第76話 魔法の矢
呼吸が浅い。
フィンは自身でも気が動転していることがわかった。
最初の出会いから四年。そのあいだ、ずっとその追い求めてきた相手が、いまここにいる。
すべては、このときのためだった。
生まれ育ったコルト村を離れ、過酷な傭兵稼業をつづけながら行方を探しつづけた日々の記憶が脳裏を横切る。
フィンからすれば、その魂を受け継いだにすぎないとはいえ、ルーファスは転生前の旧友、遼太郎その人であり、無意識のうちにその人となりを知ったつもりになっている。
だが、当然の話だが、ここは東京ではない。
むしろルーファスからすれば、コルト村のフィンという青年は、過去に敵として剣を交え、命を奪いかねない一撃を加えた相手にすぎない。
ルーファスがどのような感情を抱いているのか、さすがにフィンには想像もつかなかった。
もしかしたら、この部屋にいる全員が敵になるかもしれないな、とフィンは思った。
そればかりではない。
ハント市を旅立って以来、いたるところで英雄ルーファスの武勇伝を聞いてきたので、転生前の旧友というよりは身分違いの有名人に会うような、そんな気後れに似た感情すら抱いていた。
できることなら会う前に気持ちの整理ぐらいはしておきたかったが、テオドーラの悪戯心のおかげで、いきなりの再会となってしまったわけである。
まあ、それも致し方ないとフィンは嘆息した。
だがルーファスはフィンの顔を見ると、敵意などわずかでも示すことなく、一瞬の驚きの表情の後、むしろ温和な微笑みを浮かべた。そして嬉しそうに言う。
「……覚えているよ。俺が初めて負けた相手だ」
ルーファスは笑顔とともに意味ありげな視線を傍らにいるノーマに向ける。ノーマは驚いたように振り返り、フィンの顔をまじまじと見つめた。
「ここは、あんたにやられた傷だ」
ルーファスは頬の傷痕を指差し、青白い顔ながら嬉しそうに語る。「ここもそうだ」と胸の傷も見せる。
「あのときは、なにをされているのかまったくわからなかった。世の中にはこんなに強いやつがいるんだと思ったよ」
と懐かしそうに語った。
フィンは、まさか傷つけたことを本人の前で誇るわけにもいかず、曖昧な笑みを返した。
「あのときは、たまたまだよ。その、なんだ……悪かったな……」
そのファンの言葉にルーファスは笑い出す。
「悪かったのはこっちだろ? おまえはやるべきことをやっただけだ」
ルーファスはふたたび笑った。
村を襲った張本人が言う台詞ではない。その滑稽さに、ついフィンも笑い出してしまう。
この適当な感じが懐かしかった。
遼太郎とは、いつもこんな感じだった。
ルーファスの頬に残る傷痕を見つめながら、フィンは転生前のことを思い出していた。
中学時代に、母親が付き合っていたDV男から宏基を守るため、振り下ろされた木刀を額で受け止めた遼太郎。その傷痕はそれから消えることなく、死の瞬間まで遼太郎の額に刻まれていた。
彫りの深さなど顔立ちは明らかに異なるものの、どことなく遼太郎の面影を残すルーファスの陽に焼けた額には、あの日の木刀の傷は残っていない。
だが、それがたとえ頬であっても、宏基、もといフィンが原因で傷が残ったという点には変わりがない。
フィンは、あの日、夜の公園で声をかけてきた遼太郎のことを思い出し、感極まって涙をこぼしてしまった。
「どうしたんだ?」
突然のことに驚くルーファスの言葉に、フィンはあわてて涙を拭う。
「あんたの顔が……その……死んだ友人に似てたんで、つい……」
「そうか」
ルーファスは微笑んだ。
「奇妙な話だが、俺もあんたにはどことなく親しみを感じている。なんなんだろうな」
そう言って笑うルーファスだったが、すぐに胸の矢の痛みが蘇ってきたのか顔をしかめた。
「いけません!」
さっと歩み寄るテオドーラ。掌を矢の刺さった箇所にそっと触れると目を閉じる。その掌からほのかな光が放たれ、ルーファスは安心したようにほっと息を吐いた。
「なんで抜けないんだろうな。ちょっと見ていいか?」
その様子を見ていたナタリアが若干苛立たしげに尋ね、ルーファスの返事を待たずに、ずかずかと歩み寄ると矢に触れる。魔法使いとして、やはりその原理が気になるらしい。
「ああ、本当に抜けなさそうだな。たしかに、矢尻の返しとかが食い込んでいるというよりも魔法的なもので固定されているようだ」
金属製の矢柄を握り込み引っ張ってみるが、ナタリアの力ではびくともしない。だが、その粗雑な扱いにはさすがのルーファスも顔をしかめる。
「おやめください。傷が悪化します」
強めの言葉とともに表情を変えたテオドーラが手を伸ばし、ナタリアを押しのけようとする。
だがルーファスが、そんなテオドーラをそっと制し、痛みを押し殺したぎこちない笑顔で微笑みかけた。
「テオドーラ嬢、大丈夫です。ナタリアは俺がいままで見た中でも最高の魔術師です。任せておきましょう」
「さすが、わかってらっしゃる」
ナタリアは幼く見える丸みを帯びた顔を嬉しそうにほころばせる。
そして伸ばした指先を魔法の矢に軽く触れつつ「とりあえず鑑定してみようか」とまるで誰かに説明しているかのような口調でつぶやいた。
それからナタリアはなにやらぶつぶつと不可解な音節を唇から漏らしていたが、やがて長いため息を一つ吐いた。
「……うーん、正直、この術理を解体するのは難しいだろうなぁ……」
悔しげなナタリアの説明によると、
「この矢の術理の解析をしてみたんだけど、とりあえずわかったのは、今のあたしたちが知る魔術とはその論理構造がまったく異なっていて、現代の魔術師では理解すら難しい代物だということ。さすがのあたしでも、ほとんど理解できなかった」
そう言うとナタリアは、頭をぼりぼりと掻く。
「とりあえず相手の命を奪うまで刺さりつづけ、その死によって効果を失うってことなんだよな? 術式の解除が難しい以上は、たとえばルーファスを仮死状態にして矢に死んだと誤認させるとか、どうかな?」
早口で一気にまくしたてたナタリアに向かって、モイラが冷静に尋ねる。
「仮死状態にする魔法とかあるのか?」
「いや、いまは用意してないけど。でも、氷漬けにするとかでも、意外といいんじゃないかなって思ったりするけど」
「氷漬けか……なるほど、いいかもな」
モイラとナタリアは揃ってルーファスの顔を見る。
ルーファスは露骨に嫌そうに顔を顰めた。
頬こけた顔が、いっそう暗く見える。しかし、わずかに口角が上がり、仲間たちとのそんなやりとりを楽しんでいるようでもあった。
「黒焦げよりはましだが、氷漬けは嫌だな……」
「なんだよ、任せるんじゃなかったんかよ」
ナタリアはぶつくさと不平を漏らす。フィンがこれまで接してきた経験からいうと、おそらくナタリアは本気で試したかったのであろう。その不平不満も冗談ではない可能性が高かった。
「どうしたもんかね」
モイラは形の良い眉をひそめつつ、淡々と言った。
そんな赤錆の大鴉団幹部たちの会話を聞いているうちに、フィンは恩恵の力で盗賊団の首領が持っていた魔剣を無効化したことを思い出す。
魔剣も魔法の矢も、なにかしらの魔法的な道具であることには変わらないだろう。
おずおずと手を挙げ「あのう」と声をかけた。
「やってみていい?」
突然の申し出にルーファスは意外そうな表情でフィンの顔を見つめてくる。
「なんだ、あんた、魔法も使えるのか?」
「いや、魔法じゃないんだけど……」
ノーマは、素っ頓狂な声を上げた。
「あれか! 黒躯を倒した浄化のやつか?」
フィンはノーマに向き直って頷いてみせる。
ナタリアは顔をしかめながら耳の後ろあたりの髪をわしゃわしゃと掻きむしった。
「うーん……といっても浄化だろ? 古代魔法の術理は呪いじゃないからなぁ。無理じゃないか?」
そう言いつつも、やってみろとばかりにナタリアはフィンのために場所を空ける。
フィンはルーファスの元に歩み寄ると、刺さった矢に左手を伸ばし、気遣うようにそっと触れた。そして左手薬指からリィン神の恩恵の光を放つ。
「あっ」
テオドーラの口から驚きの声が小さく漏れた。己れが受け継いだ癒しの光にも似た姿に思わず声が漏れたらしい。慌てて口を押さえるテオドーラにルーファスとモイラが優しく微笑んだ。
透明に輝くテオドーラの癒しの光と比べれば、不透明で濃密な乳白色の光を放つフィンの恩恵の光は、どことなく質量を帯びて重たげに見える。
燐光とフィンが呼ぶ白い光に包まれた魔法の矢は、その光を蓄えたように自らも光り輝きはじめる。炉で熱した鉄のようにも見えるが、触っていても熱くはない。
それよりも矢から流れ込む、いつも以上に濃密な情報量に脳内を蹂躙されるかのような苦痛を感じ、フィンは表情を歪めた。
その情報はフィンの理解できる論理の形をしていなかった。
ただ異常な密度の圧縮された情報そのものが暴力的な量で襲ってくる。
フィンは吐き気を催し、必死に嘔吐を堪えた。
やがてフィンの手元から乳白色の光が消えたとき、矢はその堂々とした黄金の輝きすらをも失い、なんの変哲もないくすんだ金属棒のような姿に変わり果てていた。
フィンは大きく息を吐く。
いつもとは性質の異なる強烈な情報に晒されつづけたせいで、かなり気分も悪い。首筋ににじみ出た脂汗をフィンは掌で拭った。
そんなフィンの一挙手一投足をナタリアが睨むような真剣な表情で見つめている。矢の刺さった当の本人であるルーファスを含め他の者たちも固唾を呑んで成り行きを見守っていた。
フィンは触れていた手で矢をつかむと、わずかに力を込めて引いてみる。すると、いままで動かなかったのが嘘のように矢はなんの抵抗もなく引き抜かれた。
フィンの手には、もはや矢とは呼べない、いまにも折れそうなボロボロの棒のようなものが残される。
「抜けた!」
あまりのスムーズさにフィンが言葉を失う一方、ノーマたち赤錆の大鴉団の幹部たちはわあっと歓喜の声を上げる。




