第84話 フィンとジーン
レティシアは角材を振るいながら、次々と黒躯を叩き潰していく。
その姿は、まさしく鬼神のようであった。
——“異能”を使っても、勝てる気がしない。
知略を振るうはずの軍師が圧倒的な暴力を駆使し敵を蹴散らすという想像もしない光景に、フィンは苦笑いをせざるをえなかった。
背後では逃げ惑う市民たちを松明をかざした傭兵たちが必死に避難させている。
「行くか」
フィンはジーンとダーシーに声をかけると、黒躯の集団に向かって飛び込んでいった。
馴染みの仲間たちとの久しぶりの連携だ。
いつもどおりダーシーの火球によって先制攻撃を仕掛け、その隙にジーンとフィンが機動力を生かし黒躯たちの懐に飛び込んで、素早く攻撃を叩き込む。
だが、あまりにも不死の軍団の数は多く、すぐに周囲を囲まれてしまう。
黒躯との戦闘に慣れていないジーンは定石どおり人体の急所である首や脇の下などを狙うが、当然黒躯には通用しない。いかに傷つけてもまったく怯まないその姿にジーンは顔を顰める。
「ジーン! 足を狙え!」
「おう、わかった!」
フィンとジーンは獲物の小剣で黒躯の膝や脛などを重点的に狙い破壊していく。バランスを失って倒れていく黒躯たち。あっという間に周囲の地べたは身動きできずに悶える生ける死体で埋め尽くされた。その上を平気で踏みにじりながら新たな黒躯たちが押し寄せてくる。その口からは憎悪のかぎりを尽くした咆哮が吐き出されていた。
「しっかし、キリがねぇな!」
ジーンはすばやく体勢を変化させながら持ち前の機動力で黒躯を倒していく。いつも腰にぶら下げているロープの束をほどくと、器用に操り複数の黒躯の足を絡め取って一気にひっくり倒した。
「フィン! 手足を切り落とすんじゃねぇぞ? 切ってもこいつら動くからな」
「わかってるって!」
二人は互いの背中を守りながら押し寄せる黒躯たちを打ち倒していく。
なんとかレティシアに近づこうとするが、押し寄せる黒躯たちの勢いに押され、むしろその距離は少しずつ離れていってしまう。
さすがの覇王といえど、尽きることのない黒躯の襲撃に晒されつづければ、いつかは力尽きてしまうかもしれない。
黒躯の正体が、感染し広がっていく怨念のようなものであることを知っているフィンは、焦りを感じた。
まとめて燐光で戻せないか?
燐光の出力範囲は狭いものの、さきほどまでのミアとの特訓を思い出し、工夫によっては広げることもできるのではないかと考えた。
ぶっつけ本番ではあるが、やってみる価値はある。
フィンは、大量の吸気で過限駆動を発動させると、密集する黒躯に左掌を向けた。広く拡散させるイメージで燐光を放とうとする。
確かにいつもよりは少し範囲は広がったかもしれない。だが、淡い乳白色の光が黒躯に作用するよりも前に、取り囲む他の黒躯がフィンを引きちぎろうとがむしゃらに手を伸ばしてきた。あやうく汚れた指先で鷲掴みにされそうになったその瞬間、鋭く飛んできた短剣が黒躯らの眼窩に突き刺さり、その衝撃で黒躯は大きくのけぞる。
「なにやってんだよ⁉︎」
ジーンが叱りつけるように叫んだ。
「すまない! 助かった!」
フィンはすばやく数歩退き、体勢を立て直す。だが、あっという間に周囲を黒躯に囲まれてしまった。
そのとき、突如つむじ風が巻き起こり、激しい突風によって黒躯たちを薙ぎ倒していく。振り返ると質素な木の杖を掲げたダーシーの姿が目に入った。
「早くこっちへ!」
ダーシーは、ハスキーな声を振り絞って叫ぶ。
「ナタリア先生が呪文を唱えはじめた!」
「なんだって⁈」
フィンは思わず耳を疑った。
なにもしらないジーンは半笑いを浮かべる。
「おお、そいつは楽しみだな」
「……逃げろ」
「え?」
「逃げろって!」
フィンは叫ぶとジーンの腕を掴み、血相変えてその場から逃げ出した。
「な、なにやってん……」
ジーンが困惑の声を漏らし切るその前に、ナタリアは詠唱を終えた。
一段と力強く唱えられた音節とともに激しい地響きが沸き起こり、ナタリアの前方にある大地が一瞬で黒く染まった。
突然現れた灼熱のタールの沼。
その場にいた黒躯たちは炎を上げながらドロドロのタールに足を取られ、転倒したまま灰へと化していく。その沼の範囲は広大で、傭兵団がせっかく築き上げたバリケードの一部も巻き込まれ、炎に包まれて崩壊していく姿が見えた。
逃げなければ高温のタールの餌食になっていたであろうフィンとジーンは言葉を失う。
弟子のダーシーも師匠の放った常識外れな魔術に絶句する。
タールの沼の魔法について、その存在だけは知っていたが、こんなに馬鹿げた範囲に作用する魔法だとは思いもしなかった。
バリケートの裂け目に密集していた黒躯のほとんどがタールに焼き尽くされ、周囲に声ならぬ絶叫と、血と肉の焼ける不快な臭いがたちこめていた。それはまさに地獄の光景であった。
少し離れた場所で黒躯たちを粉砕しつづけていたレティシアは、騒ぎに気がつくと手を止め、ナタリアの方を振り向いてニヤリと笑った。
ナタリアは疲弊した様子で大きくため息をついたが、レティシアの視線に気がつき、同じように不敵な笑みを返す。
黒躯たちによって破られたバリケートを黒煙を上げるコールタールの沼が補い、来襲する黒躯の侵攻を止めていた。さすがの黒躯といえども近づくだけで肌を焼く高熱のタールの存在は避けたいようだ。
広場に入り込んでいた黒躯を蹴散らしながらレティシアは近づいてくるとナタリアに話しかけた。
「バリケート代わりにピッタリだな」
「地形は変えてないぞ?」
ナタリアの自嘲めいた言葉にレティは目を細めて笑った。
「そうともいえる」
そして、すぐに真顔に戻り、
「市民たちもあらかたは脱出できたようだ。私たちも行こうか?」
そう誘いかけた。
まだ広場には黒躯の残党が残っていたが、レティシアやナタリアの活躍に奮起した傭兵たちが片っ端からタールの沼に投げ込み、順調に数を減らしている。呪文の効果ももうしばらく続くだろう。
「そうだね」
ナタリアはにこやかに微笑むと、教え子であるダーシーの肩をぽんぽんと叩き「行くよ」と告げると鼻歌混じりで歩き出す。フィンとジーンは剣を鞘に収めながら肩をすくめ、その後に従った。
「ダーシー。呪文はあとどれくらい残ってる?」
ナタリアは咥えたパイプから白い煙を夜空に向かって立ち上らせながら尋ねた。
「あと五つくらい……ですかね」
「そうか、さすが優等生だな。あたしはあと二発ってところだ」
ナタリアは、ケラケラと笑った。




