第90話 再戦
フィンはそれぞれ頭上と腰の高さで双剣を構え、軽く腰を落としてルーファスを睨みつけた。
いわゆる騎士の剣術でいうところの天地の構えだ。
対するルーファスは、スッと背筋を伸ばした姿勢で両腕を自然に伸ばし、切先をフィンの喉元に向けるように長剣を構える。余計な力みの抜けたルーファスの構えは一切の隙がなく、元々の体格の良さも相俟って、まるで巨大な岸壁に向き合ったときのような絶望感をもたらしている。
フィンは気づけば浅くなる呼吸を必死に整えながら、自らを落ち着かせた。
フィンもただの素人ではない。
一定の腕前があるからこそ、対峙する現在のルーファスとの実力差を肌で感じることができた。
これは勝てない。
フィンは大きく息を吐く。
襲いかかってくる絶望のようなものを呼吸とともに脳内から追い払おうとした。
片やルーファスは正面に身構えたまま、いつもながらの起伏に乏しい表情でフィンを見つめつづける。
ふたりは向かい合ったまま、微動だにせず互いの様子をうかがいつづけた。
フィンに勝ち目があるとすれば、動きのなかで生まれうる一瞬の隙を突くことくらいである。
だが、ルーファスにはそれがわかっているのだろう、自ら動こうとはしない。
先に仕掛けた方により隙が生まれやすいのは、戦いの定石である。だからこそフィンも動けずにいた。しかしいつまでも見つめあっているわけにもいかない。
ならば、こちらから仕掛けて動かすだけだ。
フィンは意を決して、鼻から大きく息を吸い込むと、その塊を腹の底まで一気に落とし込む。
過限駆動が発動する。
瞬時に世界は変化を忘れたかのような緩慢なものへと姿を変える。
フィンは地面を踏み込み、一気に駆け出した。
実際のところ、過限駆動は、世界の時間を遅延する異能ではない。
使用者の時間経過のみを加速させる異能である。
もしも、ずっと発動させれば、あっという間にフィンは年を取っていくだろう。
相対的にゆっくりと進む時間のなか、素早くルーファスの背後に回り込んだフィンは、ルーファスの腕めがけて小剣を振るう。
ようやく再会できた親友の生まれ変わりである。さきほどまでの良好な関係性もあって、さすがに命を奪うような致命傷を与える気にはならなかった。
腕を傷つけることで剣を握れなくしてしまえばいい。
そう思っての一撃だった。
だが、ルーファスは器用に肘を曲げて長剣の向きを変え、通常ならば反応できるはずのないフィンの攻撃をその剣身で受け止めてしまう。
フィンは息を呑んだ。
四年前にコルト村で初めて出会ったときもそうだった。異能で加速されたフィンの攻撃を、ルーファスはまるでどこに攻撃が来るのかを予期していたかのように連続で防ぐことができていた。
おかしい。
本来ならありえないことだ。
フィンは、弾かれた小剣の勢いを利用して、くるりと身体を回転させると、遠心力を乗せた一撃をルーファスの背中に叩きつけようとする。
その刹那、ルーファスは一歩前に踏み込み、フィンの攻撃をかわしながら長剣を伸ばしてくる。
その剣の動きはけっして速いものではないが、フィン自身の加速もあって、当たればただでは済まないだろう。
フィンは慌てて膝の力を抜き、体重をすとんと落とすことで自身の回転を止める。そのまま一気に後方へと飛びすさり、ルーファスの長剣の届く範囲から身を遠ざけた。
なんなんだ?
フィンは改めてルーファスの底知れぬ能力に驚愕した。
コルト村を出て以来、過限駆動での攻撃を避けられたことはもちろん、攻撃されるなんてことはなかった。
おそらくはルーファスの異能もしくは恩恵によるものだろう。
以前、一撃を加えたこともある以上、絶対的に攻撃を喰らわないみたいな回避系の異能ではないはずである。
だとすれば、フィンのように時間や速度に関するものか、あるいは単純に戦闘能力を底上げするものだろう。
フィンは、いまにも暴発しそうな肺を必死に制しながら、異能を維持する呼吸をつづけた。
そこに突如ルーファスが一気に間合いを詰めてくると、気合一閃、頭上から剣を振り下ろしてくる。
その動きはいまのフィンにとっては、さほど速いものでもなかったが、予備動作の少ない動きに少し慌てながら右剣を掲げて真上から振り下ろされる長剣を受け止める。
「⁉︎」
そのまま角度をつけて斬撃を受け流すつもりだったが、ルーファスの想像を超える膂力に押しつぶされそうになる。
フィンは動揺しながら、咄嗟に身体をひねると回転力を用いてルーファスの長剣の下から抜け出す。そして、そのまま左剣をルーファスの背中めがけて叩きつけようとした。
だが、すかさず斬り上げてくるルーファスの動きにフィンは舌打ちとともに攻撃を取りやめ、素早く後方へと飛び退る。
乱れようとする呼吸をなんとか整えながら、フィンは改めてルーファスの強さに畏怖した。
過限駆動は、まだ継続している。
明らかにフィンとルーファスでは、その生息している速度帯は違うはずなのだ。
なぜ、こんなにも反応できる?
まだこの世界で幼少期を送っていた頃、剣術の師であるエリックにも通じなかった記憶があるが、それは明らかに圧倒的な実力差によるものだろう。
もしかして、ルーファスともそれくらい差があるということか?
あながちありえないともいえない仮説にフィンは吐き気を催す。
過限駆動による身体への負荷もそろそろ限界であった。
すばやく距離を取り、異能を解除する。
途端に全身の血液が沸騰したかのように身体中が熱くなり、心臓の鼓動に応じて全身が激しく拍動する。肺はその機能を失ったかのように必死に酸素を求める。痙攣する胃に任せて、フィンは地面に胃液をぶちまけた。
しばらく食事も取れていないため、泡立った胃液しか出てこない。
全身の痛みに顔をしかめながら、フィンは身体を起こすと、ルーファスに向き直る。
「大丈夫か?」
ルーファスはそんなフィンの様子を気づかう。
フィンは真顔でうなずいた。
「異能の反動だ。問題ない」
口元についた胃液を手の甲で拭いながら答える。
「そうか」
そう言うとルーファスは、ふたたび長剣をまっすぐ構えた。
フィンも苦笑いを浮かべながら、双剣を腰の高さで構える。
しばらく異能は使えないだろう。
フィンは痛みや不快感を黙殺しながら、まっすぐルーファスを見つめる。
ふっ
と、フィンが息を吐いたその瞬間、ルーファスが滑るように距離を詰めてきた。肩にかつぐように振り上げた長剣を気合いとともに叩きつけてくる。
ふたたび意表をつかれたフィンは、重ねた双剣でその攻撃を受け止める。当然、体格と膂力の差によってフィンは身体ごと吹き飛ばされた。
かろうじて転ぶことなく着地したフィンだったが、その体勢を立て直すよりも先に、追撃のために駆け寄ってくるルーファスの姿に気がつくと、ためらいなく前方に転がった。
横薙ぎに払われたルーファスの長剣は、空を切る。そこに身体を起こしたフィンの手裏剣が二発撃ち込まれた。
ルーファスはすかさず身体の向きを直すと、太陽を模した剣の柄頭で、二発の手裏剣を打ち落とす。
そしてそのまま踏み込んでくると、大きく振りかぶった姿勢から渾身の一撃を叩きつけてくる。
「……くっ」
無駄な力みや緊張を抜くことで、全身の動きを巧みに連動させた理想的な撃ち下ろしだった。フィンは避けきれず、双剣を重ねてその衝撃を受け止める。
押しつぶされそうになりながらも、なんとか耐えたフィンだったが、その脇腹にルーファスの爪先がめり込んだ。
「ぐはっ」
フィンは一気に息を吐き出すと、地面に崩れ落ちてのたうち回る。鎖帷子に守られているだけの肋骨は、あっけなく折れてしまったようである。
呼吸のたびに響く痛みに耐えながら、フィンはなんとか身体を起こす。
「どうした? そんなもんじゃないだろ」
油断なく身構えながら低い声で問いかけてくるルーファスに対してフィンは不敵に笑って見せる。
「あたりまえだ。焦るなよ」
立ち上がると、ふぅっと大きく息を吐いた。
鼻から吸った酸素をすばやく肺に満たすと、一気に口から吐き出す。その呼吸をすばやく何度も繰り返した。
転生前に武術の師である山村七海から教わったシステマの呼吸のうち「バースト・ブリージング」と呼ばれる呼吸法である。呼吸のたびに肋骨には激痛が走るが、その痛みすらも息に乗せて吐き捨てるかのごとく、無心で呼吸をくり返した。
見たこともない動作にルーファスは顔を輝かせる。
「なんだそれは? 魔法か?」
「システマだ」
フィンは細かい説明を放棄して、ただ流派の名称のみを告げる。
ひたすらの呼吸法によって、無意識のうちにフィンの行動を制限していた痛みもやわらぎ、戦いへの集中力がよみがえる。
少し身体を動かしながらも呼吸法をつづけ、動作の途中に生じる違和感のようなものも呼吸に溶かし込んでいく。
次第にキレを取り戻していくフィンの姿に、ルーファスは嬉しそうに「へえ」と声を上げた。
「さて。行くよ?」
「それでこそフィンだ。かかってこい」
異能を発動させる呼吸とは異なるシステマのゆったりとした呼吸をくり返しながら、フィンは身構えた。
ルーファスも満面の笑みで迎え撃つ構えをとる。
剣の柄を握った両拳を右肩のあたりに据え、真っ直ぐ伸ばした剣先をフィンに向けた。
――霞かよ。
フィンは心の中で笑う。
前世では霞と呼ばれていた構えが、この世界の剣術では雄牛の構えと呼ばれている。
こちらの世界で新たに学んだものか。それとも転生前の記憶が自然と取らせたものか。
フィンは昂る感情を抑えきれず、ほくそ笑んでしまう。
それは、二人の戦いを見守る他の者たちにとって、とても不気味な光景に受け止められた。
「フィンのやつ、笑ってるぜ」
ジーンが呆れたように言った。
明らかな劣勢。
仲間たちのなかでも単純な戦闘力でいえば一番強いフィンが、ほぼ一方的に防戦を強いられている。
どんな化け物だよ!
ジーンは胸のなかで叫びながら、舌打ちを漏らす。自身が代わりに対峙したとしても勝てる方策は見当たらなかった。
傍らに立つダーシーを見ると、フィンの幼馴染でもある年若い魔法使いは、沈痛な面持ちで強く唇を噛み締めていた。
そして、いよいよ耐えきれなくなったのか、杖を掲げながら一歩踏み出してフィンの名前を叫ぼうとしたところを、いつのまにか隣に寄り添っていたナタリアに優しく制される。
「……先生?」
ナタリアは、そっと首を横に振る。
「やめておけ。いまお前が手を出すと一騎打ちである意味がなくなってしまう」
「でも!」
反論しかけたダーシーの唇に、小柄な身体にふさわしい短い人差し指を押し当てると、ナタリアは笑みを浮かべた。
「あたしの優秀な弟子にひとつ問題を出そう。いまお前たちが戦っている相手は、誰だ?」
「……ルーファスさんです」
ナタリアは笑顔のまま小首を傾げた。
「そうかな? じゃあ別の聞き方をするけど、お前たちは最終的になにがしたいんだ?」
「なに……?」
ダーシーは師から言われた言葉を反復すると、しばらくわずかに唇を開いたまま固まってしまう。やがて、ハッとしたように答えた。
「孤児院の子どもたちと修道女、それだけでなく、すべての市民をこのザイオンから逃すことです!」
ナタリアは満足そうに微笑んだ。
「そうだ。よく考えろ。いま、お前たちが一騎打ちを妨げたら、領主の騎士たちはもちろん、孤児院のやつらを憎む市民たちまで襲いかかってくる。それが本当にお前の望むことなのか?」
「——違います」
ダーシーはもはや迷いない瞳ではっきりと言い切った。
「いいか、ダーシー、常に考えつづけろ。考えのない魔術師は、ただの道具だ」
そしてナタリアは、ダーシーの痩せた胸板を指先でこづいた。
「忘れるな。お前がめざすのは、このあたしだろ?」
「はい!」
歯切れの良い返事をすると、ふたたびダーシーは、たくさんの人々に囲まれながら、英雄と呼ばれる男に立ち向かう幼馴染の姿を祈るように見つめた。




