第77話 再出発
「傷を診ます」
テオドーラが真剣な表情でフィンとルーファスのあいだに割って入り、矢が抜けた傷跡を濡れた布で拭き取ると癒しの力を注ぎ込む。
ルーファスはさすがに安堵した様子で表情を弛緩させると大きくため息をついた。
「おまえ、すげえな!」
ノーマが絶賛しながらフィンの肩をバンバン叩きつづける。女戦士の力強い称賛にフィンは顔を顰めた。狭い小部屋にあふれる歓喜のざわめきのなかでナタリアだけが冷静な口調で尋ねてきた。
「フィン。その光は魔法も打ち消せるのか?」
睨みつけるような鋭い眼光に気圧されながらフィンが首を縦に振ると、ナタリアは大きくため息をついた。
ルーファスも「なるほど」と頷く。
「イゴールさんの魔剣もその光で無効化したんだな」
ルーファスと初めて会った野盗団の首領イゴールの名前が挙がると、ノーマは驚いて声を張り上げた。
「イゴール? あのバケモンを倒したのか? こいつが?!」
信じられないといった様子でフィンの姿を改めて頭から足の先まで値踏みするかのごとく見つめる。恵まれた肉体があるわけでもなく、普段から覇気にも欠けるフィンにそんなことができるとは信じがたいようだ。
「首領があんたにやられた後、盗賊団が散り散りになって逃走する中、魔剣に目をつけていた連中が必死の思いで拾って戻ってきたが、もはや魔剣にはなんの力も残されていなかった。ただの鉄剣になっていたんだ」
ルーファスは当時を思い出しながら、そう語った。
傍らではナタリアが唸り声をあげる。
「魔法を打ち消すだけなら、まあ、できなくもないんだが、太古の遺産であるアーティファクトを無効化するとなると、正直聞いたことがない。その魔剣がどれほどのものかは知らないが、その矢だけでも非常識にも程があるぞ?」
虚空を睨みながら少し怒ったように早口でまくしたてるナタリアだったが、不意に言葉を止め、真顔でフィンの瞳を見つめる。
「フィン。その力はいったいなんなんだ?」
その真っ直ぐな視線にフィンは動揺してしまう。なんて説明すべきか答えに窮しつつもナタリアの視線から目を逸らせずにいた。
たとえ正直に伝えるにしても、どう説明すれば理解してもらえるのだろう。
魂の輪廻という考えのない世界において、異世界から転生した話など誰が信じるのだろうか。
「……俺もまだよくわかってなくて……この力に気づいたのもルーファスが言っていた野盗団の首領との戦いがきっかけで、本当に偶然だったんだ。それ以来いろいろ試して、なにかしらの属性を打ち消す力があるらしいってことまではわかったんだけど……」
知識量でも圧倒的に優位に立つナタリアを口先だけで誤魔化すことは難しいと判断し、転生神リィンの存在は伏せつつ、それ以外は真実を伝えることにした。
途方に暮れたような語り口に真実味があるとすれば、それは実際にフィンが困惑しているからである。
「まさか、あんな黒い死体みたいのまで倒せるとは思ってもいなかったけど」
困ったようにボソリとつぶやいたフィンの言葉に、ようやくナタリアも表情を和らげる。
「ふふ。そうだな」
ナタリアはにこやかに微笑んだ。
「……だが、それ以外にも可能性はありそうだな。もしも能力について詳しく調べたいというならば手を貸すぞ。そういうのは魔術師の専売特許だし」
そのあどけない顔立ちにふさわしいふんわりとした物言いに安心したフィンが、ようやく笑みを取り戻す。
だが、その直後、
「……魔法の常識を変える大発見になるかもしれん。いろいろと試させてもらおう」
少し陶酔したような口調でナタリアが漏らした言葉に背筋が凍りつき、全身を硬直させた。
少なくとも現時点では嫌な予感しかなかった。
「テオドーラ嬢、ありがとう、もう傷も塞がったようだ」
ルーファスは癒しの力を施しつづけるテオドーラにそう告げると、さきほどまで魔法の矢が刺さっていた傷跡をまじまじと見つめ、そして指先で撫でた。まだ赤黒い傷跡が皮膚の上に残っているが、癒しの力の効果もあるのだろう、痛みはなさそうだった。
呪いの力で生命力を奪われることもなくなったせいか、青白かった顔色にも幾分か血色が戻っている。恐るべき頑強さだ。
「それでノーマ、状況は?」
「ああ、それだけど——」
ルーファスの問いに、ノーマは顔を顰めた。
領主に追われて以来ずっとこの小部屋に身をひそめていたルーファスは、ザイオンがどんな状態にあるのかを知らない。おそらく水と食料を運び込んでいた伯爵令嬢も、城門から避難した直後に舞い戻ってきたことからすると、領主である父親がザイオンを封鎖し、火を放ったことは知らないだろう。
ノーマは、傍らに立つテオドーラの存在を気遣いながら、少し言いづらそうに言葉を継いだ。
「ええとな、伯爵の野郎が裏切りやがって……」
「ノーマ殿。お構いなく」
テオドーラは上品な微笑みをその端正な顔に張りつかせながら淡々とノーマに告げる。その揺るがない態度に、むしろ困惑を強めながらノーマは「……おう」とだけ相槌を返した。
「……伯爵だけど、あいつら、ザイオンから避難したはずなのに、逃げるどころか街に火を放ったうえで外から街門を封鎖しやがった」
ノーマはそう言うと、やはりテオドーラが気になるようでちらりと一瞥を投げかけた。
気丈な伯爵令嬢は、実の父の暴挙ともいえる振舞いにはさすがに驚いたようで、深い湖の色を思わせるその美しい双眸を大きく見開いたが、それ以上は表情も変えず、堅く唇を引き結んだまま、静かにその場にたたずんでいた。
ルーファスも特に表情は変わらない。
だが、テオドーラとは違って、こいつは昔からそういうやつなのだ。
思えば、駆け出しの頃からどこか表情に乏しかった。最近、ちったぁマシになったかと思ったが、まだまだだな。
ノーマは心の中で苦笑いを漏らした。
もっとも感情的になったのはモイラだ。正義感の強い元騎士のモイラにとっては、領主の行動は許しがたいものなのだろう、いつもの穏やかな顔に怒りを浮かべ、話者のノーマが思わずたじろくほどの威圧感で睨みつけてくる。
「ありえぬ!」
モイラの怒りに満ちた言葉に「オレもそう思うよ」となだめるように同意しつつ、ノーマは説明を続けた。
「もちろん黒い死体もあいかわらずでな、むしろ増えつづけてるくらいだ。このままだと黒い死体と火事でザイオン市民は全滅しちまうってんで、レティの指揮で大鴉団は市民を避難させながら、脱出経路を探している。オレたちも、ルーファス、お前を救出してから合流する予定だ」
「わかった。急ごう」
ルーファスは頷き、モイラから服を受け取ると、それを身にまとい、やがてベッドから抜け出した。若干足元をふらつかせながらも、誰の助けも借りず立ち上がる。
フィンは思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
初めて会ったときから四年の月日が経ち、十六歳となったルーファスはさらに背も伸びて、どちらかというと小柄なフィンが見上げる位置も以前より高くなっている。それは偶然なのか必然なのかフィンにはわからないが、転生前の遼太郎と宏基と同じような身長差でもあり、言いようのない感情に胸の奥が締めつけられるのをフィンは感じていた。
フィンは奥歯を噛み締め、ふたたび涙が流れ出るのを必死に堪えた。
モイラの補助を受けながら装備を整えていくルーファスだったが、フィンはその腰に履かれた剣を見て「あれ?」と声を上げる。
ルーファスはニヤリと笑って「そうだ。あのときの魔剣だ」と、鞘に納めた剣身をふたたび抜き、燃え上がる炎の装飾の入った立派な剣をフィンに見せた。
その均整の取れた長い剣身は、盗賊団の頭領が振るっていたときのような赤いものではなく、くすんだ灰色をしている。フィンが燐光を浴びせたときから、こうなってしまったようだ。
「もはや魔法の力は残ってないらしいが、俺の原点にして転換点だ。それに……」
軽く剣を振って見せる。
豪華に装飾を施された長剣は、ズバッと風切り音を立てて鋭く空気を切り裂いた。片手で振ったとは思えない勢いに、フィンは素直に驚いた。しかも、ついさきほどまで呪いの矢を受けて、ベッドから動けずにいた者なのだ。
「意外に軽くて丈夫なんだ」
そういうとルーファスは、ニッと笑いかけてくる。
その子どものような純粋な笑顔につられ、フィンも思わず笑みを返してしまう。
それはまるで遼太郎の生き写しのようであった。いや、生き写しというのは正しい表現ではないのかもしれない。なぜなら、そこにいるのは遼太郎本人の生まれ変わりなのだから。
「さあ、行こう」
ルーファスの声に一行は屋敷を後にした。




