第92話 星読みのナタリア
そのとき、頭上からしわがれた怒声が降ってくる。
「ルーファス! なにをしている! 立て! その娘を――悪魔の使いを捕らえよ‼︎」
領主だった。
激しい怒りに我を忘れ、髪を振り乱しながら叫びつづけるその姿には、美丈夫卿とあだ名された高貴な風貌や人心を惑わす振舞いなど見る影もなかった。
ルーファスは上半身のみ起き上がると、塔の上から覗き込む美丈夫卿と呼ばれていた男に笑顔を向ける。
「悪かったな。負けた」
そのふてぶてしい態度に、領主の怒りがさらに燃え上がる。
「もう良い! われらでやる!」
激昂する領主の命にて傍らに控える家令ブルーノが騎士たちに向けて「全軍突撃!」と叫ぶ。
その声に応じて、閉じられていたヴィード門が開き、市外に待機していた領主軍が一斉に突入してきた。
押し寄せる兵士たちの雄叫びと大地を踏み締める激しい地響きに、広場に居合わせた市民たちの顔色が変わる。
トレビュシェットとは異なる危機を察した市民たちは、悲鳴とともにヴィード門の周囲から離れていく。
レティシアも手早く指示を出し、傭兵たちをまとめ直すと、進撃する領主軍を迎え撃つべくヴィード門へと詰め寄っていく。
モイラは倒れたルーファスを助け起こすと、傍らに立つフィンたちにも「ここから離れるぞ!」と鋭く声をかけた。
フィン、そしてフィンに肩を貸すダーシーは大きく頷くと、ルーファスを軽々と抱きかかえたモイラのあとを追って駆け出す。
ダーシーはふと気づいたように振り向くと、ミアと孤児たちに向かって大声を張り上げた。
「あなたたちも付いてきて!」
一瞬、戸惑ったような表情を浮かべたミアだったが、すぐに子どもたちを率いてモイラのあとに従った。
すでに乱戦が始まっている広場の中央から少し離れ、トレビュシェットから放たれた岩によって崩れ落ちた民家の陰にたどり着くと、モイラはルーファスの身体を丁重に地面に下ろした。
「今日はモイラに助けられてばかりだな。ありがとう」
モイラは黙って首を横に振る。
広場では、傭兵たちと交戦する領主軍の兵士たちに向けて、後方にいるノーマたちの弓矢が襲いかかる。放たれた矢の多くは、ヴィード門一帯にかけられた防御魔法に阻まれたが、それでも領主軍の足を止めることには成功し、両軍は広場の中央を挟んで睨みあう形となった。
「なにをしておる! 進め!」
ヴィード門の上から領主が怒鳴り散らす。
業を煮やしたクローヴィス卿は、傍らにいる家令になにごとかを告げると、家令は神妙な顔つきで頷き、門外に向かって手を挙げる。すぐさま市外から引き絞られた弦が弾けるような轟音が連続して聞こえてきた。
「トレビュシェットだ! 全員警戒‼︎」
レティシアが大声で叫ぶ。
傭兵たちは、すかさず上空を見上げ、破壊力を帯びた岩石が姿を見せるのを待ち構えた。
少し前までは、煌めく星以外は漆黒に染まっていた夜空は、遠い空の向こうから白みはじめている。空に放たれた無数の岩は、夜明け前の濃い紺色めいた夜空のなかに、ぼんやりとその姿を浮かび上がらせる。
レティシアがふたたび叫ぶ。
「退避!」
軌道を見極め、落下地点と思しき場所にいた傭兵たちは、それぞれの小隊長の指示で一斉に移動する。それでも大小さまざまな石塊に頭を打たれ、負傷したり昏倒したりする者が出てくる。
さらにその隙を突くように領主軍が攻撃を仕掛けてきた。
傭兵団はすばやく態勢を立て直し、槍を手に攻めてくる兵士たちに立ち向かうものの、いつ襲ってくるかわからぬトレビュシェットへの恐怖もあり、思う存分に戦えない不満が傭兵たちの剣を鈍らせる。
レティシアは舌打ちした。
「……しかたないなぁ……」
不意にナタリアが大声を出した。
一緒にいたフィンやダーシーは驚いて、その童顔をまじまじと見つめてしまう。
ナタリアはわざとらしく顔をしかめると、忌々しげにつぶやいた。
「一発、ぶち込みますかー」
気だるそうに身体を伸ばすと、渋々といった足取りで広場の中央へと歩いていく。
「あたし、これで本当の本当に最後なんで、あとはよろしく」
濃い灰色のローブを着たナタリアは、半眼になると、魔法使いにも関わらず杖を持たない自身の指先を凝視しつつ、一心不乱に複雑な呪文を唱えはじめる。
その抑揚にあわせて、丸みを帯びた小さな指が器用に動き、複雑に絡み合いながら意味ありげな形を次々と生み出していく。
そして、一呼吸を起き、聞き取りにくい発音の単語を強い口調で吐き捨てるように叫ぶと、その両手を高く天に掲げた。
「——雲が!」
ダーシーが叫んだ。
明るくなりはじめていた夜明け前の空に、突如として暗雲が湧き起こり、ふたたびヴィード門一帯は暗闇に包まれた。続けて空には稲光が鳴り響き、その雷光が広場に集まった市民や騎士、傭兵たちの不安そうな顔を断続的に浮かび上がらせる。
「ダーシー。これって、もしかして雷撃の呪文?」
フィンは、コルト村で盗賊相手に使った招雷の巻物を思い出し、隣で自分に肩を貸してくれている幼馴染に尋ねた。
だが、ダーシーは興奮した面持ちのまま、首を横に振った。
「違う。でもようやくわかった。あのスクロールもナタリア先生が書いたものだったんだ」
フィンを見つめるダーシーの瞳が、空を切り裂く稲光を受けて、キラキラと光る。
「凄いよ、フィン。あの招雷のスクロールは、この呪文の術式を応用して改良されてたんだ。だから、あんなに威力があったんだ。フィン。ナタリア先生は凄いよ!」
涙を浮かべながらダーシーは早口でまくしたてる。
「しっかり目に焼きつけておいて。これが星読みのナタリアだよ!」
ダーシーは感極まったように言った。
空を覆う漆黒の雲は常にその動きを止めず、激しくうねりながら渦を巻きはじめる。次第に雲はその高度を上げていき、ザイオンの上空すべてを雲で覆い尽した。
そして一瞬だけ、その動きが緩やかになる。
直後、耳をつんざくような轟音が大地を揺らし、空が真っ赤に光った。
そして、激しく波打つ赤い雲を突き破り、複数の燃える隕石が姿を見せた。
トレビュシェットの放つ岩石とは比べ物にならないほど大きな隕石は、炎を撒き散らしながら天からヴィード門外にある平野へと突き刺さっていく。
その激しい破壊力は、市外にいた領主軍の兵士やトレビュシェットを巻き込みつつ、大爆発を起こす。市壁内からでも見えるほど高く噴き上がつた炎と大地を伝わる激しい揺れ、そしてその轟音によって、とてつもない惨劇が繰り広げられていることは容易に想像できた。
ヴィード門の塔の上から、その光景を目の当たりにした領主は、顔を引き攣らせながら「……星墜とし」とつぶやいた。
市壁にさえぎられて状況を知る由もないが、その爆発の規模からも、市外の平野だった場所は表土が深くえぐれ、いたるところに大穴が開いているはずである。おそらくトレビュシェットも無事ではないだろう。
ナタリアはその威力に満足そうに微笑むと、そのまま力が抜けたように膝から崩れ落ちた。その身体をいつのまにか背後にまわりこんでいたレティシアが支える。
「お疲れ様でした。さすが星読みのナタリア」
「……なんだよ、気持ち悪いな。いままでの減らず口はどこ行ったんだ?」
疲労で満足に目も開かない様子ながら、ナタリアはからかうように言う。
レティシアは少し笑って、
「何を言われてもこれだけは言いますよ。あなたは偉大な魔法使いです」
「ありがとう」
ナタリアも笑う。そして、
「でもね、本当に偉大な魔法使いってのは、派手なことはできなくても、いろんな呪文でいろんな人を助けてあげられて、いろんな思いや願いなんてのを叶えてあげられる――あの娘みたいな存在を言うんだろうね」
そう言って笑う視線の先には、フィンを支えながら師匠の偉業に破顔するダーシーの姿があった。
「まあ、あたしは天才だけどね」
ナタリアはそう付け加えることも忘れなかった。
「あれ、そういえばジーンは?」
フィンが、ナタリアの無茶苦茶な魔法について軽口を叩こうとしたとき、その相手になるはずのジーンが隣にいないことに気がついた。
ダーシーも「そういえば」と言いながら周囲を見渡すが、いつも笑っている金髪のお調子者の姿はどこにもなかった。
「どこ行ったんだ?」
フィンがつぶやいたそのとき、門塔の上から、領主の傍らにいたはずの魔術ギルドの幹部が、くぐもった苦悶の声とともに広場へと落下した。
どさりという無慈悲な音とともに魔術師だった肉体は、その動きを止める。
見ると、その首元は一直線にきれいに裂かれ、絶命した今でも勢い良く血を吹き出しつづけている。
魔術師がいたはずの場所には、短剣を手にしたジーンの姿があった。
魔術師から浴びせられた返り血で汚れた顔を左手で乱雑に拭い、落下した魔術師の様子を確かめるように胸壁越しに門の下を覗き込む。
不意に現れた曲者の姿に、領主や他の騎士たちは言葉を失った。
「何者だ!」
武装した騎士たちが領主を守りながら、ジリジリと近づいてくる。ジーンはすぐに身を翻すと、屋上からひらりと飛び降りた。
いつの間にか塔の壁にある金具にロープを結びつけておいたようで、器用にロープをつたいながら地上へと降りてくる。
最後、激昂した騎士によってロープを断ち切られ、支えを失ったジーンはロープごと地面に落下したが、さほど高くもなかったこともあり、ジーンは転がりながら着地すると、顔を上げて、満面の笑顔とともにフィンに親指を立てて見せた。
「やったぜ」
疲れ切っていたフィンも、その無邪気な振る舞いに思わず笑顔で親指を立て返してしまう。
そして魔術ギルドの幹部の死とともに、ヴィード門を守っていた防御魔法は消滅した。




