第89話 灼貌の英雄ルーファス
「おいおい、あいつら本気かよ?」
ジーンは声をひっくり返しながら、ミアの前へ飛び出し、子どもたちの盾になるように立ちはだかった。
「そもそも防御魔法のなかで、弓って使えるのか?」
「使えるよ。防御魔法は外からの攻撃を防ぐためのものだから。内からの攻撃にはなんの影響もない」
ジーンのなにげない疑問に、ダーシーがその隣に並びながら答える。
「ってことは、ここからなら俺たちも攻撃できるのか?」
「弓があればね」
「……弓はないなぁ」
ジーンは悔しそうに手にした短剣を見つめた。
領主のいるヴィード門の高さは、およそ3階建ての民家の屋根くらいの高さはある。さすがの熟練者のジーンであっても、その短剣を届かせることはできても、それだけで武装した騎士たちの命を奪うのは難しかった。
市民の前に立ちはだかっていたフィンも、ジーンの隣にやってくると、矢をつがえる騎士たちを睨みつけた。数本程度であれば剣で打ち落とすのも難しくはないが、それにも限度はある。
一縷の望みにかけてフィンは幼なじみの魔法使いに尋ねた。
「魔法で防げないか?」
「無理。防御魔法の内側では、ほとんどの魔法は無効化されちゃう」
ダーシーは優等生らしくはきはきと答えた。
「そうか」
フィンは苦笑とともに覚悟を決めた。
「早く射て‼︎」
怒り狂った領主に強いられ、高価そうな鎖帷子に身を包んだ騎士たちが、抵抗する術も知らない孤児たちに向けて、ためらいながらも矢を放つ。
ミアは顔をひきつらせ、大きく悲鳴をあげた。
またしてもミアを中心とした空間がドクンと鼓動を打つ。
そのとき背後にいたゴブリンの子がよろけるようにミアに身体を預けた。小さくて軽くて、そして柔らかなその感触に、ミアは瞬時にして正気を取り戻す。
怯えた表情から一転、決意を固めるとミアはゴブリンの子を強く抱きしめた。
フィンも騎士たちが矢を放つのを見るや否や、すばやく息を吸い込む。
過限駆動を起動すると、残像を捉えることも難しい無数の矢は、途端にその速度を落として、宙をなめらかに滑る姿と化す。子どもたちの前に陣取るフィンは、迫りくる矢の数々を片っ端から双剣で叩き落とした。
もちろんすべてひとりで対処できる量ではない。
フィンの手の及ばぬところでは、短剣を身構えたジーンが顔をひきつらせながら飛んでくる矢を一つひとつ打ち落としている。ジーンには「過限駆動」のような恩恵があるわけでもなく、高速で飛来する矢をすべて己の力量だけで打ち落とすのは至難の業であった。
「——しまった!」
いままでの連戦の疲労もあったのであろう。周囲を照らす松明の一瞬の揺らぎに矢を見失い、数本の矢がジーンの守りをすり抜け、孤児たちが身を寄せて怯える只中に向かっていく。
ダーシーも杖を振って打ち落とそうとするが、肉弾戦に不慣れな杖は届くはずもない。
「避けて!」
ダーシーは奇跡を引き起こさんとばかりに力強く叫んだ。
そのとき大きな影が舞った。
周囲を照らす松明の炎を剣身に反射させながら、飛んできた矢を一振りですべて切り落とす。松明の光を受けて燃え上がるように輝く赤髪が、まるで怒れる焔の化身のようであった。
「ルーファス!」
灼貌の英雄ルーファス。
揺らめく炎に姿を変える影のような変幻自在な俊敏さを見せたルーファスは、その堂々とした体躯を怒らせながら、身じろぎせず市門の上にいる領主たちを睨みつけている。
フィンは息を飲んだ。
市民のあいだからも、街の英雄がザイオンに混乱をもたらした元凶たる修道女を守ろうとする姿に動揺が走る。
「ルーーーファス‼︎」
怒号のような領主の声が、居合わせた市民たちの声を代弁した。
「なぜ、その者をかばい立てる!? そやつらはザイオンを破壊した悪魔ぞ!」
「だとしても、子どもに罪はない! ろくに調べもせず、無抵抗な幼な子に矢を射かけることこそ、悪魔の所業だろう!」
ルーファスは、大地を揺るがすような声で一喝した。その声に孤児たちはびくりと身を震わせる。
美丈夫卿は苛立たしそうに何度も胸壁に拳を打ち下ろす。
「ふざけるな! なにが子どもだ! 悪魔に子どもも大人もなかろう!」
二人はしばらく沈黙のまま睨みあう。
やがて領主は諦めたようにため息をついた。そして呆れた口調で告げる。
「わかった。では、その修道女だけを捕らえよ」
そう言うと美丈夫卿は、その瞳に従者が掲げる松明の炎を反射させながら眼光鋭くルーファスを睨みつけた。低音を響かせ、よく通る声で告げる。
「子どもでなければ、殺せるな?」
ルーファスは、眉間に皺を寄せながら、言葉なく塔の上の領主の姿を見つめていた。
領主の命令を耳にした市民たちからは「悪魔の遣いを捕えろ!」と領主に同調してルーファスを促す声があちらこちらから湧き起こる。
突然、駆け出したルーファスに呆れながらも、その後を追って歩み寄るレティシアは忌々しげに舌打ちする。
「……やられた」
市民たちの賛同の声が次第に高まるのに気を良くした美丈夫卿は重々しい口調で言い放った。
「その悪魔の使いを捕らえれば、門を開き、市民たちを逃がしてやる。だが、従わない場合……」
領主は手を掲げた。
わずかに間を置いてトレビュシェットの衝撃音が鳴り響き、火のついた藁とともに大きめの岩石が広場に放り込まれる。悲鳴とともに無数の市民が岩石に押しつぶされ、それを取り巻く友人、知人たちから嘆きの声が巻き起こった。
「悪魔の遣いを捕えろ!」
「修道女を殺せ! ルーファス!」
次第に高まる市民たちの怒号で広場は埋め尽くされた。
渦中の人であるミアは、涙を流しながら子どもたちを抱き寄せる。孤児たちも渦巻く憎悪に怯え、泣きながらミアの腕や腰にしがみついた。
ミアの断罪を求める声は次第に重なり合い、大きなうねりへと化していく。
市民たちの悪意に押しつぶされそうになりながらも、ダーシーはミアたちに寄り添い、優しく抱きしめた。
「絶対に守るから。信じて」
小声でつぶやくダーシーの言葉にミアは涙をこぼしながらうなずく。
ルーファスは、隣に控える参謀の名を呼んだ。
「レティ。どう思う?」
「はい。やつらは、あの修道女を捕まえたとしても門を開けることはないでしょう」
不満を隠そうともせず、レティシアは眉間に皺を寄せながら答えた。
「しかし、要求を突っぱねたとなると市民が黙っていない。ですので約束には約束で対抗するのが上策かと」
「なるほど」
ルーファスは少し考え込むようにうつむくと、やがて頭を上げて塔の上の領主に向かって叫ぶ。
「美丈夫卿! この娘を捕らえたら門を開くのだな?」
「博愛の神フェリスに誓う!」
「生死は?」
「問わぬ!」
「わかった」
ルーファスは口元をわずかに緩ませながら、頷いた。
そしてレティシアに「邪魔立てさせるな」と命じるとフィンのもとへと歩いていく。
領主との問答を聞いていたミアと孤児たちは、近づいてくるルーファスの姿に怯え、身を縮めてフィンの背後に隠れようとする。
ルーファスは、そんな孤児たちを一瞥することもなく、フィンの前で足を止めた。
数々の戦いで武功を立てた英雄らしい堂々としたルーファスの体格は、コルト村で剣を交わした数年前よりも確実に大きく、かつ逞しくなっている。
身体的な成長だけでなく、困難を乗り越えつづけてきた実績が自信となり、その姿をさらに大きく見せているのだろう。
全身から放たれる威圧感にフィンは気圧され、唾を飲み込んだ。
「その修道女を渡してもらおうか」
ルーファスは険しい表情のまま、フィンに告げた。
「おい、ルーファス。待てよ。急にどうしたんだ⁈」
フィンは慌てて問いただす。
しかしルーファスは表情も変えず、首を横に振った。
「ザイオン市民を守るためだ。悪く思うな。それに……」
ルーファスはそう言うと太陽を模した飾りのある長剣を抜き放った。
「……お前とはもう一度戦ってみたかった」
嬉しそうに微笑みながら、頬の傷跡をそっと指先でなぞる。
それは四年前、フィンが残した傷だった。
「おい、ルーファス⁉︎」
フィンは再びその名を呼ぶ。
だが、ルーファスはそれに応えることはなく、真剣な面持ちで太陽の剣を構えた。
剣を構える英雄ルーファスの姿に、どよめきが起こる。広場に居合わせた市民や騎士、傭兵たちのすべての視線がルーファスに注がれた。
誰も声を発しない。
フィンはため息をつく。
やがて諦めたように双剣を抜き放って両手に構えた。
その姿を見た傭兵たちが団長に加勢しようと駆け出すが、その前にモイラが立ちはだかり、「手出し無用!」と一喝する。その迫力に傭兵だけでなく、見守る市民たちもびくりと身を震わせた。
レティシアはニヤリと笑みを浮かべる。
「おまえら、そういうことだ。大将の一騎討ちに水を差すなよ」
周囲の傭兵たちに命じると、モイラとは少し離れた位置で、対峙する二人を遠巻きにしつつ周囲の群衆に睨みを利かせた。
「離れてて」
フィンは背後のミアとダーシーに伝える。
ダーシーは頷くと、ジーンとともに子どもたちを誘導して離れた場所に連れて行く。
ナタリアは暇そうにあくびをしながら、ふらふらとダーシーのそばに歩いてくる。
「……ルーファスには勝てないぜ?」
師の言葉にダーシーは微笑み返す。
「勝てますよ。先生はご存知ですか?」
ナタリアは不思議そうに小首を傾げた。ダーシーは嬉しそうに笑った。
「フィンは強いんです」




