第75話 傷ついた英雄
案内するテオドーラに連れられて、三人は屋敷の敷地内を移動する。
沈黙に耐えられない性質なのだろう、歩きながらもノーマは、テオドーラに矢継ぎ早に質問を浴びせていく。
「お姫さんは、いつからここに?」
「ノーマ殿の護衛でザイオンを抜け出した後すぐに戻ってきました」
「……伯爵は知ってんですか?」
「さあ?」
そう言いながら伯爵令嬢は、いたずらそうに微笑んでみせた。
「どうせ戻ると言っても反対されるに決まっています。そのくせに誰かが監視するわけでもなく放っておかれるのですから、簡単に抜け出せました」
そしてテオドーラは「わたくしに興味がないのでしょうね」とため息まじりにつぶやく。
「それで男の格好を?」
「ええ。意外に気づかれないものです。そんなに似合ってますか?」
「ま、そうすね。どっかの貴族の坊ちゃんかと思いました。このオレも護衛したときにお姫さんの顔を見てなかったら、わかんなかったんじゃねぇかと思いますよ」
ノーマは笑いながら答えた。その言葉にテオドーラも軽やかに笑い出す。
「それはよかった。このまま男性の姿でいるのもいいかもしれませんね」
悠々と軽口を叩くテオドーラは、自分よりも背の高いノーマを見上げながら微笑んだ。
「わたくしもあなたがたを見たときには、わたくしを連れ戻しに来た父の手の者かと思いました。しかも、あの“鷹の目ノーマ”じゃないですか。もうおしまいだと絶望したものです。だからノーマ殿の口からルーファス様を探しに来たとお聞きしたとき、どれだけわたくしが安心したか……おわかりになりますか?」
機智に富んだテオドーラの語り口に、ノーマも表情を綻ばせてしまう。
ザイオンに火をつけた領主の娘ということで当初は警戒していたが、話を聞いているうちに父親の意図とは別に動いていることがわかったようで、次第に人懐っこい伯爵家の姫君との会話を楽しむようになっていった。
和やかに言葉を交わしながら移動するノーマとテオドーラに対して、フィンとナタリアはその会話に参加するでもなく無言で二人の後について歩いていく。
どうしたものかとフィンがナタリアに視線を向けると、同じようにフィンを見てきた憮然とした表情のナタリアと目が合う。その極端な性格に似つかわしくない美しく大きな瞳に見つめられ、フィンはどきりと心を揺らす。
「なあ、あたしたちはルーファス探してるんじゃなかったのか?」
若干いらだったようなナタリアの言葉。フィンは苦笑いとともに年上の魔術師をなだめた。
「まあ、もしかしたらあのお姫様がなにか知ってるかもしれないし」
そう言ったあとでフィンは言葉を区切り、小声で尋ねた。
「ちなみにあのお姫様って誰なんですか?」
「ああ。あたしもよく知らないが、このザイオンを治めるダンクルト伯爵の一人娘だよ。他には子どもはいなかったはずだから、そのうち婿でも迎えるんだろうな」
「え?」
けげんそうなフィンにナタリアは呆れたように言った。
「おいおい、そんなことも知らないのか? 爵位を継げるのは基本的に男だけだ」
「そうなんですか?」
フィンにとっては意外だった。
転生前の世界ならまだしも、こちらの世界は比較的、男女の性差が制約になることが少なく、実力いかんで公平に取り扱われている印象を抱いていた。
それこそノーマやナタリアが当たり前のように傭兵という荒事を請け負う稼業についていることも、ひとつの事例だろう。傭兵だけではない、女性の衛兵もいれば、騎士もいる。女神だっている。
だが、確かに言われてみれば、女性の領主は、幼い頃に聞いたおとぎ話以外には聞いたことがなかった。
フィンは、声にならない吐息を漏らす。
ナタリアは不思議そうに首を傾けた。
「そんなに驚くことか?」
「……いや、なんか女性ってだけで領主になれないってのも、なんだかなって思って」
「そうか? いちおう、王の許しがあれば女でも爵位を継ぐことはできるけどな。まあ、稀なことだけど」
ナタリアは軽く笑いながら言った。
膨大な量の知識を誇る魔術師の彼女であっても、それには違和感を抱いていないらしい。
フィンは複雑な感情をまとめて吐き出すように「ふーん」と唸った。
やがて一行は、建物の隅にひっそりと設置された通用口をくぐり、ごちゃごちゃと大量の物が整理も追いつかずに置かれた空間に足を踏み入れる。
領主の宮殿ともいうべき屋敷には似つかわしくない雑然とした様子だが、これが使用人しか利用しない通用口のあるべき姿なのだろう。
もの珍しそうに周囲を見渡すフィンを尻目にテオドーラは足を進め、質素な木製のドアの前で立ち止まった。
「私がここにいる理由は、こちらになります」
さすがにノーマもふたたび緊張感を取り戻したような表情を浮かべ、ナタリアとフィンも武器こそ構えないものの身構える。
そんな傭兵を生業とする者たちの気持ちなど知らぬかのように、テオドーラは迷わず扉を開いた。
「ルーファス様、鷹の目ノーマ殿がお迎えにいらっしゃいました」
開けた扉の先にいたのは、藁のベッドに上半身裸で横たわるルーファスと、椅子に座ったまま巨大な刃を持つ長柄武器を構えるモイラの姿だった。
次第に近づく足音を警戒していたのか、モイラは険しい表情を浮かべていたが、ルーファスは泰然とした態度で来訪者を出迎える。すぐにテオドーラのかたわらに立つ人物の姿に気づいたようで、
「ノーマ!」
げっそりと憔悴しきった顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。その顔色は血の気を失い、土気色の人形のようであった。
「ルーファス⁈」
その変わりようにノーマが驚愕の声を上げた。
ルーファスは優しく微笑んだ。
そして、その背後にいる灰色のローブに身を包んだナタリアの存在にも気づいたようで「……ナタリアか?」とつぶやいた。
モイラも驚いて声を張り上げる。
「ナタリア⁉︎」
突然名前を連呼され、ちょっと照れくさそうなナタリアは、照れ笑いしながら手を振る。
そんな久しぶりの邂逅を喜ぶ隙も与えず、ノーマは声を荒げながら、ベッドに横たわるルーファスに駆け寄った。
「ルーファス! てめえ、どうしたんだ⁈」
そしてその答えを待つまでもなく、ルーファスのたくましい胸部に刺さっている黄金の矢を見てノーマは息を飲んだ。
その視線にモイラが説明する。
「伯爵だ」
そう言いながらモイラは、ノーマの背後に立つテオドーラにちらりと視線を投げる。テオドーラは目を伏したまま表情も変えず沈黙にその身を置いていた。
「……なぜ?」
ノーマが尋ねる。
モイラは艶やかな声で淡々と答えた。
「伯爵の依頼を断ったら、いきなり魔法の矢を放たれてな。聞けば、伯爵家に代々伝わる魔法の矢だそうで、一度放てば必ず狙った相手に突き刺さり、刺さったまま抜くこともできない代物らしい。これが少しずつルーファスの命を奪っているんだが、幸いにそこにいる——」
そこでモイラは言葉を区切り、小部屋の入り口に控えるテオドーラに目線を投げかけ、そして説明をつづけた。
「伯爵家の姫君が癒しの手の持ち主だったんで、なんとか命を救われているってわけだ」
「癒しの手!?」
ノーマのみならずフィンも驚いたように声を上げた。
フィンにとってみれば、神の眷属であるフアナですら有していなかった治癒の能力である。ケガをすれば、薬草などの力を借りつつも、基本的には自然治癒しかない。
ゲームやアニメみたいに都合のいい回復魔法なんてものはこの世界には存在しないとすら思い始めていた。
まさか実在するとは——。
どこかしら感慨深げなフィンだったが、テオドーラはそんなフィンの内心に気づく由もなく、うなずきつつも伏し目がちにつぶやいた。
「わたくしの力では命が失われないようにするのが精一杯です。この矢を取り除くことができればいいのですが……。申し訳ございません」
それを聞いたルーファスは笑う。
「テオドーラ嬢、生き延びることがなによりも大切です」
その言葉にテオドーラは少し寂しそうに笑みを浮かべる。
ルーファスはそんな若い伯爵令嬢の反応に優しく微笑むと、それから後方にいるナタリアに視線を移した。
「魔法の矢らしいが、ナタリア、おまえの魔術でなんとかならないか?」
「黒こげになるかもよ?」
間髪入れず平然と答えるナタリア。ルーファスは声を立てて笑った。冗談とも本気ともとれないナタリアの言葉だが、モイラとノーマもさもありなんとばかりに深くうなずく。
「そうそう、ルーファス、お前に紹介したいやつがいるんだ」
ナタリアはそう言うと、振り返ってフィンに手招きする。
「こいつはコルト村のフィネスだ。お前とは少なからず因縁あるらしいが、覚えているか?」
前に進み出たフィンは、ナタリアに紹介されて少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。どんな表情をすればいいのか判断に迷い、なんともいえない中途半端な表情で立ち尽くしてしまう。
「フィンと呼んでくれ。よろしく」
ようやく絞り出せた声が、自分が思っているよりもずっと掠れていたことに驚いたが、フィンはそのまま喘ぐように挨拶した。




