第83話 星読みと覇王
急いで大聖堂を抜け出すと、すでに日は落ち、あたりはすっかりと暗くなっていた。
旧市街から中央広場へと戻った三人の前には、混乱のなか逃げ惑う市民たちの姿があった。武装した傭兵たちが騒ぎをおさめようと方々へと駆け巡っている。バリケードのあたりには黒躯を焼き払うための火が放たれ、黒い煙を立ち上らせながら、まるで昼間のように周囲を真っ赤に照らし上げている。
ジーンの話では、突如悲鳴が響き渡り、「やつらだ!」という叫び声とともに多くの市民が雪崩を打って逃げ出したという。市民たちは、唯一中央広場からの出入口にバリケードが築かれていなかったヴィード通りから逃げ出していく。その先にあるのは領主たちが封鎖するヴィード門だ。
フィンたちは、広場で指揮を取るルーファスたちへと駆け寄った。ダーシーに守られていた子どもたちも近くにいる。
ルーファスは幹部を集め、逃げ出した市民たちがたどり着くであろうヴィード門で待ち構える領主軍と、広場に侵入してきた黒躯たちの両方に対処するための協議を重ねていた。
「ルーファス、この場は私に任せてください」
レティシアが真剣な面持ちで団長に告げる。
「あなたは民衆を導くべき存在。先頭に立って領主を討つべきです」
ルーファスはうなずき、参謀役の献策を受け入れる。
レティシアの案に基づき、軍勢を二手に分け、ルーファスとレティシア以外の幹部たちはヴィード門へ逃げ出した市民たちを追うことになり、黒躯の対応をしながら中央広場から市民を避難させる役目はレティシアに任されることとなった。
「フィン、お前たちはどうする?」
ナタリアが頭の後ろで腕を組みながら尋ねてくる。いまや部外者であるナタリアにとっては、積極的に行軍に付き従う理由も特にないらしい。
「子どもたちはルーファスたちの部隊についていった方がいいだろうな」
ナタリアは不安そうなミアとその周囲を取り囲む子どもたちの姿を見ながら言った。
領主令嬢のテオドーラもノーマ率いる支援部隊に同行するらしい。
安全性でいえば、混戦が見込まれる中央広場に残るよりも、屈強な傭兵たちに囲まれながら移動する方が良いことは明らかであった。
フィンは問うような視線を仲間たちに投げかける。
ジーンとダーシーはそろって微笑みながら、力強くうなずき返した。
「俺たちはここに残るよ」
避難する市民たちの背後を守ろうとフィンは力強く言い放った。
ナタリアは、そんなフィンとその隣で誇らしげに目を輝かせる教え子の姿を交互に見つめ、頬を緩めた。
「そうか。じゃあ、あたしも手伝うよ」
「やった! 先生の魔法が見られるんですね!」
ダーシーは嬌声を上げた。その素直な反応に含まれたダーシーの本音に気がついたジーンがニヤニヤと愉快そうに笑みを浮かべる。その表情はお手並み拝見、といった様子であった。
ただ一人、星読みと畏怖された魔術師の実力を知るフィンだけは、顔をこわばらせていた。
ミアと孤児院の子どもたちは、ルーファス率いる赤錆色の大鴉団の本隊についていくこととなり、中央広場を任されたレティシアは手早く部下たちに指示を出し、戦況の整理と状況に応じた戦力の分配を進めていく。
レティシアに声をかけようとするナタリアに伴われ、ちょうどその場に居合わせたフィンは、レティシアの判断のあまりの速さに舌を巻き、これが「覇王」と呼ばれる所以かと驚嘆した。
「……なにか?」
部下にひととおりの指示を出し終えたレティシアは、少し離れた場所でパイプを咥えながら会話が終わるのを待っていたナタリアに話しかける。
「聞いてるかもしれないが、あたしたちもここに残って戦おうと思ってね。どうすればいい?」
ナタリアはこともなげにさらりと尋ねる。
レティシアは嬉しそうに口角を上げた。
「それは心強い。あの”星読み”と共に戦えるとは僥倖」
小柄な司令官は落ち着いた声で感謝を告げ、そしてナタリアの背後に控えるフィンたち三人組に視線を移した。
「そいつらも戦うのか?」
ナタリアは笑みを浮かべると、自分よりも背の高いダーシーの肩をバンバンと叩く。
「こいつはあたしの弟子でな、他はその仲間だ。三人でクレイディア伯領で傭兵をやってて、地元ではそこそこ知れてるらしい。ザイオンまで一緒に旅してきたが、腕前に心配はいらない。あたしが保証する」
なるほど、とレティシアは頷いた。
「弟子の娘とそこの金髪とは、孤児院の子どもたちを助け出したときに会ったな」
興味なさそうに淡々と語る。ダーシーは小さく会釈した。
「俺はジーンだ。あのときは助かった。ありがとう」
一方でジーンは尋ねられてもいないのに、とっておきの笑顔で名を告げる。だがレティシアは冷徹な瞳で一瞥を与えると、まるでなにもなかったかのようにそっぽを向いた。図々しさには定評のあるジーンだが、さすがにショックは隠せないようで泣きそうな顔をフィンに向けてくる。フィンは大きくため息をついた。
レティシアは、そんなフィンにも真の感情をその瞳の奥底に隠した昏い視線を向けてきた。
「おまえもこいつらの仲間だったのか。ルーファスの救出では世話になったな」
レティシアは唇を曲げながら微笑んだ。
褒められているのか、皮肉を言われているのかよくわからず、フィンは曖昧な表情で会釈した。
「では、私についてきてもらおうか」
レティシアは、主にナタリアの方を見つめながら、一行に告げた。
「最初に破られたバリケードに大量の黒躯が集結しているらしい。そこの救援に向かう」
レティシアは特に装備を固めるでもなく、指揮していたそのままの格好で歩き出した。大股でずんずんと歩いて行く小柄な副団長の後ろを、あわてた部下たちが松明片手に追いかけていく。
見たところ剣などの武具を腰に帯びている様子もない。救援には向かうものの直接戦うわけではなく、あくまでも参謀として現場で指揮を取るつもりなのだろう。だとすればその手足となるのは、フィンのように白兵戦の技術を磨いてきた者たちである。フィンは意を決するように、腰に下げた剣の柄を力強く握った。
足早なレティシアの歩みにフィンたちは必死についていく。
ゆったりとしたチュニックとスボンという軽装にマントを羽織っただけのレティシアに対して、フィンやジーン、そして部下の傭兵たちは鎧や武具を身につけている。その重量の差が速度にも影響しはじめていたが、レティシアは気にするそぶりもなく歩き続けた。身軽さではレティシアと変わらないはずのナタリアも、基礎体力の違いなのだろう、さほど距離も進まないうちに息を荒げ始め、遅れそうになりながらも弟子のダーシーに背中を押してもらい、なんとかフィンたちの後についてきている。
やがて激しく争う物音とともに、瓦礫を積み上げたバリケードの周辺で戦う黒躯と傭兵団員たちの姿が見えてきた。バリケードの一部が崩され、そこから次々と黒躯が侵入している。集まった傭兵たちは流入した黒躯を駆逐しようと必死に戦うものの、レティシアが告げたとおり黒躯たちはバリケードを取り囲むように大量に群がり、その圧倒的な数によってじりじりと押されていく。その勢いは、バリケードそのものがいまにも押しつぶされるのではと危機感すら覚えるほどであった。
「……ひでぇ数だな。おい、小娘、あたしたちはどうすればいい?」
ナタリアは髪をぐしゃぐしゃとかき乱しつつ尋ねた。レティシアは表情も変えずに答える。
「適当に蹴散らしていただければ結構」
「え? 作戦とかねぇのかよ?」
「ない。相手を上回る暴力で押し切るだけだ」
そう言うとレティシアは混戦のつづくバリケードの方に向き直り、ありったけの声を張り上げた。
「皆のもの、働きご苦労であった! 救援に来たぞ!」
その力強い咆哮に、団員たちから歓喜のどよめきが生じる。疲弊の色が強かった団員たちの目に希望の光が灯った。
「覇王が来た!」
「レティシア様!」
救世主を迎えるかのような熱烈な反応にフィンたちは圧倒された。
当のレティシアはさも当然といった堂々たる態度で片手をあげて団員たちの声に応えると、ふとナタリアの方に振り返り、言った。
「あと、小娘じゃない。レティだ。そう呼んでくれ、ナタリアさん」
レティシアはつかつかと黒躯の群れに近づいていきながら、途中でバリケードから飛び出していた適当な角材を一本抜き去る。
やがてくぐもった唸り声とともに黒躯が襲いかかってくると、レティシアは鋭い気合いを放ちながら角材でその顎を打ち上げた。
「物理?!」
その光景を見守っていたフィンは思わず声を上げる。いきなり角材で殴りかかる参謀というのはさすがに想定外であった。
レティシアは打ちつけた角材に生じた反動を利用して角材を回転させると、反対の端を黒躯の後頭部に叩き込む。そして倒れかけた黒躯の胴体めがけて裂帛の気合いとともに強烈な横蹴りをぶちかました。
派手に吹っ飛ぶ黒躯。その頭部は原型がわからないまでに破壊され、胴体も真っ二つに折り曲げられたまま、起き上がることもできず地面の上を転がるだけの姿と化している。
レティシアはさらに振り向きざま、もう一体の黒躯の腹部に角材を突き刺し、そのまま蹴り倒してしまう。哀れな黒躯は腹に突き刺さった角材で身動きが取れず、ジタバタと地面の上で足掻くだけとなった。
「これでも死なないのか」
レティシアは蔑むような視線で自らが倒した黒躯たちを見下ろしながら、感心したようにつぶやいた。
フィンとジーンは凍りつく。
強い。
いままで培ってきた戦士としての経験が、その動きが脅威であることを告げていた。まったく無駄のない、充分に戦い慣れた熟練の戦士の動きだった。さらに前世で古武術を学んできたフィンからすれば、それは武術的な理合に基づく身体操作のようにも見えた。
「……な、えげつないだろ?」
ジーンは、孤児たちを救いに来たときに彼女の傍若無人な戦いぶりを見ていたのだろう、フィンに同意を求めてくる。フィンは顔面を硬直させながら小さく頷いた。




