第9話 隠し事
「で、外尾とは、どうなんだ?」
唐突な遼太郎の質問に、宏基は飲みかけの緑茶飲料を吹き出した。
そんな昔馴染みの新鮮な反応に、遼太郎は悪戯めいた笑みを浮かべる。
「……り、燐が、どうしたって?」
「つきあってんだろ?」
しれっと遼太郎は言い放った。
毎週火曜と木曜に行われているサークルの練習を終えた後の、遼太郎との自主練中の会話である。
木刀で打ち合うこともあるため、大きな公園の中でも、奥まった人通りの少ない場所で、生い茂った木々に隠れるように技を磨いている。
夜だというのに、未だに蝉の声が高らかに鳴り響いている。公園内を貫く鉄道の高架を頻繁に車両が行き来し、そのたびに地響きのような振動が蝉の声をかき消していた。
あの夜以来、宏基は燐とつきあうことになった。互いに初めての彼氏彼女の関係。気恥ずかしさもあり、まだ周囲には隠しておこうという話になった。先程までの山村七海先輩の指導中も、いままでどおり会話することもなく、淡々と過ごしていたはずだった。
「な、なんで?」
「そりゃ……」
流れる汗をタオルで拭いながら、さも当然といった風に答える遼太郎。
「……先週、飲み会で俺が殴られていたとき、なんか熱心に話し込んでるな、と思ったら、途中で二人して消えたじゃん? なのに今日の練習では、まったく話さないし。逆にあやしいって」
そういうと遼太郎は、豪快に笑い出した。
その遼太郎の言葉に、耳まで赤くなる宏基。
「な、なんだよ! お前、腹殴られながら、そこまで見てたのかよ⁉︎」
「いや、あのとき酔っ払った侑輔や未央が絡んできたのに宏基だけ来ないからさ、どうしたんだろって思ったら、いつもは話さないような外尾と話してて、へえーって思ったんだよね」
宏基をからかいながらも、遼太郎の言葉はどこか嬉しげだった。
「外尾って、あまり話さないイメージだけど、どうなの?」
「……意外にいろいろ考えているよ。考えてから話すタイプみたい」
宏基は、ペットボトルの緑茶を飲みながら答えた。
まだつきあい始めてから数日しか経ってないが、燐にはなにかと驚かされていた。いままでは当たり障りのないことしか言わないといった印象だったが、話しているうちに、むしろ信念が強いがゆえに、周囲に本音を漏らせなかったということが少しずつ宏基にもわかってきた。
その遠慮がなくなると燐の理論好きには歯止めが掛けられなくなり、恋人同士の会話の大半が技の原理だという異常事態を引き起こしている。その好奇心は武術にとどまらず、同じく身体に関わるスポーツや解剖学、さらには宏基が大学で学ぶ植物学のような学問にも興味を示していた。
「で、付き合ってんの?」
遼太郎はニヤニヤしながら、宏基の表情を覗き込んでくる。宏基はしばらく言葉を濁していたが、やがて諦めたように首を縦に振った。
「……まあな」
「おー! 良かったじゃん!」
遼太郎は頬を緩めてその言葉を受け止め、祝福してくれた。だが、宏基は心配そうな表情を遼太郎に向ける。
「……絶対に他のやつには言うなよ?」
「言うかって!」
遼太郎はめんどくさそうに断言し、そして少しの間を置いて尋ねてきた。
「言わないけどさ、別に隠す必要もなくない?」
「……燐も恥ずかしいっていうし……」
宏基は曖昧に言葉を濁した。
その脳裏に一瞬、関口未央の顔が浮かんだ。
未央は、いってみれば燐とは真逆の存在であった。
いつも似たような服装の燐。
それに対して未央はロングスカートやデニム、ワンピースなど、定番かつシンプルながらも、フェミニンさを感じさせるファッションを着こなし、いつもいろいろなコーデを楽しんでいた。身長は高いわけではないが、細身の体型もあってか、すらりと背が高いような錯覚を周囲に与えている。
そして、未央は、よくしゃべる。
脳と口が直結しているのではないかと思うくらい、気になったことや面白かったこと、自分の心境などを、とめどなく言葉にして周囲の友人たちに話している。話題も、半径五十メートル以内で起こるような、どうでもいいことばかりだ。さも楽しげに話す未央の姿に、周囲の人々も「またなんか話してるよ」という呆れた態度を示しつつも嬉しそうに耳を傾け、みんなで屈託なく笑う。
ちょっと丸みのある柔らかい声に、感情にあわせて素直に表情を動かす端正な顔立ち。
未央は、大切な後輩だった。
宏基は胸を圧迫されるような息苦しさを感じ、ふーっと大きく息を吐いた。
いまは、燐のことを愛している。
自分自身に宣誓するかのように、宏基は、そう心の中で呟いた。
「大丈夫か?」
「ん? いや、うん、大丈夫……」
遼太郎の声にふと我に返る。
そんな宏基の返答に、遼太郎は呆れたように目を丸くした。
「いや、宏基じゃなくて、外尾だよ。秘密にするって約束したんだろ? 俺に言っちゃって大丈夫か?」
「……大丈夫だよ」
宏基は、少し考えを巡らせながら答えた。遼太郎なら許してもらえるという自信があった。燐には、遼太郎と初めて出会ったときのこと、そして遼太郎に救われた、あの夜のことを伝えていたから。
宏基はちょっと恥ずかしそうに目線を合わさずに呟いた。
「遼太郎には、隠し事はしたくないし……」




