているのか、安心したようにミアと顔を見合わせながら、無邪気な笑顔を漏らした。
ふと、隣でダーシーに支えられるフィンと目が合う。激闘を交わした二人は揃って仲間に肩を借りている状態であった。
ルーファスは微笑む。
「してやられたな」
「……なんかごめん」
フィンは申し訳なさそうに顔を歪めた。
ルーファスはおおらかに笑った。
「気にするな、これも勝負だ。俺も本気でやったからな。お互いに生きているだけマシだろう」
それは下手をしたらフィンが殺されていたということだろう。ダーシーは剣呑な目つきで隣にいる英雄を睨みつけた。
ルーファスは、モイラに体重を預けながら身体の向きを変えると、ヴィード門塔を見上げた。
塔の上には、いまだに領主とその側近がおり、上から瓦礫を投げつけたり、弓を射かけたりしながら必死の抵抗を続けている。塔の内部にある屋上に通じる螺旋階段も瓦礫などで封鎖したらしく、攻めあぐねた傭兵たちが汚く罵りながら石を投げつけていた。
クローヴィスⅡ世は、そんな状況であっても傭兵たちを汚物のように毛嫌いし、傭兵たちの下品な言葉にいちいち激昂しては反論を続ける。その度に側近に頭を押さえつけられ、飛んでくる石つぶてから身を守るため胸壁の陰に押し込まれた。
貴族らしい威厳など、もはやどこにもない。
表情も変えずにその光景を眺めるルーファスの背後から、弓隊を率いていたはずのノーマが声をかけた。
「あとは、あいつらだけか?」
相変わらず白い肌を惜しげもなく露出する格好のノーマの後ろには、伯爵令嬢にふさわしい豪華な衣服を身に纏い、にこやかに微笑むテオドーラの姿もあった。
ルーファスはうなずくと、逆にノーマに尋ねる。
「ノーマ。後方はどんな様子だ?」
「レティたちが途中途中でバリケードを築いてくれたおかげか、まだ黒い死体が追いかけてくる気配はない。ただ、部下たちには、やつらの姿が見え次第、攻撃するように指示は出しておいた」
「わかった」
ルーファスはふたたびうなずく。
ノーマも真っ赤な唇にふんわりと笑みを浮かべながら、うなずき返した。ルーファスがモイラの肩を借りて立っていることについては、なにも尋ねない。彼女の持つ驚異的な視力で事の一部始終を見ていたのだろう。なにも聞かない代わりに、ノーマは、傭兵団長となったルーファスのたくましい背中に手を伸ばし、いたわるように軽くぽんぽんと叩いた。
姉と慕う古い仲間の気遣いにルーファスもそっと微笑む。
だが、ノーマはそんなルーファスの様子には気づかないそぶりのまま、門塔の上に視線を向けた。
「それで、あの御仁は、どうするつもりなんだろうな?」
狭い門塔の上の通路には、わずかな側近だけしか残っていない。
それでもクローヴィスⅡ世は、美丈夫卿と呼ばれていたときと同じだけの尊大さをもって、傭兵たちを罵りつづけている。かつては神話の世界から抜け出したかのようだと称えられていた美貌も、すっかり見る陰なく、そこにいるのは、口角には細かい泡をためながら髪を振り乱して怒り狂う、年老いた痩せっぽちの悲しい男の姿だった。
テオドーラは父親の変わり果てた姿に悲鳴に似た声を漏らすと、両手で顔を覆った。
「……お父様」
その震える小さな肩をノーマが優しく抱きしめた。まるで赤子をなだめるかのように、なにも言わずにその背中を何度も優しく叩く。
テオドーラはたまらず涙をこぼしながら、言葉もなく何度も頷いた。
「とはいえ、長期戦になりそうだな」
ルーファスは頭をかいた。
市壁の外で繰り広げられている市外戦では、ナタリアの星墜としによって壊滅状態になった領主軍に対して、レティシア率いる傭兵団の主力部隊が圧倒し、ほぼ勝敗は決している。広場内も同様で、もはや領主軍は逃げ惑うだけだ。
唯一、領主が立て篭もる門塔のみが守りも硬く、一進一退の状況となっていた。
「どうだ?」
状況を尋ねるルーファスに対し、中隊長を務める傭兵は首を横に振る。
「ダメですわ。門塔に登るための扉の向こうには騎士ジェラールがいて、やつら死に物狂いで守ってます。狭いんでこちらも攻めあぐねてます」
「ジェラール卿か。それは手強いな。わかった」
ルーファスは中隊長を労いつつ、手を緩めず攻めつづけるよう伝えた。
門塔の壁を破壊できれば、敵は寡兵、殲滅するのも容易い。
だが、防御のためひ築かれた石造りの強固な壁を破壊する手段は、赤錆の大鴉団にはない。
ルーファスは、ふとナタリアの姿を見た。
星を堕とすという偉業を成し遂げた魔術師は、すべての力を使い果たしたかのように地べたにそのまま座り込み、崩れかけた民家の壁に寄りかかりながら身体を休めている。
その隣にはフィンも座り込み、そんな二人の前に立つダーシーとジーンと、にこやかに談笑を交わしている。
すぐ近くでは孤児院の修道女と子どもたちがお互いに寄り添うようにしながら身体を休めていた。無理もない。ザイオン市内から避難するためにずっと歩き通しで、子どもたちもろくに寝ていない。フードをかぶり寝息を立てる子どもたちを愛しむようにミアが見守っていた。




