第88話 悪魔の使い
絶叫にも近いフィンの叫び声は、混沌とした人混みに翻弄されていたミアの耳に届いたようで、驚いた表情で振り向くミアと目が合う。
フィンは精いっぱい身体を伸ばして手招きした。
孤児たちを連れたミアは、しきりに頭を下げながら行き交う人混みをかき分け、フィンたちのもとへとたどり着く。
「大丈夫だったか?」
声をかけたフィンに対して、孤児たちは相変わらず怪訝そうにその顔を見上げてくるが、ミアは安堵したように表情を緩めた。
「ええ、なんとか」
布で包まれた幼子を抱きかかえたミアは、さすがに疲弊しきったような顔をしていた。騎士と傭兵との白兵戦から逃げ回ったところに、トレビュシェットの無差別攻撃。小さな子どもたちを何人も引き連れている身として、気が休まる暇などなかったことが容易に想像できた。
「まずは無事でよかった。子どもたちも頑張ったな」
フィンのねぎらいの言葉にも子どもたちは不安そうな表情を崩すことはなかったが、ミアだけは小さく頷いた。
「これは、いつまで続くんですか?」
「……いまルーファスたちが一生懸命に考えてる。じきに終わるよ」
「それは良かったです」
曖昧なフィンの言葉に、背後にいたルーファスたちは微妙に表情をこわばらせる。その一方でミアは優しく微笑み返した。それは、子どもたちを不安にさせまいとする保護者としての配慮であった。
そんな優しい言葉とは裏腹に、ふたたび市壁の外からトレビュシェットの発射音が聞こえてくる。わずかに間を置いて上空に現れた岩石の姿を見て、フィンは息を呑んだ。
——でかい!
複数台のトレビュシェットから同時に放たれた岩石のうち一つだけが明らかに他を凌駕して大きかった。巨石と呼んでもよいだろう。あんなものが直撃したら、たった一つだとしてもひとたまりもないことは明らかだった。
修道女として博愛の神フェリスに身を捧げたはずのミアもさすがに表情をこわばらせる。子どもたちは目に見える形での死への恐怖に怯え、幼い者を中心に泣き出した。フードを深く被ったアカメの子は動じることなく、取り乱す異種族の友人たちを不思議そうに眺めている。
「大丈夫です」
ミアは温かい春の日差しのような声をかける。その声に誘われたかのようにドワーフの少女がミアの元に近づくと、そっと抱きついた。
無表情を装っているが、その内心は不安でたまらないのだろう。気丈な亜人の娘を優しく抱きしめると、ミアはもう一度、
「大丈夫」
とまるで自分に言い聞かせるように呟いた。
「ダーシー、もういちど魔法を頼む!」
ジーンは迫りくる岩石の姿に顔を引きつらせながら、自分よりも背の高い年下の少女に頼み込んだ。だが、ダーシーは残念そうに首を横に振った。
「私の呪文じゃあの大きさは無理だよ。壊しても破片が降ってくる」
二人の会話に耳を傾けていたレティシアは、不満そうに鼻を鳴らした。
モイラが、穏やかな声色で告げる。
「では、ナタリアだな」
「え?」「いや、それは……」
その言葉にナタリア本人ではなく、フィンとジーンが異様な声を漏らす。
「お前ら、覚えてろよ」
ナタリアは苦笑いしながら、両掌を天に向けた。
「火球」
その声とともにナタリアのまわりの気温が一気に跳ね上がる。強烈な閃光がほとばりしり、その光はナタリアの掌を中心に濃縮されているようであった。光球はすぐさまナタリアの元を離れ、灼熱の炎の塊と化して天を駆け上っていく。
夜の暗さをすべて飲み込み、周囲を紅に染めた火球はさきほどダーシーが放ったものとは明らかに規模が異なっている。その並外れた威力は、さすが「星読み」と畏れられたナタリアだ。
だが、それ以上に、フィンは巨岩の落下速度が思ったよりも速く、桁外れの規模を誇る火球魔法と地上からそれほど離れていない位置で交わってしまうことに恐怖を覚えた。
「……ナ、ナタリアさん、ちょっと近くない?」
「あー、思ったよりもあっちが速い。……いかんな」
ナタリアは魔法による消耗に息を切らせながら苦笑を浮かべた。
「いや、いかんな、じゃないって!」
フィンは声を枯らして絶叫した。
上空からその強大な重量に任せて猛烈な勢いで落下してくる岩塊を、一条の光となって疾走する火球が地上から迎え撃つ。
両者が交わった瞬間、炎の塊は炸裂し、地面を揺らす衝撃とともに周囲に炎をまき散らした。
岩石の落下速度のあまりの速さと、火球魔法の異常な威力から、爆発の勢いは地上にも及び、広場を取り囲む建物の数々が順々に崩壊していく。
その爆風は逃げ惑っていた市民たちをなぎ倒し、砕けた岩石と建物の瓦礫が雨のように降り注ぐ。広場は一瞬で死体と悲鳴に埋め尽くされた。
フィンの機転で広場に生えていた大きなオーク樹の下に逃げ込んだルーファスやミアたちは、その力強く伸びた枝に守られ、落下物の被害からは免れたが、視界に広がる惨状に言葉を失った。
「なんでこんな……」
ミアは呆然と呟いた。その瞳からは涙があふれ出している。
いたるところに転がる、身体の一部分が押しつぶされた死体。それに縋りつく遺族らしき人々の姿。泣き叫ぶ子どもたちの姿……。
現在進行形で広がりつづける悲劇に耐えきれず、ミアは抱きかかえていた布の包みをその腕のあいだから落とすと両手で顔を覆い、切り裂くような悲鳴を上げた。
「ミア!」
フィンは絶叫する修道女の肩を掴み、必死に呼びかけて正気に戻そうとする。孤児院の子どもたちもミアの周囲に集まり、その薄い肉付きの繊細な四肢や修道服にすがりつきながら何度も名前を呼びかけた。
だが、ミアは周囲のすべてを拒むかのように両腕で自分の頭を抱え込みながら、その場に座り込む。孤独な絶望がミアの身体の奥底から悲鳴をあふれさせた。
そして、空間がよじれた。
違和感は急速に明白な歪みへと変わり、その空間のひずみはミアを中心に大きく広がっていく。
ミアの額から光が放たれ、空間の隙間からぼとりぼとりと黒い粘液の塊が複数産み落とされた。
周囲にいた群衆は、なにが起こったかを瞬時には理解できず、黒塊の持つ忌まわしい外見への根源的な忌避感と、歪んだ空間のもたらす嫌悪感に表情をこわばらせている。
しかし、蠢く粘液たちが地面を這い、近くにいた傭兵にまとわりついて、その身体を真っ黒に染め上げると市民たちは一斉に悲鳴をあげた。
それは、ここまで逃げてきた市民なら誰もが知る、黒躯の姿であった。
一度地に伏した傭兵だったものは、黒躯となり、再び起き上がるとゆっくりと門を守る騎士に向かって歩み出す。
「まずいな」
ルーファスが顔を顰めた。
素早く剣を抜き放つと、黒躯を腰から真っ二つに切り捨てる。
それとほぼ同時に、はるか後方でそれを見ていたであろうノーマの放った火矢が黒躯の胴体に突き刺さり、瞬く間に黒躯の身体は炎で覆い包まれてしまった。
「さすが、姐さん」
ルーファスは振り返ると、彼の視力では見ることのかなわない場所にいるであろう弓使いに向けて笑みを浮かべる。
一方、広場にいた市民たちは、目の前で起こった光景にざわつき始めていた。
「あの黒いやつ……」
市民のなかでも少なくない人数が、ザイオンの悲劇を引き起こした黒い死体が、この修道女によってもらたされたことに気づきはじめていた。
肌で感じられるような憎悪が渦巻く。
現状に対する不満と恐怖が、ミアという生贄を見出したことで怒りへと姿を変える。
鬱積した感情は、市民の誰かが「お前のせいか!」と叫んで石を投げたのをきっかけとして、一気に吹き出した。
「この悪魔!」
「家族を返せ!」
広場に集まった市民の数だけの憎しみが言葉や石つぶてとなり、ミアへと降り注がれる。
「ミア、しっかりしろ!」
フィンは地に伏したミアの肩を強くつかんで引き起こすと激しく揺さぶりながら大声で呼びかけた。弛緩しきった表情でだらしなく見開かれていたミアの漆黒の眼窩はその声に急速に色を取り戻し、それとともに空間の歪みも瞬時に消え失せる。
正気を取り戻したミアは、すぐさま周囲の騒ぎに気づき、その理由が自分にあることを察した。
「立て!」
フィンはミアの手を引いて起き上がらせると、ときおり投げつけられる石つぶてや木片から守るために自身の背後に隠す。
だが、いつものミアに戻ったことを知った孤児たちが、泣き叫びながらその足元に集まってきてしまう。フィンひとりの身体では、とうていかばえる人数ではない。
「もう少し後ろに隠れろよ!」
フィンは飛んでくる石たちを小剣で弾き飛ばしながら、必死に叫んだ。
見かねたダーシーとジーンが駆け寄り、同じようにミアと子どもたちを背にして取り囲む。
「貸しだぞ、フィン!」
「助かる!」
三人は市民から投げつけられるさまざまなものを打ち払いながら、落ち着くように市民たちに呼びかけた。だが、ザイオン市民でもない若者たちの言葉など響くはずもなく、ミアを非難する声は次第により大きくなっていく。
やがて市民の投げた石がフィンの額に当たり、その顔面を鮮血が染めた。
「フィンさん! 大丈夫ですか⁈」
ミアは悲鳴に似た声をあげる。子どもたちは、むしろその声に動揺し、幼い子が連鎖的に泣き出した。
「大丈夫! 下がって!」
フィンは目に流れ込む血を拭いながら、背後に向かって叫ぶ。だが、打開策がないのも事実であった。
逃げるか? どこへ?
「おい、ダーシー、なんとかできないのか?」
考えることは同じなのか、ジーンも緊迫した声で尋ねる。ダーシーは器用に杖で飛んでくる石を打ち落としながら悲鳴に似た声をあげた。
「えー⁉︎ ちょっと待ってよ! 考えてみるけど、わたしだってあまり余裕ないからね!」
フィンは横目でルーファスたち赤錆の大鴉団の幹部たちの様子を眺める。モイラなどは援護しようとグレイブを握りしめていたが、それをレティシアが冷静に押しとどめているようだ。
それはそうだろう。
いま、フィンたちに助勢するということは、ザイオンに災厄をもたらした存在に加担するということになる。すなわちザイオンの敵になるのだ。
ルーファス、おまえはそれでいい。
フィンは、少し離れたところで険しい表情のまま立ちすくむルーファスを見つめながら、口角を上げた。
そのとき、ダーシーの背後から小さな影が前方へと飛び出した。
「ビビ!」
ミアがその名を叫ぶ。
マントを羽織り、頭巾を深く被った小柄な影は、フィンたちの前に立つと、サッと頭巾を取り払った。
そこには痩せっぽちのアカメの少女の姿があった。広場のあちらこちらで周囲を照らす傭兵団の松明によって、ざらざらした荒れた肌が浮かび上がる。
アカメの少女はその瞼を閉じたまま、群衆を睨みつけた。
「ミアをいじめるな!」
ビビは甲高い声で肩を怒らせながら、たどたどしく叫ぶ。
年端もいかぬ子どもの登場に虚を突かれた市民たちだったが、ビビの言葉に調子を取り戻したように一斉に笑い出した。
「ガキが引っ込んでろ!」
生意気な子どもをからかうように小石が投げつけられる。
それに気づいたビビは、瞼を開けた。
真っ赤な閃光が走り、ビビの視界に収められたものが熱線で満たされる。
突如放たれた閃光は、ミアたちを取り囲むようにしていた市民たちの目をくらませ、先頭にいた者の肌や頭髪、衣服を軽く焦がす。熱線に内包された破壊力は、飛んでくる小石程度であれば打ち落とすには充分なものであった。
「アカメだ‼︎」
群衆からさらに悲鳴があがる。
「アカメの仲間か⁉︎」
「追い払え!」
それをきっかけに市民たちからの投石が激しくなる。激昂してさらに熱線を放とうとするビビを背後からミアが包み込むように抱きかかえると後方に連れ戻す。
「ダメだ! さすがに守りきれないぜ⁈」
「みんな、門の方へ! 領主の魔法のなかに入ろう!」
ダーシーのひらめきで一斉にヴィード門の方へと駆け出す。ミアだけでなく孤児たちも、自分より幼い子どもを抱きかかえ、先頭を走るジーンとダーシーのあとを追って懸命に走った。
丁寧に髪を編み込んだドワーフの少女も苦しそうに顔をゆがめながら、大きめの布のかたまりを抱きかかえて走っている。布のなかでジタバタともがくそれは、ミアが正気を失ったときにその腕からこぼしてしまったもののようだ。動くうちに包んでいた布がずれていき、やがて幼いゴブリンの顔が外にはみだした。
それを見た市民のなかから「ゴブリン⁈」と悲鳴に似た叫びがもれる。
「おい、ゴブリンもいるぞ!」
「アカメやゴブリンを集めて、ザイオンをどうするつもりだ!」
「フェリス様の修道女を騙る悪魔め!」
その声は徐々に伝播していき、ミアたちへの憎悪が市民たちのあいだでみるみるうちに膨らんでいく。
フィンとジーンは、いまにも襲いかかってきそうな市民たちに向かって武器を構え、ミアたちに近づけまいと威圧しつづけた。
ヴィード門に集まっていた騎士たちは、突然沸き起こった市民たちの騒動に戸惑いながら、いったんは事の推移を見極めようと遠巻きに眺めている。
そこに塔の上からの領主の声が鳴り響いた。
「ルーファス!」
名を呼ばれたルーファスだけでなく、騎士たちもその視線を塔の上に向ける。そこには肩を怒らせた見目麗しい美丈夫卿の姿があった。
「そいつは、悪魔の使いだ‼︎」
これまでの経緯を抜け目なく見ていたらしい。怒りに震える指先が、ミアに向けられる。
「悪魔の使いは滅びよ!」
美丈夫卿は、その傍らに控える家令ブルーノに命じ、周囲を守る騎士たちに弓を構えさせる。騎士たちは動揺しながらも指示されたまま、その引き絞った弓をミアを含めた孤児院の子どもたちに向けた。
ただ命令に従って向けられた数十本の鏃を前に、ミアは震えながら子どもたちを自らの背にかばった。




